第325話 視点
【飛行船 フェルディ号船内】
「うわぁ……」
じりじりとゆっくり進む、空を飛ぶ船。
アイリは、瞳をこれ以上開けられない程真っ直ぐ開けて、窓の外を眺めた。
透明に輝く窓。手前に向かって斜めに傾いた窓は、左右に開けるのではなく上下に開ける。
見下ろすと、遥か下に雄大な海が広がっていた。高く、もっと高く。今まで、アイリが目にしたことのない視点からの景色。
「飛んでる、本当に飛んでるよ!!」
アイリは大はしゃぎで、並ぶ窓を巡っていく。
肩に乗っているクーも、興味津々で窓をじっと見つめた。
「今、空の上にいるんだね!」
この足は今、立っている。だが、地面には立っていない。
もう少し高く飛べば、雲にだって届く。こんなに高い場所にいるなんて。
はしゃいでいるのは、アイリだけではなかった。
「おい、アイリ、アイリ! こっちこっち、町が見えるぞ!」
「えー! どこ、どこ?」
「ほら、そこの」
「ひゃあ、町があんなにちっさい!」
「動いてる、人じゃん、人出てきてるじゃん!」
レオナルドも楽しそうに、窓から窓を駆け巡る。なんとも呑気だ。
大はしゃぎする後輩達の後ろで、ルノは落ち着かない様子で椅子に腰掛けていた。
「そないしけた顔すなや」
「……」
ジェイが声をかけると、そろそろと顔を向けてくる。
泳ぐ瞳の色。顔色も悪く見える、悪い想像でもしているのだろうか。ナーガにいる二人の事を考えて、落ち着かないのだろう。
「ヨーとカリンやで、心配せんでも大丈夫やろ」
早々に、ナーガの軍から脱走してみせたのだ。今頃、どこかに逃げ込んでいるに違いない。
「後輩の前やで、俺らが不安がってどないするねん。俺がおるんやし、さっさと見つけて帰ろうや」
「ん」
少しは落ち着いたらしく、ルノは小さく頷く。
落ち着いたルノを他所に、まだ落ち着かない後輩達は、ヒラリスを質問攻めにしていた。
「この上、甲板って書いてあるじゃん。外に出れるぞ」
「ねぇねぇヒラリス、この上って上がれないの?」
「あ、上がれますけど。その、今はやめた方が」
「キュ〜」
「マジか、何で?」
「風が強いのです。そろそろ速度を上げるそうですから、危ないのですぅ」
「コラコラ、ヒラリスちゃん困らせたらあかんで」
苦笑しながら、割り込んで制止する。
初めての飛行船なのだ、二人が興奮するのも無理は無い。ジェイとルノにとっても、初めての飛行船ではあるのだが。
ジェイは、チラッと再びルノに視線を向ける。
「……そないな余裕、無いか」
思い出すのは二年前。ジェイが初めてパレスに足を踏み入れた、あの春の日。
「あの〜、すみません。ここの人やんな?」
「え?」
玄関で何やらしゃがみこんでいた、おかしな姿。ツナギの作業服を着たその青年に、ジェイは声をかけた。
振り向くと、存在感のある分厚い眼鏡が視界に飛び込む。
「ハーショウって人、どこにおるやろ。知ってはります?」
「……ハーショウさん?」
驚きの混じった声と共に、眼鏡を外しながらマジマジとこちらを見つめる。ジェイは、圧を感じて思わず狼狽えた。
彼が眼鏡を外すと、随分と端正な顔立ちだった。
──あれ、この顔ってどこかで見た気するんやけど。
「ここに着とるって聞いたんやけど」
「ヨーちゃん、そっちあったぁ?」
「あ、カリンさん」
思考を遮る晴れやかな声に、ジェイはそちらを振り返った。
短いスカートを履いた可愛らしい子が、軽い足取りでこちらにやって来る。少し目を三角にして、ぷんすかと怒っていた。
「もー、カリンさんじゃない、カリンちゃん!」
「はい、これありましたよ。そこの下に落ちてました」
「ちゃああ! ありがとう。ウフッ」
手を叩いて喜ぶ彼女の顔を見つめ、ジェイは仰天した。
──まさか。
「カリン・エレガン!?」
「んー?」
「カリン・エレガンやんな、せやろ!?」
随分と前に、テレビでその姿を見た彼女だった。
アコーディオンの演奏に合わせて、お歌を歌っていた小さな子。画面越しの幼い頃の彼女しか見ていないが、特徴的な目は面影を残したままだ。
確か、同い年だった筈。懐かしさが込み上げ、ジェイはキラキラした目でカリンに駆け寄る。
「うわぁ、ここで会うやなんて。何でここにおるんです?」
「何でって、カリン、団員になるんだよ! ウフッ」
──新しい49期生。
当然のようにあっさり告げられ、ジェイの口から漏れた言葉は、嘘やん、だった。
「ヨーちゃん、この人だぁれ? 知ってる人?」
「きっと、僕達と同じ新入団員の方ですよ。ハーショウさんを探してましたから」
「僕達、やて?」
ここの作業員だと思って話しかけたのに、彼も団員だったとは。戸惑いながらも、挨拶しようと頭を下げる。
「ジェイ・ジーン・スターっていいます、ジェイジーで呼んでくれてもええで」
「ジェイさん、ですか。初めまして、僕はヨースラ・イーストウッドです。僕も49期生です、よろしくお願いします」
「ん……?」
聞き覚えのある名前に、見覚えのある顔。何かが頭に引っかかり、上手く取れない。
「ほらぁね、ヨーちゃんだって有名人だもーん」
「そんなことないですよ」
──ヨースラが爽やかな笑顔でそう返した瞬間、頭に引っかかっていたそれはポロッと外れた。
「ヨースラって、『ヴェルーダ砦に死す』って映画で、話題になっとったあの??」
思わず大きな声を出してしまったジェイに、最近話題の俳優──ヨースラは、柔らかく微笑んだ。
「まだまだ新米ですよ」
「ホンマ、なんか」
目の前にいる二人。片や、初出演作でいきなり話題になった注目の俳優。片や、かつての街の愛されっ子。
この二人が、団に入るという。
「俺、えらい時に団に入ってもうたやんけえええ!!」
ジェイは天を仰ぎ、天井に向かって虚しく叫んだ。
これが、友人二人との最初の出会いだったのだ。