第315話 全身
【いずこかの場所】
頭に柔らかい感触があった。
全身がぬるま湯につかったように、重くて鈍く、心地いい。どんどん浸っていく。
規則正しく揺れる振動に起こされ、ヨースラは弾力の無い瞼をゆっくりと開けた。
「ヨーちゃん!」
視界に飛び込む、見慣れた顔。溌剌とした高い声に、眠気が覚めていく。
「カリンちゃん……」
「ヨーちゃん、起きた? ウフッ」
ヨースラは、カリンに膝枕されていた。気付いたヨースラは、パッと起きあがろうとするが、カリンに止められる。
「あー、動いちゃダメだよぉ」
辺りを見渡すと、周りは荷物に囲まれていた。木の箱、土嚢らしき袋、樽。崩れないのが不思議なほど、高く積み上げられている。
左の壁には閉じられた扉、反対側の壁の遥か上に小さな窓。あの小ささでは、人は通れないだろう。
そして、全身で感じる小刻みな振動。
「ここは……列車ですか?」
貨物列車だろうか。一定の拍子を刻みながら、軽やかに進んでいる。
知らない列車に、何故カリンといるのだろう。少しずつ、おぼろげな記憶を戻していく。幸いにも、特に拘束はされていない。
もう一度体を起こしたその時、頭にピリッとした痛みが走った。
「イタッ」
「だから、動いちゃダーメ!!」
頭に手を触れると、ズキズキとした痛みが染み出すように広がっていく。
──そうだ、兵士が店にいて、思い切り殴られて……。
店での出来事を思い出して、パッとカリンの方を向く。
何があったのか。聞きたくて顔を向けた、その瞬間──カリンが力いっぱいに抱きついてきた。
「どわーー!!」
あえなくひっくり返り、どさっと床に倒れ込む。カリンは、その瞳をたっぷりと潤ませていた。
「ぶえええええ!!」
「カリンちゃん、カリンちゃん、重いですよ!」
「ヨーちゃああああん、ごめええええん!!!!!」
なんとか宥めて引き剥がそうとするが、なかなか離れない。
「落ち着いて、ね」
「ぶええええ」
「何があったんですか?」
「あのね、あのね!」
カリンが例のお店に入った、あの時。その姿を見計らったように、怪しい軍人達が入って来たらしい。金色の軍服。
「あの人達か」
「でもねっでもねっ! 軍人さん達、カリンに敬礼したの!」
「敬礼……」
カリンは驚いたものの、むしろにこやかに笑顔を返してしまった。どこの軍人かは分からないが、軍服でも買い物くらいはするだろう。
安心してビスケットケーキを見ようと、振り返った──次の瞬間。
口を塞がれ、無理やり謎の薬品を嗅がされた。
「最初から狙われていた、ということですか……」
「うん」
そのまま誘拐され、この列車に運び込まれたようだ。計画的で、明確な悪意。
──やらかした。
やらかした、二人揃って。二人の肩に、ずっしりと重い感情がのしかかってくる。
「はぁ……」
全身から吐き出す、大きなため息。重みに耐えられず、体の力が抜けていく。
剣の団の団員を狙ったのか。一体何者が、何の目的があってこんなことを。
気がつくと、小さな窓から夕陽が射していた。
「心配してるだろうなぁ……」
「流石に、パレスに帰ってる筈の時間ですからね」
連絡しようにも、通信機は没収されたらしく、ポケットに無い。扉も、閉じられたままだ。
だが、しかし。
「カリン、迷ってるんだよね。どうするぅ? 扉壊して、無理やり外に出ちゃう?」
「……」
いたずらっ子の笑み。カリンの能力ならば、この程度の扉、壊せないことはない。
ヨースラは悩みつつ、口を開く。
「縛られたりしていないということは、僕達が逃げないって確信があるからです」
もしかすると、扉の向こうは外ではなく、通路になっていて誰か見張っているのかもしれない。
外につながっていても、この速度で走る列車から飛び降りて、無事かは分からない。
「思い切って、列車ごと壊しちゃってもいいのかもしれませんが……」
「ウフッ」
「この列車にいる人達が、全員例の軍人達とは限りません」
無関係の人間が乗っている可能性を、否定出来ない。他に捕まっている人が、いるかもしれないのだ。
「そっかぁ、難しい」
しょんぼりと、肩を落とすカリン。
無関係の人間を、巻き込むわけにはいかない。列車が停車した隙に、なんとしても逃げだすしかないだろう。
「カリンちゃん、この列車って止まったりしましたか?」
「……ううん、一度も止まらなかったな〜。カリンが起きている間は、止まらなかったよ」
「じゃあ、ずっと走りっぱなしですか?」
この長い長い時間を、ずっと。果てしない線路は、どこまで続いているのか。
「もしかして、国境越えちゃうかな〜」
「まさか……」
テイクン帝国と陸続きの隣国は、たった一国のみ。
鉄の国、ナーガ公国。