第192話 初耳
【パレス オーガストの部屋】
──何故こうなる、ここはどこなのだ。
人形は、パレスのとある部屋の中央にある、ソファーに置かれていた。クッションに挟まれ、後ろで花瓶が睨みをきかせている。
花瓶に背丈が負けるとは。
クッションの角が人形の目の下に当たり、チクチクとこそばしい。
市場で会った女に、ちょっとここで待っててね、と部屋に置いていかれた。なんと無礼なことか。
カタカタカタ。
抗議の声が、誰にも届かないのがもどかしい。誰もいないのをいいことに、ひたすら体を震えさせ音を立てる。
抗議を送る。抗議を送る。抗議を送る。
──バタン!!
「はぁ〜、ひと段落やな」
その時扉が豪快に開き、何人かが部屋に入って来た。
慌ててピタッと動きを止める。抗議終了。そうだ、人形は器用なのだ。これしきのこと出来なければ、人形ではない。
足音は二人。つい先程見たばかりの服装と同じ、剣の団の団員か。
幸いにも、紛れ込んでいる人形には気づいていない。
「アイリちゃん、ちょっと様子おかしかったねぇ」
キャピキャピした娘が、笑顔のまま下僕の名前を口にする。会話が気になり、さりげなく耳を澄ました。
「やっぱりぃ、バートさんの言葉気にしてるのかな?」
「うーん、それだけやない気したけどな。それでも、気にはしとるやろうなぁ」
知らんかったみたいやし、と付け加える。なかなか賢そうな奴。
……ここでもまた、バート。
人形は心の中で眉をひそめた。ラナマンの倅が、一体下僕に何を教えたのだ。
「ジェイちゃんは知ってたの?……ほら、あのこと」
「聞いたことあらへんわ。考えてみたら、始祖様の話やのに聞いたことあらへんってのが
、おかしな話やねんけどな」
訛りで話す青年の言葉に、うんうんと娘が頷く。
「たしかにぃ〜、何で伝わってないだろ」
「ショウリュウも、知らへんって言うとったわ。流石にオーナーは知っとるかと思ってんけど、オーナーも知らんのやて」
「でも、ホントに聞いたことないんだもんねぇ。ウフッ」
「カリンはアッカーソンやのに、知らへんのか? アッカーソンには、ディックの書があるんやし」
ディック。その名前に、思わず振り向いてしまいそうになる。
ラナマンに続き、今度はアッカーソンか。ここまであっさりと、あの名前を耳にするなんて。
聞いたことない方がおかしな話、とはどういう意味なのか。下僕は、その話を聞いたのだろうか。
「ディック・アッカーソンは勤勉で、よく記録つけてたそうやんか」
「うーん、そのディックの書が全然見つかってないもんね」
「そうなんか。でもディックの書が読めたら、もっと詳しく分かるやろうにな。長生きしたんやし」
「どうかなぁ」
娘は、くるくると目を回して悩みだす。
「だって、アイリちゃんが知らないんだよぉ。ちょっと……おかしくない?」
「せやな」
またしても、下僕の名前。
下僕そのにが、まず知ってるはずの話ということか。
……なんだ、それなら例の倅は悪くないじゃないか。知らなかっただけの話だ。
下僕そのによりも、この人形の方がよっぽどこの世界を知っている。当然の話だ。
「それにや。バートさんの言う通りやったら、なんでオロロは、真っ先にアイリちゃん襲わへんのや?」
オロロ。
告げられた名前に、人形はビクッと肩を震わせ動く。大丈夫だ、気付かれていない。
「でもぉ、ゴーレム──だっけ、いたよねん」
「あれだけやろ。あれは見えざる者の仕業なんかすら分からへんし、仮にせやったとしても、オロロが本気で狙っとるように見えへん」
青年の言葉に、娘はうーん、とますます目を回して考え込んでしまった。
青年も、ドカッとソファーに座り直すと考え込む。沈黙が流れた。
「……クレエールの今の当主は、知っとるんやろうか」
「え?」
「いや、どうなんやろ思てん」
クレエールに関すること、とな。
おい、詳しく聞かせろ。クレエールの娘に対し、なんたる無礼な。いいから聞かせろ!
──ガタッ!!
話しかけられないのがもどかしく、人形はまたも動いてしまった。
「あれぇ?」
「なんか落ちたんちゃう?」
しまった、気付かれた。息を潜め──いや、潜める息は無かった。
訛り言葉の青年が身を乗り出して、こちらを見下ろす。その角度はやめろ。
「何の音や?」
娘が、後ろからひょこっと顔を出した。
「あれぇ、オーガさんってこんな人形持ってたっけぇ」