第294話 役立たず
【いずこかの島】
時刻は夕方。真っ赤に染まった空が、分厚い雲に侵食されていく。
「……」
大きな岩に腰掛けたグルベールは、苛立ちを隠せず岩を爪で引っ掻いた。
長い長い爪。ゴリゴリと削る音が水の音を掻き消し、島に響く。周りの見えざる者達は、耳に突き刺さる音に慄き、さっさと身を潜める。
「折角の好機だったというのに」
苛立ちが、空気を凍らせる。
目の前に立つことを命じられたコルピライネンは、おずおずとグルベールの顔を覗き込む。
「あの、どうしましたですだ?」
勿論分かりきっていたが、敢えて尋ねる。
グルベールは嘆かわしいと言わんばかりに、派手にため息を吐く。
「リグベリの木について、お前はどこまで知っていた?」
「ど、どこまで?」
「まさか、クレエールの娘に効かぬとは。挙げ句、団のエースまでノコノコとやって来る始末だ」
まんまと失敗した。思い出しては腹にどす黒いものが溜まり、なんとも腹立たしい。
街中が、確かに眠りについた。人も、見えざる者さえも。それなのに。
「お前も眠ったであろう?」
「はい……ですだ」
さりげなく目を逸らす。飽きてしまうほどこの世で暮らしていても、未だに苦手な事はあるのだ。
流石に勘づいたのか、グルベールの視線が突き刺さる。慌てて表情を取り繕った。
「……コルピライネン?」
「リグベリには、兄弟も怖くて近寄らないですだで。兄弟まで皆眠るとは、流石はリグベリの胞子ですだ」
「ならば、何故あの二人が邪魔してきた?」
これでは、オロロの名折れではないか。
ため息混じりに言葉を吐くグルベールの前で、コルピライネンはさりげなく冷や汗を流す。
口を動かし、なんとか話を逸らせたらしい。
「あの娘はクレエールですだ。それと、もう一人は……」
「どうしたというのだ?」
「ちょっと、気になる話がありますだ」
そろりそろりとグルベールに近付き、耳打ちする。
耳打ちするには、少々長い話。コルピライネンですらも、最近気付いた事実。
「ほぉ……」
そうだったのか。
グルベールは少し驚きながらも、口角をぐっと上げる。弱みを知ったからには、突いてみたくなるもの。
喜び、悲しみ。人の感情とは、なんと脆いものか。
「流石は団のエース、楽しませてくれる」
島の草もはしゃいでいるかのように、ざわざわと揺れた。揺れる草から、兄弟達が顔を覗かせる。
腰をおろしてそっと地面を撫でると、砂がさらさらと流れていく。
「そろそろ、カシュマールを動かしてもよいかもな」
「カシュマールを?」
あの荒くれ者を動かすなんて。
その先を想像し、コルピライネンは身震いする。
「あの役立たずも、少しは役に立ったというわけか」
「ほっほっほっ。そぉれだけではないよぉうですぞよぉ」
ギギギギ。
草を踏みつぶし、掻き分ける金属の体。
機械と木がぶつかり合い、擦れ合う。耳に突き刺さる音に、見えざる者はぎゃあぎゃあと不満の声を上げた。
「マンキャストか」
「小生のハツメイは、すべてオトミイシ」
それを言うならお見通し、だ。いちいち訂正するのも煩わしく、グルベールはじろっと部下を見据える。
「何か見つけたというのか」
「おっほほ。リグベリのせぇいで、なかなかおもしろぉいことが起こりましたぞぉ! ギギ」
そう告げると、片手に持つ分厚い本のページを開く。
出っ張った重い金属の腕が、コルピライネンに当たり、コルピライネンはおずおずと後退りした。
「ほれ、オドドサマ」
真っ白なページに浮かび上がるのは、何処かの邸宅の庭。まるで写真のような、鮮やかな絵が白い地面に浮かび上がる。
爽やかな風が吹く庭。本から聞こえてくる、明るく騒がしい動物の鳴き声。
そして何者かの、泣き叫ぶ声。
「これは……」
これこそ、リグベリの置き土産。
目を奪われた様子のグルベールに、マンキャストは歪んだ笑い声を天に放つ。
「もぉしかすると、兄弟が増えるかもしれないですなぁ!!」
それも、とびっきり特別な兄弟。
ようやく機嫌が治ったグルベールは、満足そうに頷いた。
「そうだな。ならば、このグルベールが迎えに行くとしようか。お前達の新たな兄弟だ、歓迎しよう」
たっぷりと、可愛がってやろうじゃないか。