第317話 霜
【いずこかの島】
「ココロ大公が……この国に?」
ピシピシピシピシ。
自らの身体の代わりとなっている機械に、迫り上がる冷気。広がる霜で色を変えて行く身体に、マンキャストは小さく悲鳴を上げた。
手で払おうとするが、触れた手にも霜が侵食していく。触れた手も機械、無機質な冷たさを増やすだけ。
マンキャストの後ろの木の影で、身を潜めていたコルピライネンは、迫り来る霜にあたふたと足踏みした。
「何故分かった、誰からの話だ?」
「十字仮面さまぁが、そう言っていたでぇすよ。ごっほん、ごほっ、キツネからの知らせだとか。ギギ」
「ほぉ、キツネ」
木の隙間からこぼれる光に照らされる、彼の口元。
グルベールは口元を分かりやすく歪め、語尾を震わせる。
「ならば、間違いなくパレスにおるのだな」
「は、はひ」
きちんと発音するつもりだったのだが、グルベールの気迫に押されて口ごもる。
──ついに動いたか。
パレスを訪れたということは、大公の狙いは間違いなく、このグルベール。
「しびれを切らすのが、なんと遅いのか」
懐かしい、我が祖国。埃っぽく薄汚れた祖国。
最後に大公に会ったのは、いつのことだっただろう。国を出る直前、彼に敬礼した覚えがかすかにある。
何年も放置しておいて、ようやく動き出したか。このグルベールなど、気にもかけていなかった証。
まぁ、こちらとしては都合が良かったが。
「愚かな祖国の君主よ。このグルベールを欺き、ナーガの民をも欺き続けた。あなたの命など、二度と聞かぬ」
口から言葉を振り絞る度、霜が地面を草花ごと凍らせていく。
様子を窺う周りの見えざる者達は、いつ間にか足元に迫る霜の波に、大慌てで逃げ惑う。
感情の波だ。あまりの怒りの大きさに、コルピライネンは息を呑んだ。
近くにいたマンキャストは、あまりの寒さにカチカチと歯を鳴らす。
「そして当然、祖国にも戻らぬ。あの罪深き君主を、殿下などと呼ぶものか」
何がアン・ドゥ・ナーガだ、嘆かわしい。
「あなたが、このグルベールを殿下、と呼ぶのだ。このグルベールに、自ら跪くことになる。その日は近いぞ」
風が言葉を乗せるように、駆け抜けていく。
──さて、どうしたものか。
少し落ち着いたらしいグルベールは、ゆっくりと腕を組み振り返る。
「大公について、キツネの情報はそれだけなのか?」
「ギギギ。ど、どうやら、剣の団の団員を二人、ナーガに連れてったみたい……でぇす。ギギ」
「……!!」
これには、僅かに目を見開く。
あの大公がわざわざ、そのような無駄骨を。どうせ、団員達への脅しに利用する為だろうが。
マンキャストは震えあがりながらも、口を動かす。勿体ぶった鈍い動きが、グルベールを苛立たせた。
「えっと、セ、セイフのえらい人に話がいって、大変みたい……でぇす、なぁ。 ギギ」
「だろうな」
テイクンには、少し気の毒なことだ。これも、尊大で粗暴な大公のせいである。
これでは団も、簡単には動けないだろう。まさに、愚かな無駄骨。
「ならば、大公も一度公国に戻るやもしれぬな」
「……ギギ?」
尚も広がり続ける、冷たい霜。
霜の絨毯の中に立ちながら、グルベールはようやく笑みを見せた。
「マンキャストよ、ラナイを呼べ。あの無精者をナーガに向かわせる」
「ギギギギ!?」
マンキャストはよっぽど驚いたのか、身体の機械をガタガタと揺らす。
マンキャストだけではない。ナーガに向かわせる、という言葉に、周りの見えざる者達にもどよめきが走る。
「小生は、ナーガはイヤ……でぇすなぁ。ギギ」
「そんな事は分かっておる、だからラナイに任せるのだ」
「ギャハハ」
「ギャッギャッ」
情けない話で、周りの部下達もマンキャストに同調し、乾いた笑みで誤魔化している。
誰も、ナーガに行く気にならないのだ。かつては、テイクン帝国と同じ国であったのに。
だが、あの不精者なら。
「奴なら、餌ならなんでもよいだろう。お前の部下だ、さっさと準備させろ」