第214話 泡
「チャーリー、こわいよぉ。チャーリー」
一歩、また一歩。
彼女は怯えながら、辺りを見渡す。だが、いくら見渡しても見覚えの無い景色だ。
一面分厚い、土で出来たような紫色の壁。何かが埋め込まれているかのように、壁に青白い斑点模様があり、まだらな岩がでこぼこしている。
何故かあちこちに、小さくプクプクと泡が立っている。すぐに消えてしまうほど、小さな泡。
どこにでもない場所。まるで、誰かの夢の中を歩いているような。
おぉーん、おぉーん、と遠くから不気味な何かの声が聴こえてくる。
こんなところに、一人ぼっちだ。彼女は抱えているフクロウのぬいぐるみを、ギュッと抱え直した。
「チャーリー」
ぬいぐるみに呼びかけるが、勿論チャーリーからの返事は無い。だが今の彼女の頼りは、腕に抱えるこの友達だけ。ぬいぐるみだけだ。
のぉおおー、のぉおおー。
「……!!」
音が変わった。彼女はビクッと肩を震わせ、立ち止まる。
大きな動物が泣いているかのような。いや、それともお化け。一体、ここには何者が潜んでいるのだ。
このまま進んでもよいのだろうか。折角結んでもらった髪なのに、少しほどけて乱れてきている。
ポコポコポコポコ。
泡の勢いが増し、ただでさえ狭い道の地面に溢れだす。
その勢いに圧され、少女は足を早めた。パタパタと、細かい足音が壁に響く。
──こわい、こわい、はやくかえりたい。もうやだ。
その想いだけが彼女を突き動かし、小さな足をひたすら前に動かしていた。
のおぉーん!
「……!!」
声が、随分と少女の近くから聴こえてきた。思わず足を止める。
いる、近くに。すぐそこの角を曲がった先。
ヒクッと鼻を鳴らす。恐怖に怯えながらも、少女は進むしかないのだ。
コポポポ。
その時、泡で出来た膜がぐにゃりと揺らめいた。
『フフフフ』
その存在は、少女の目に映らないままずっとその場所にいた。
『フフフフフフ』
泡はますます勢いを増し、その姿を隠す。
パシュッ!
少女のすぐ後ろの泡が弾け、細かいシャボン玉になり、空にポコポコと舞う。
何もないのに突然泡の膜が弾け、少女は何事かと振り返った。
だが、何も無い。辺りを見渡してみても、おかしな存在は無い。確認して、少女は少しだけ胸を撫で下ろす。
「だいじょうぶ」
──そうだ。きっと、気のせいだ。
抱えたままのフクロウのぬいぐるみ。ぬいぐるみはいつもの通りふてぶてしい顔のままで、その顔に背中を押されるように、少女は再び足を踏みだす。
「フフフフ」
「え?」
真後ろから、はっきりと聴こえた声。
素早く振り返ったはずなのに、やはり何も目に映らない。確かに声がしたのに。
何かいるのかと、少女は空気を掴むように前に手を伸ばしてみる。おぼつかない手が、空を掴む。
ガッ!!
「!!」
突然何者かに強く腕を掴まれ、彼女は反射的に手を引こうとした。しかし、掴まれた腕はしっかりと掴まれ、動かない。
ザラザラした感触、平べったい手のひら。明らかに、人の腕ではない。
そして、掴まれた手首にじわじわと青いアザが現れる。何かが染み込んでいく如く。
「ヒィッ」
腕から込み上がるように伝わってくる、ジリジリした痛み。
そして、彼女に向かってゆっくりと、何者かの腕が容赦なく振り下ろされた。
狙いを定め、真っ直ぐ。
「……!!」
言葉を口にしようとしても、声にならない。
恐怖のあまり、強く目をつぶった──次の瞬間。
ピシュッ!!
「……え?」
聴き覚えのない細い音と共に、何かがボタッと床に落ちた鈍い音がした。
少女の手首に絡みついていた強い感触から、解放される。泡のように、フッと無くなった感触。
──目の前を、光が通ったよう。
「ひゃあ……」
地面に、指と指の間が繋がった奇妙な手のひらが落ちていた。カエルのような、魚のような。火傷でもしたのか、奇妙にデコボコと盛り上がった手。
少女は、その恐ろしさに震え上がる。
ガサッ!
「だ、だれぇ?」
微かな、動く物音。
上からだ。少女は泣きそうになりながら、恐る恐る真上を見上げた。
「だれぇ……」
「見たらダメ」
長く彷徨ってようやく聴こえてきた、人間の声。誰かが、上から少女を見ている。
「……!!」
しゃがんだ人影。見覚えのある顔に、少女はヒクッと声を詰まらせる。
なんで、ここに。
真上にぽっかり空いた穴で、少女と見えざる者を見据えていたのはルノだった。
「離れて」




