第306話 片腕
「ガーガー!!」
「シャー、シャー!!」
「ウワォオ〜ン!!」
真っ直ぐ一生懸命にぶつかっていく、鳴き声の波。
声の波は重なり、力となった。クーは瞳をギラギラと光らせながらも、困惑したように後退りする。
目の前に並ぶ、動物達の後ろ姿。シキは地面に倒れながら、呆然とその光景を見つめた。
「これは……」
それはグルベールも、エリーナも同じだ。仲間を助けようとしているのか。それとも、シキカイトを庇いに来たのか。
必死に叫ぶ動物達の鳴き声が重なり、空気を強く震わせる。声を聞いているのか、クーの耳がヒクヒクと動いた。
「キイイ、キイィ」
黄色の瞳がゆらゆらと揺れ、光が弱くなっていく。敵対心を剥き出しにしていた、激しい瞳の光が。
「クーが……」
巨大に膨らんでいたその身体が、みるみるしぼんでいった。
小さくなる背中。牙は小さくなって引っ込み、爪はするするとふわふわした毛の中に収まっていく。
瞳はまだ黄色い怪しさを残していたが、すっかり元のイタチに戻った。
「なんだと? ありえない、このグルベールの術がまさか破られるとは」
唸るグルベールに、エリーナはフッと軽く微笑む。
「動物達の声が、クーを動物に戻したのでしょうね。シキの気持ちが通じたのだわ」
「こんなちっぽけな存在に、このグルベールが出し抜かれるなど……」
尚も声をかけ続ける、動物達。
クーはキョロキョロと、辺りを窺う。どうやら、正気に戻ったようだ。
「ルーイ」
「キュッ」
シキが声をかけると、おどおどした様子だったがゆっくりと側に寄ってきた。
フサフサした毛が、日に照らされて光っている。
「よかった」
シキとエリーナが安堵したのも、束の間。
「このグルベールを愚弄するか」
気付いたエリーナが振り返った瞬間、グルベールは軽く指を鳴らした。
「いけない!」
「キュッ、ギュッ!」
クーは、もがくように暴れだす。クーの中で、血が暴れ回る。
「クー!!」
「キイイ……イイ……」
シキが抱き抱えようとしたが、苦しみからかするりと抜け出した。
このままでは、また姿が変わってしまう。
必死に抑えようとしたシキの腕を、クーはもう一度噛みついた。
「うっ!」
鮮血がほとばしり、ぽとっと雫が垂れた。
もがくクーの姿も、グルベールに向かって行くエリーナの姿も、見える世界でぐにゃりと歪む。
もう、シキカイトへの変身は出来ないのだ。
「キイイイイイ!!」
「ブヒーン!」
「バウ、バウ!」
怖気付きながらも叫ぶ動物達の前で、クーの身体がもう一度膨らもうとしている。シキの目の前で。
今度はもう、動物達の声も届かないのか。
折角元に戻ったのに。どうすればいい、どうすれば。
「……!!」
その時、シキの頭にある言葉がはっきりとよぎった。
今日、地下で生意気な同期が口にした言葉。
「理論上は出来る」
こちらはすっかり疲れているというのに。彼はいつも通りの不遜な表情で、言い放った。
偉そうに、坊やのくせに。
そうだ。シキカイトに変身出来ないならば、せめて。
「……」
シキはスッと軽く目を閉じると、呼吸を整え意識を集中させた。
「キイイイイイ!!」
振り払うようにもがく、紫のイタチ。
「それでよい、いい加減諦めるのだ」
満足そうなグルベールだが、すぐに眉をひそめた。
もう一度膨らむ筈のその身体が、ピタッと止まってしまったのだ。
「……おや?」
「キイ、キイイ」
その尻尾が、強い力で掴まれていた。
掴んでいる存在を見て、エリーナは大きく目を見開く。
「シキ、貴方……」
尻尾を掴むその腕は、シキカイトの腕に変化していた。
だが、シキカイトになっているのは腕だけだった。掴んでいる片腕以外の身体は、シキの姿のまま。
フワフワとした、白い毛に覆われた腕。シキの視界にはっきりと映る。シキは、シキカイトの腕をマジマジと見つめた。
「はは……こんな土壇場で出来たなんてね」
「キイ…?」
興奮の色を見せていた瞳が、速やかに鎮まっていく。
その瞳に映っているのは、シキだけだ。
「ピィピィ」
「ブハッ!」
心配しているのか、次々とシキに近寄って来る動物達。
身体が光に包まれ、白い毛から元の人間の腕に戻ってしまう。
重なっていく動物達の声を聞きながら、シキの意識は薄れていった。
「シキ!!」
全く、面倒なことだった。
グルベールはうんざりしたようにため息を吐き、スッと腕を振り上げる。
「これでもう、止めるものはありませんな。さっさと我が術を」
ザッザッザッ!
クーはしっかりと四本足で立つと、地面を足でかきだす。
「おや、何をしているのか」
「キイイ」
グッと顔を上げ、グルベールを睨む。
そこにあるのは、はっきりとした敵意。
「我が術はどうした?」
もう、動物達の声は眷属に届かない。あの白い獣は、倒れて意識を失っている。
それなのに、何故巨大化しない。何故言うことを聞かない。
「キイイイイイ!!」
クーは、動物達を後ろに前に進み出る。
グルベールを睨むその瞳。怪しい黄色が引き、透き通ったピンク色に変化していった。