第180話 関係
【パレス 二階テラス】
「ルノの君」
テラスで一人、ぼうっと街を眺めていたルノは、声をかけられ振り返った。
「随分と暇そうにしていることだ」
「……」
バートはショウリュウのような皮肉を言うと、ズイッと紙袋を押しつけてくる。
見慣れたロゴが入った、大きな紙袋。
「マジェラ商会の会長から、そなたに渡すよう言付かっている」
袋を受け取ると、少し重みがあった。ガサガサと袋の口を少し開け、中を覗いてみる。
ラタノキの芽だ。
まさに、今が旬。魚の尻尾にも見えることから魚の芽、などと言われたりする。
野菜なのに、どこかもっちりした食感が人気だ。最後に目にしたのはいつだっただろうか、目にするのは久しぶりで、どこか懐かさが込み上げる。
「ここに来る前に、たまたま会長に会う機会があったのだが」
パレスに寄るのならついでに、とちゃっかり頼まれた。この珍しい野菜を。
「先日野菜をそなたに贈ったが、それを入れそびれた、とのこと。一番の目玉だったとか」
自慢するつもりが、肝心のラタノキの芽を入れそびれたようだ。
まさかマジェラの会長の口から、この男の名前を耳にするとは思いもしなかった。バートのルノを見つめる瞳が、ぐっと険しくなる。
あの会長は、長くパレスには足を運んでいない。一介の団員が、どうやってあの会長に会う機会を持てるというのか。
ましてや、入って一年しか経っていない彼に。
「そなたは、会長とどのような関係であることか?」
【三階 オーガストの部屋】
「ふぅ」
まさかこんなにすぐ、またこの部屋に来るなんて。
アイリは壺をおろすと、一息ついた。
ずっしりとした重みのある壺を、三階まで持ってくるのはなかなかの重労働だった。腕がプラプラと震え、だるさを伴う。
側には幽霊二人も控えており、アイリの顔を心配そうに見つめる。
「大丈夫だよ」
よく分からないけど、いい子達──違う、いい人達だな。
アイリは、ニッコリと笑顔で返す。アイリにつられたように、二人も笑顔を浮かべた。
安心したのか、二人は大はしゃぎで部屋の中でかけっこを始める。
バートから幽霊の様子を見ろと言われたが、どうせなら二人とお話ししたかった。遊んでみたかった。
周りに皆がいると、どうしても話がしにくい。それで、壷をわざわざ三階まで運んできたのだ。
会話が出来ないのがいっそもどかしい。こちらの言葉は聞こえているようだが、二人の声を聴くことは出来ないのだ。
「そうだ、なんて呼べばいい?」
ふと、思いついたことを口に出す。出してしまってから、変な質問をしてしまったなと反省したのだが。
二人は少し驚いたように目を見合わせ、わたわたと部屋の本棚を探索し始めた。
「本、それをどうするの?」
ここは元々、先代の団長が使っていた部屋だという。
本棚はエイドリアンに関する専門書などが大半を占めていたが、それに混ざって個性的な書物が並べられていた。
『テイクン非偉人全集』、『地平線から来た男』、『しゃべらなければ』、『模索中』、『戻れない島の見聞録』。
『マスタードドーナツ調理法』、『睡眠ビマラサン式覚え書き』、『あなたは何故オーガストなのか』という、持っていかなくてよかったのか疑問に思う書物もある。
その中から、少女がとある書物を取り出し指し示す。
『テンとメメの夢列車』
色とりどりの星と、可愛らしい2匹のクマの絵が表紙を飾る本だ。
手に取って開いてみると、どのページも文章がほとんどなく、絵が見開きいっぱいに溢れている。
数行程の僅だが美しい言葉が、絵の一部のように添えられていた。
「こんな本あるんだ……」
俗に言う絵本、と呼ばれる物だが、アイリは目にしたことはない。
この本の主役である、2匹の人形のようなクマ。テンとメメ。
少女はじっと読み耽るアイリの後ろから、ひょっこり割り込む。
「ん?」
そしてメメの絵を指差し、そして自らを指さす。それを繰り返す。
「……メメって呼んで、ってこと?」
アイリがそう尋ねると、少女は笑顔で力強く頷いた。嬉しそうに。
更に今度はテンの絵を指差し、次に少年を指差す。
その意味を悟り、アイリは顔をパアッと明るくした。
「そっか、あなたがメメちゃん、あなたがテンちゃん! だよね?」
少女はそうそう、と言っているのか、キャッキャッと可愛らしくはしゃぐ。少年は何だその名前、と戸惑った様子で、目をクルクルさせてしまう。
まさか本当にその名前ではないだろうが、名前が決まっただけでも接しやすい。
「私はアイリ、よろしくね」
少女──メメは知ってる、と言いたいのか、軽くウィンクで返す。
少年──テンはまだ戸惑っているようで、メメにチラッと視線を送り様子を窺う。だが、メメの笑顔にホッとしたのか、すぐに笑顔を見せた。
晴れやかな二人の笑顔に、アイリも頬を緩ませる。相手の言葉は聴こえないが、少しは気持ちが通じたようだ。
「二人は、どういう関係なの?」
近づいてそう尋ねると、テンがおどおどする中、メメが再び例の絵本を手で指し示す。
「え?」
また何か、この本にあるのか。
アイリは再び絵本を手に取り、ゆっくりとページを開いてみた。またも鮮やかに広がる、夢のような冒険話。
少し読み進めて、アイリはふと気が付く。パッと顔を上げ、二人の方を振り返る。
「友達、ってこと?」
その答えに、メメは驚きと嬉しさに満ちた表情で拍手を贈ってきた。テンも、ニカッと爽やかな笑みを向けてくる。
正解、らしい。
この物語の中で、テンとメメは友達だ。会った時に涙を流したくらいだから、とても大事な友達なのだろう。
「そっか、友達なんだ」
アイリは、じんわりと小さく呟く。
亡くなって、幽霊になってもこうして出会えたなんて。
「良かったね、二人とも」
──友達、か。
目の前で満開の笑顔で笑い合う二人の姿に、アイリも胸をほっこりさせる。
そういえば、故郷にいる友達は元気なのだろうか。たった一人の友達。多分。
ナエカも、レオナルドも、シキも、ショウリュウだって友達なのだろうか。
トモダチって、よく分からない。
「ん?」
そんなことを考えていると、カタカタと奇妙な音が耳に入ってきた。
どこからだろうか、かすかと言ってもいい小さな音。
アイリは気になり、音がする方向に顔を向ける。
「……あれ?」
瑠璃色の壺が、まるで意思を持つかのように、音を鳴らしていたのだった。
バートが話していた通りに。
テンは、もう壺から出ているのに。