第314話 本名
彼の口から発せられたその名前に、一同は驚愕した。
「グルベール!?」
「グルベールって、あのグルベール?」
戸惑う彼等の反応に、ココロはにんまりと笑みを浮かべる。
何故、隣国の君主からその名が。
「やはり知っていたか」
「おい、待てよ」
ショウリュウは、渋い顔を崩さない。
「あいつの本名、初めて聞いたんだが?」
「……ジャンクルーズ・グルベール、だっけ」
「グルベール、しか知らないよね。あのグルベールでいいのかな?」
今まで、彼はグルベールとしか名乗っていないのだ。あのグルベール、ではない可能性もあるが。
アイリの疑問に、エリーナは首を横に振った。
「間違いないでしょう、まず聞かない家の名前ですもの」
「せやけど、何で本名を知っとるんや? ジャンクルーズ、なんて知らんで」
ジェイの疑問に、ココロは薄ら笑いで返す。
「当然。あの男は我の部下で、若くして公国の高官を務めていた男だ」
あまりにもあっさりと告げたその言葉に、皆が一瞬で顔を引きつらせる。
──テイクンの人間ではなかったのか。
隣国の人間が何故かこの国にやって来て、見えざる者を率いている。クメト教派とも手を組んで。
「……本当に?」
「写真もあるぞ」
出しなさい、と側の兵士に指示を出す。
机に置かれた写真に、皆の視線が集中する。何回も触られたのか、写真はふちが薄汚れていた。
「え、この人?」
まだ、若々しさを残している青年だ。利発そうに、きっちりと揃えられた茶髪。
筋肉もしっかりついて、健康そうだ。一見、グルベールの雰囲気は見られないが。
「あ、でも……」
「この目、間違いないね」
写真の人物は、確かにあのグルベールだった。
特徴的なつり上がった目が、今でも変わらないまま。たった七年で、あの容貌に変わるとは。
老人のように痩せ細り、髪の色まで変えて。
「貴方の部下が、何故この国にいらっしゃったの?」
「勿論、我が命だった。七年も前になるか、テイクンの様子を探り、侵略の糸口を探すようにと」
聞き捨てならない二文字。
あまりにもあっさりと告げるものだから、二の句が告げない。アイリ以外は。
ナエカは擬音を発して、ソファーの後ろに隠れてしまう。
「侵略って……」
「言っちゃってるし」
「シンリャク?」
一人、よく分かってなさそうな表情を浮かべるアイリ。ココロは興味を持ったのか、じっとアイリを見つめた。
黙ってしまった大公に、控えていた男がサッと近付く。
「殿下」
「──ああ、そうだな。あの男をこの国に潜入させていたのだが、すぐに定期連絡が途絶えた」
「それで調べたら、化け物と関わっているのが分かった。そういうことかな?」
割り込んできたシキに、兵士達がビクリと反応する。ココロは気にせず、優雅に頷いた。
「噂だけだ。だが、どうやら間違いではないらしい。ならば諸君らの手で、我等に引き渡してもらいたいのだ」
大公の命に背いた、裏切り者だから。
「……」
押し黙ってしまった一同に、ココロは軽く首を傾げる。
「どうした?」
顔を見合わせる団員達。どこか、拍子抜けしたような表情が並ぶ。
奇妙な沈黙を破ったのは、エリーナだった。
「……正直、やぶさかではございませんわ」
グルベールがナーガの人間ならば、ナーガに引き渡すのが筋だろう。
ただし。
「先程見たでしょう? 彼は、私達と同じ──いぇ、もっと恐ろしい力を持っています」
「ほぉ」
「それに」
エリーナは続けようとしたが、思わず止めた。
──彼は、現代に甦ったオロロかもしれない。
果たして、この男を相手にそこまで話してよいのかどうか。
「それに……何だ?」
「それに、やな」
察したのか、ジェイが慌てて割り込む。
「グルベールがどこにおるんか、俺らも分かっとらんのや。神出鬼没で、まだそんなに遭遇しとらんし」
敵の拠点すら分かっていないのだ。グルベールにも、偶然巡り会ってばかり。彼を見つけるには、相当苦労するだろう。
そう説明すると、ココロは分かった分かった、と言わんばかりに大袈裟に頷く。
「だが、それでも我が命令は聞いてもらわないといけないな」
「え?」
「諸君らがやる気になるように、手は打っておいたのだ」
ココロは、ゆっくりと髪をかきあげこちらを見渡す。
乱れた髪の隙間から、不敵な笑みがのぞいた。そして、その口が開かれる。
「──ヨースラ・イーストウッド、カリン・エレガン、この両名の身柄を我が軍が確保した」
この一言があれば、充分。
さて、諸君らはどうする。
「グルベールと二人の身柄を交換しよう。どうだ、少しはやる気になったか?」
我が命令は、絶対なのだ。