第195話 回転
【ミツナ通り】
「ありぃ、レオナルドくんでねーか」
「うっす!」
「レオ、先々行かないで……」
「おっほお!!」
スパイに気軽に話しかけた街の男は、後ろを歩く美少女に気付き、おかしな擬音を発して後退りした。
美少女が歩く度に、すれ違う民達の目がカッと大きく開き、のけぞる。
先程から、このつまらない繰り返しだ。
まずスパイが話しかけられる、そして美少女が周りをおおいに驚かせる。美貌の暴力ではないか。
人形は、今度はスパイの腕に抱えられていた。
戻ってこい、娘よ。
この若い男、力が強いのだ。鬱陶しい。やはり男の腕になど、抱えられたくはない。
これではたらい回しではないか。せめて、美少女がこの人形を抱えてくればいいものを。
「うぼああ!」
「あ、クリックさん。どもっす」
「レオナルド、今日も元気だね。ナエカちゃんも一緒か」
「こんにちは……」
先程から行く先々で驚くような反応をされるものだから、すっかり恐縮しきっている。
「そうだ、これ持っていぎな」
「え?」
クリックというその男が取り出したのは、両手で持つ小さな鍋。
鍋の中──人形の位置からは見えない。だが、何かが鍋の中でコロコロ転がっている。
「みんなで分けて食べるといい」
「これは?」
「キャラメルだけん、うちのかみさんの特製。甘くておいしいぞ〜」
鍋の中で転がる、コロコロと丸くて小さなキャラメル。角が少し丸い。
スパイも美少女も、わぁ、と声を上げる。
「かわいい」
「オレ、キャラメル初めて食べる!」
「ホントに?」
「あざっす! クリックさん」
「いいけぇ、持ってけ」
スパイは上機嫌で、鍋を抱えた。
いいのか、あの男は奥方には何も言っていないぞ、恐らく。
コラ、脇にこの人形を挟むな。腰が、腰が、ギシギシ痛む。やめんか。
「ナエカからも貰ったし、今日はなんか色々貰う日って感じじゃん〜」
「調子いいんだから」
おい、誰が若造なんぞの元に行くのだ。この人形は貰われてなどいない!
そんな叫びなど届かず、二人が仲良く角を曲がった──その時。
「ハハハハハ!!!」
「ん?」
大きな、笑い声に似た絶叫が通りに響き渡った。
同時に、二人の横を通り抜ける声の主。美少女にぶつかりそうになるほど、ギリギリを駆け抜けていく。
齢五十を超えるかという大男。
ラフなぶかぶかの上着とはとても似合わない、小さな鞄を小脇に抱えている。
……黄色のリボン?
待て、小さな娘が持つような鞄ではないか。なんとも、おかしな趣味を持つ男だ。
そして、路地の奥から聞こえてくる声。
「誰か、捕まえてええ!!」
泣き声混じりの、若い女性の叫び。
「盗みよおお!!捕まえてえ!!」
──なるほど、そういうことか。
人形を抱えたスパイの雰囲気が、冷たく一変する。
「……レオ」
「ああ、行くぜ!」
──カラン。
乾いた音と共に、鍋が地面に置かれた。
……おい、ちょっと待った!
何をしようとしている、何をして、あああああ!!!
予想通り。
人形は、フワッと大きく宙に放り出された。空に舞い、クルッと回転。
やめろおおおお!!!
視界が回る、視界が回る、心臓が何度も飛び跳ねる。
スパイが、ガッと地面を強く蹴って飛び出す。
若く、強い蹴り。
「待てええええ!!」
驚くことに、そばにあった樽を踏み台にして軽く壁を走りだす。
驚いた、なんという運動能力。
離されていた距離を、一気に縮めた。しかし、ややあの男に届かないか。
「おまじない!」
美少女が、後を追いかけながらおかしな言葉を口にする。
すると。
「な、なああ!!」
「うおりゃあああ!!」
離されていた筈のスパイの影が、男のまさに真後ろでぐわっと浮かび上がる。
まるで、瞬間移動。
「はっ!!」
拳一発。
スパイの拳が男の頬にのめりこみ、男はあっけなく地面にダウンしてしまった。
一発で地面に平伏すとは、なんという威力。
「オレ達の目の前で盗みなんて、運の悪い奴っすね!」
「ひぇえ」
そう言いながら、鞄を男からむしりとる。
……あ、こちらのことを忘れていた。
まだ宙に浮いていたのだったアアア!!!
回る、回る、まだまだ回る。
しかし、ぽすっと虚しい音と共に、人形は誰かの手に収まった。
「あり?」
「この人形、ナエカ君のかい? 綺麗だね」
その男は、二人に向かって微笑みかけた。
「ハーショウさん!」