第298話 尻尾
「キャンキャン!」
「バハッ!」
「グルル」
草原で戯れる、シキカイトと動物達。
シキカイトはすっかり、彼等に新入りと認識されたようだ。
その光景を微笑ましく眺めながら、エリーナは手すりに腰を下ろす。
「それで、依頼の話なのだけど──テフィさん」
「はい」
見えざる者のようになってしまったという、動物について。
テフィは呼吸を落ち着かせると、口を開く。
「えっと……ほら、シティーの人達が眠ってしまった日があったでしょ?」
「え?」
先日の、リグベリの木のことだ。団員達はおろか、街中の人々が眠ってしまった。
だが、何故その話が出てくるのか。エリーナは困惑しながらも、先を促す。
「あの日、こっちにも胞子が飛んできたんです」
「何ですって!?」
エリーナは血相を変え、手すりから落ちてしまいそうになる。
確かに、ここはシティーの城壁からそう離れてはいない。それでも、シティーの外にまで胞子が及んでいたとは。
シティーは、固い固い要塞に囲まれているのに。
予想外の鋭い反応に驚いたのだろう、テフィは弁明しようと慌てて顔を明るくする。
「大丈夫! 遠かったからだと思うんですけど、みんなすぐ目が覚めたので。そんな、一日ずっと眠っちゃうとかはなくって」
「そう、それはよかったわ」
安堵した様子のエリーナに、テフィも顔を綻ばせた。だが、すぐに不安そうに眉間に皺を寄せる。
「でもその日からなんです、あの子の様子がおかしくて」
「あの子?」
テフィが指差したその子は、手前の柵の奥でひっそりと丸まっていた。眠っているのか、こちらに背を向けたまま。
薄紫の体毛をした、小さなイタチ。
「……あの子なのね」
エリーナはゆっくりと、イタチに近づいて行く。
テフィも、慌ててエリーナ後を追う。通り過ぎる二人に動物達も気になるのか、ジッと視線をぶつける。
シキカイトも、二人をじっと目で追いかけた。
「こんにちは」
背中から影が差し、気配に気付いたのだろう。イタチはピクリと耳を動かし、ヒクッと鼻で匂いを嗅ぐと身体ごと振り向いた。
エリーナは怖がらせないように、そっとしゃがんで視線を合わせる。
「貴方に会いに来たのよ」
二本足でしっかりと立ち、ぐぐっと伸びる背。短く小さな耳で、ひくひくとこちらの様子を窺う。
地面についた長く太い尻尾は、二つに分かれていた。
「ザワトイタチの、クーです」
「クー? 可愛らしい名前ね」
「今は子供でまだ小さいですけれど、大きめの犬くらい大きくなりますよ!」
「まぁ」
エリーナの知るイタチは、そこまで大きくならない筈。珍しい種のようだ。
エリーナは、そっとクーのふわふわした体を抱きかかえた。
「キュン」
感触がしっくりこないのか、小さく鼻を鳴らした。大人しく、怖がっている様子も無い。一見、何の問題も無さそうだった。
その瞳以外は。
「……!!」
エリーナは、黄色く充血したようなその瞳に言葉を失う。
巣を張ったように細かい血管が浮き出て、目を侵食している。黄色い目のイタチ。
今にもぞわりと動きそうな黄色い巣に、心まで冷えてくるようだ。
「これが、そうなのね?」
「はい、あの日からです。そんな目をしてなかったのに……」
確かに、見えざる者らしく見える。言うまでもないことだが、ザワトイタチの血は決して黄色くはない。
これも、見えざる者の仕業なのか。
「お医者様にも診せたんですけど、お医者様も大混乱で」
「でしょうね」
「キュッ?」
心配そうなエリーナの目つきに、クーはキョトンとしているようだ。
特に苦しんでいる様子は無く、無邪気にこちらの様子を窺っている。
「シキカイト、この子よ」
「グルル」
聞こえてるよ、と言わんばかりに不機嫌に喉を鳴らす。
サッサとエリーナに近付き、一気にイタチに顔を近付けるシキカイト。目の前に映る大きなシキカイトに、クーはバタバタと腕の中でもがく。
「キュッキュッ」
「あらあら、怖がらせちゃったわね。大丈夫、大丈夫よ」
「グルル」
エリーナがゆっくりと撫でてやると、気持ちいいのか目をギュッと細める。
それでもシキカイトが近付くと、体をプルプルと震えさせ拒絶した。
「キュッ」
「嫌われちゃったかしら」
これから調査なのに、困ったものね。
エリーナがもう一度撫でてやると、クーは嬉しそうに尻尾を振った。顔をぺとん、と平らにし、エリーナの手にもたれかかる。
「いい子ね」
嫌われてしまい、少し不貞腐れてしまったシキカイト。ふさふさと柔らかい毛が、風でなびく。
エリーナは、すっと瞳の色を冷やした。
「シキカイト、みんなに聞いてくれたのでしょう? どうかしら、何か分かった?」
「グル」
コクリ、と確かに頷くシキカイト。
エリーナはその返事に、軽い笑みを返す。
当然のようにシキカイトと会話をするエリーナに、テフィは困惑してばかりなのだった。