第181話 予約
【地下 パレスの裏】
ジャージャーと、蛇口から水が流れる音が響く。
「どうでしたか?」
平たい長椅子に眠るように横たわっていたヨースラは、突如口を開いた。その目には布がかけられ、まるで死人のよう。
長椅子の側には、ルノとジェイが控えていた。
その後ろにはバートが不満気に口を尖らせており、お付きの者がチラチラと主人に目配せする。
落ち着け、と。
声をかけられたヌヌレイは、蛇口の栓を閉め、洗っていた器具を手元に置く。
「──ベロアル値、1256。前回より、またグッと数値を上げたじゃないかぁ」
「本当ですか?」
ヨースラは布をパッと軽い手つきで取り去ると、椅子から起き上がった。数値が上がったと聞き、明るい笑みをこぼす。
ベロアル値とは、単純に言えば見えざる者を目に捉える力の数値の事だ。採取された、見えざる者の皮膚組織などを用いて測られる。
ジェイは、ヌヌレイの告げた数値に口をポカーンと開ける。
「1256やて!? 半端ないわぁ……俺なんか、400くらいやったで!?」
隣にいたルノにどうやった、と尋ねると、ルノは呟くように600くらい、と返す。
「ルノで600かいな!! ルノも、俺らの中では視える方の筈やねんけどなぁ」
十分高い数値だ、血が濃いわけではないのに。
感心しきりのジェイに、ヨースラはフフ、と笑顔を向ける。
「商売道具というか、取り柄ですから。この眼が無かったら、ここにはいませんよ」
「まぁ、そりゃそうやねんけどな」
本家の人間ではないのに、恐ろしい数値だ。アイリやショウリュウでも、ここまでの数値が出るだろうか。
「前に測った時は、そこまで数値に変動は無かった筈なんだぁけどねぇ……」
ヌヌレイはそんな会話を他所に、何やら文字が刻まれた紙を眺めながら、ブツブツ呟く。
紙は巻物のように長く、地面につくかという程だ。
「ヨースラ氏は、いつも急に数値が上がる。実に不思議じゃあないかぁ……最後に測ったのは、いつだったかぁ?」
「確か、休止する直前に測りましたよ」
「おぉ、そうであったなぁ。そこからの進歩だ」
「……喜んでいるところに水をさすことだが」
突然割り込んできたバートに、一同が振り返る。
明らかに、顔に不機嫌を張り付けていた。
「この我輩が、ヌヌレイ博士に用があると申したことだが、何故待たされているのか」
「残念だが、我が城は予約制なんだぁ……。ヨースラ氏、ジェイ氏の方が先なのだよ。あと、私は博士違う」
全く気にする様子もなく、いつも通りのニタニタした笑みを浮かべるヌヌレイにバートは更に不機嫌になった。
「予約制やったんか、ここ」
「だからぁ、次はジェイ氏の番だよ」
そう言いながらヌヌレイが取り出したのは、例の血のように真っ赤な石だった。
ジェイが、理由も分からず手に入れた石。その石をヌヌレイがかざすと、皆の表情が一変した。
石は地下であるにも関わらず、照明の光に当たり怪し気な輝きを放つ。
「な、なんですか、その石」
「せやった。ヌヌレイさん、その石どうやった? どういう石なん?」
「これは、だねぇ……」
どう切り出そうかと悩むヌヌレイを他所に、バートが怪訝な表情で石に近づく。
「貸してみよ」
ヌヌレイからパッと石を受け取ると、バートは石の模様をじっくりと観察し始める。
一つ一つ確認する度に、バートは目を鋭くさせていった。
「これは……ヤヤラカの石か? 何故このような物が、ここにある」
「ヤヤラカの石、やて?」
剣呑な表情になるジェイに、ヌヌレイは何故かにっこり頷く。
「流石はラナマンの代表、これはヤヤラカの石だぁ。うーむ……単純に言えば、血の能力を強める物だ」
「はぁ!?」
ジェイも、ルノもヨースラも唖然とする。
かつて太陽の始祖達が、結晶を利用して創り出したと言われる想像上の石。
見えざる者が死んだ時に、生み出す事があるとされる結晶。その結晶と、ヤヒタカバーセン鉱石という鉱石を反応させ、生み出されるのだという。
但し、ある程度数が必要で非効率な為か、記録にも殆ど残ってはいない。実物が目撃された事はこれが初めて、という事になる。
「想像上って……」
ヨースラは、ヌヌレイのその説明に絶句する。
「構成が明らかに、見えざる者の身体の一部と似通っているんだぁ。ヤヤラカに間違いはない」
バートはコクコクと、その通りと言わんばかりに頷く。
「血の匂いがすることよ」
──誰も目にしなかった、未知の物体。
「まさか実在するとは、驚きなことよ」
「こんな物、どこで手に入れたんだぁい?」
「うーん、それが分からへんのや」
「なんと」
ジェイは思わず視線を落とす。
得体の知れない石は、とんでもない代物だった。
この石を持つと、どうも調子が狂う。まさか能力を強める物体だとは、ジェイもルノも思っていなかった。
「……持ってていい物なのか?」
ルノが珍しく自分から口を開き、ヌヌレイに尋ねた。ヌヌレイはその問いにうーん、と眉間に皺を寄せ、唸り声を上げる。
「とりあえず、ジェイ氏が持ってみたらどうかぁ? 今のところは、大丈夫とは思うんだが」
「ホンマかいな……」
ジェイがため息をつきながら、バートから石を取り返した──その時。
グオオオオオオオオ!!!
地下が、いや、パレス全体が震えた。
床も天井も、全てが揺れる。
「今のは、何のことか?」