第322話 錠
ひゅおおおお。
二人がいなくなった崖に向かい、強く風が吹く。泥の道はスクーターでえぐられ、くっきりと跡が残されたまま。
周りを取り囲む民達は、確かに見た先程の光景に、どよめきを隠せないでいた。
「おいおい、落ちてしまったぞ」
「まさか、死んじゃった?」
「死んだだろう」
「どうしたものか」
「とりあえず、軍に知らせた方が──」
「誰か、あの下に行けないか?」
止まらない、波のようなどよめき。
「すまない、そこを通してくれないか」
分厚い紫色のマントを羽織った、ある一人の少女もその光景を目にしていた。
「……」
じっと崖の先を眺めていたが、地面に膝をつくと、おもむろに鞄のジッパーを開いた。
鞄から覗く黒く光った、重みのある箱。左の持ち手をガシャガシャと動かし、三角の形をした受信器を取り外す。
「──もしもし、ディナイ。すまないが、車をこっちに回せないか。急ぎだ、頼む!」
【テイクン帝国 いずこかの地下道】
もう長年使われていないという、古い地下道。どんよりした暗闇が包む。
「なぁ、ココロ大公がパレスに来たって本当か?」
「ああ、そうらしい。団員にも会ったそうだ」
「なんでこっちに……」
カツカツと、靴の音が地下に響く。その二人組は手に持つ僅かな灯りを頼りに、長い地下道を進んでいた。
ぬめぬめとした地面に、じめっとした空気。
「しかもキツネからの話だと、団員を二人連れ去って行ったとか」
「どこに?」
「そりゃ、ナーガに決まっているだろう」
「信じられないな、これが公になったら──」
「あぁ、街は大混乱だな」
一国の君主が、何故わざわざそのような事を。
「教祖様は、なんと?」
「ほら、例の──なんてったっけ、グルベール様だったか、その人を狙ったんだろうと仰っていた」
「よく分からんな」
「まぁ、一番分からんのは教祖様のあの仮面だがな」
「お前、無礼な! クメト神の印だぞ」
大きな声を張り上げた途端、滑る斜面でバランスを崩してしまう。
手に持つ鍵が、揺れてじゃらじゃらと鳴った。
「おっと」
「おいおい、落とすなよ」
この暗がりの中だ。落としてしまったら、命令が果たせない。呆れるような相方の口調だが、気にせずに進む。
「それにしても、キツネの素性はまだ知られていないのだな」
「そうだな、上手くやっているな。流石、我々同志の中でも優秀であっただけのことはある」
「あいつも随分、様変わりしたものだ。街で見かけて驚いたぞ、人は変わるものだな」
「シッ!」
向かう先の暗闇が、ぞわりと動いた。まるで、彼等を警戒するかのように。
手に持つランプの灯りが、ゆらゆらとおぼつかなく揺れる。
「──よし、ここだな」
「本当に、ただ開けるだけでいいんだよな? なんだか不気味だぞ」
「その筈だが」
鉄格子の扉が、彼等の前にそびえ立つ。
ランプで細かく照らすと、ようやく錠が見つかった。
この暗闇では、なんとも見えづらい。ランプの灯りを片手に、錠に鍵を差し込もうとしゃがんだ──次の瞬間。
「ん?」
「どうした」
「いや、視界がぼやけて……」
目の前の錠が、霞に覆われたようだ。これでは、鍵を差し込めない。焦ってしまい、しきりに目をこする。
「疲れてるんじゃないのか?」
ちゃかすもう一人だったが、その彼の見ている視界もすぐにぼやけて、見えづらくなってしまう。
涙が出ているわけでもないのに、ぼんやりと滲む。
「本当だ、本当に見えないな」
「とにかく、やるしかないぞ。クメトの導きを遂行する」
なんとか手探りで錠を掴むと、無理やり鍵を差し込もうとする。
未だに視界は晴れないままだが、感覚までぼやけてはいない。指の感覚で鍵穴を探し、鍵を差し込むことに成功した。
勢いよく鍵を回し、ガチャッと小気味良い音が耳に届く。
「よし、開いたぞ!」
「任務完了、早くここから出よう」
これで、導きには従った。後は、この不気味な地下道からおさらばするだけ。
二人が踵を返し、出口に足を向けた──次の瞬間。
「うわあああああ!!!!」
「ぎゃあああああ!!!!」
大きな闇が二人を包み、後は何も残らなかった。