第182話 窓
「うわわ、ちょっ、ちょっと!!」
アイリは動きだした壺を両腕で抱きかかえ、必死に階段を駆け降りていく。
壺は部屋の中にあった時より、尋常ではない勢いでガタガタと暴れていた。何かをアイリに告げているように。
下手をすると落として割れそうで、アイリは先程から額に汗を滲ませている。
後ろからテンとメメもついてきていたが、ただならぬ事態におどおどしていた。
ズン!!!
「!!」
体の芯から震えるような、パレス全てを揺らす音。
「ま、また?」
壺は暴れ、地面も暴れ。一体、何が起こったというのか。
「アイリちゃん!!」
「姫!」
「ジェイさん、シキ!!」
テレパシーで様子を見ていたのか、ジェイが血相を変えてやってきた。何故か、隣にシキも一緒だ。
「壺が……」
「貸してみ」
ジェイは今だに暴れる壺をアイリから受け取ると、なんとか押さえ込もうとする。壺の動きは、更に激しくなっていくようだ。
「やっぱ、こいつのせいかいな」
「何かあったんですか?」
そうアイリが尋ねると、ジェイは窓の外を顎でしゃくるように指し示す。
「──あれや」
窓に映るその奇妙な光景に、アイリは思わず息を呑んだ。
「あれは!!」
そこには、神々しく仁王立ちする巨大な姿があった。
壺と同じ、瑠璃色の大きな土の像。
のっぺりした顔に、まるで壺のようにふくれた腹。頭からそそりたつ煌びやかな角。
土の魔人か、それとも神か。微動だにせず、堂々とそこに二本足で立っている。
「地震だとおもったら、いきなり現れたんだよ」
アイリも、そしてテンとメメも、あまりの事に大きく目を見開く。
「なんて大きな……」
街の人々の、悲鳴に似た声が窓を通してでも聞こえてくる。大混乱に陥っているようだ。
「幸いまだ動いとらんけどな、いつ動き出すか分からん。あの見た目、この壺が関係あるんは間違いないで」
他の皆は、魔人の偵察に行ったらしい。あの大きさの存在が足を踏み出せば、どれほどの被害になるか。
アイリは思わず、テンの方を振り向いた。
テンには、心当たりがあるのだろう。これまた一生懸命に、身振り手振りで何か伝えようとしてくるのだが──やはり伝わらない。
「どないした、アイリちゃん」
窓の外ではない、全く明後日の方向を向いているアイリに、ジェイは首をかしげる。
「知ってるの?」
アイリが小声でテンに問いかけると、先程より更に大袈裟に伝えようとするのだが、アイリにはよく分からない。
「また幽霊とお話ししているのかな、姫は」
「壺におった幽霊、か」
見かねたのか、今度はメメが前に飛び出してきた。
ジェイが持つ壺に近付くと、口の部分に手を突っ込むような仕草を見せる。見せるのは、ぽっかり空いた壺の中。
壺の、中。
──まさか、あの魔人は。
「元々、壺の中に一緒にいたってこと?」
魔人が、テンと一緒に?
メメが頷き、少し遅れてテンも首を縦に動かす。
「な、なんやて?」
少し呟いただけだったが、二人には聞こえてしまったらしい。
「さっき姫が言ってた幽霊と、あの大きいのが?」
「でも、それがどうして壺から出てきたんだろう」
「そもそも、あれは何なんや。見えざる者やないんは、確かやけど」
そう呟くと、幽霊二人は目を伏せる。どうやら、この問いには答えを持っていないようだ。
勝手に動き出す、不可思議な壺。呼ばれたように現れた、魔人。
その時、アイリは昔、長老と交わした会話を思い出した。
「──アイリや、物は大切にしないといけません」
「はい、長老様」
「物には、色んな人の思いが込められています。長く長く大切にされた物は、やがてご意志を持つようになると言われているのです」
「ゴイシ?」
キョトンとするアイリに、長老は微笑みかけた。
「アイリと同じように、動いたり考えたりする事ができるようになる、ということですよ。そして時に、神様を呼び寄せるのだとか」
「えー、神さま?」
「……ちょっと、見てみたいと思いませんか?」
どこか子供のように笑う長老に、アイリは何を言ってるんだと、ポカンとした顔で返した。
──昔の話だ。だが、今になって思い出す。
あの壺は、古くからラナマンのお屋敷にあったという。傷も少なく、それはもう長く長く大事にされてきたのだろう。
アイリは、バッと魔人の映る窓を振り返った。
「まさか、あれって……」
バグン!!
アイリが気付いた、その時。
同時に、シキの心臓も強く震えたのだった。
「この感覚は……」
それは、見えざる者の襲来を知らせていた。