第175話 変
【パレス 三階】
【オーガストの部屋】
「何を考えてるのあなたは!!」
一喝。
目の前で顔に憤怒を貼り付け、冷たい眼差しを向けてくるエリーナに、ルノはただただ恐縮した。
後ろに控えるジェイとヨースラは、久しぶりに見るエリーナの怒気に、おろおろするばかりだ。
「あ、あんな、団長」
「あなた達もよ、ジェイ、ヨー。あなた達がついていながら、何故そういうことになるの。何故目の前で、小さな子が攫われたりするの」
ルノを庇おうとしたジェイだったが、トニーの事を持ち出され口を噤んでしまう。
「……すみません」
後ろで少し顔を青くしながらヨースラが答えると、エリーナは息を吐き、ルノに視線を戻す。
「なんとか収まったから、まだよかったけれど──何故手紙を呼んだ時点で、誰かしらに連絡しなかったの?」
痛いところをつかれ、ルノの表情が明らかに固くなる。それは、後ろの二人も同じ。
正直、頭に無かった。
「あなたのことだから、セロマの文字だけでカッとなって、そのまま飛び出したんでしょう? まさか、鍵もかけてなかったなんて……」
鍵を開けて貰おうと、ベルを呼んだのに無駄骨だった。
まさに図星で、ルノは項垂れるしかない。
「……はい」
エリーナは、再び息をつく。
「ルノ、あなた、少しの間任務から外れなさい」
その言葉に、ルノだけでなくジェイ、ヨースラも目を見開く。
「どのみち、力のストックを全て使い切った状態じゃ、しばらく本調子ではいられないでしょう?」
「……」
また力を貯めなければ。
エリーナはまったくもう、と眉間にシワを寄せたが、すぐに表情を戻す。
「ルノ」
先程とは打って変わり穏やかな声色に、ルノはゆっくりと顔を上げた。
「一年前のあの時。あなたは一人で戦っていたけれど、今はもうそうじゃないでしょう? あなたは、剣の団の団員なの」
──もう、あの時とは違う。一人ではないのだ。
「あなたという存在はあなただけじゃない、団のものでもあるのよ。セロマの事でも関係ないの。あなただけで処理する必要は無いし、そんな事させないわ」
エリーナはそう告げると、今度はルノに笑顔を向けた。
「だから、もっと頼る事を覚えてくれない?」
その言葉に、ルノは言葉も無く頭を下げた。
【一階】
【大広間】
「はぁ……」
深い深いため息。
奥の椅子に腰掛けているルノ。彼は大広間に戻ってからというもの、指を組んで頭をもたれさせ、机に突っ伏していた。
背中に、どんよりとした空気を纏う。
迷惑をかけた挙げ句、アイリに何かしてしまい、今日の任務にも参加出来ず。
「はぁ……」
一人落ち込むルノを心配してか、ジェイもヨースラも後ろであたふたするばかり。
カリンはこの状況をかえって面白がっているのか、わざわざルノの目の前の席を陣取っていた。きゅるんとした瞳で、わざとらしくバシバシと瞬きする。
「何だよアレ、すっごい落ち込んでんじゃん」
ボソッと小声で話しかけてくるレオナルドに、ナエカは苦笑いする。
「仕方ないよ、なんだかエリーナさんに叱られてたみたいだからね」
「やぁ! ルーイ達、おはよう。今日も爽やかな朝だね」
扉が開き、シキが爽やかに広間に入って来た。じめっとした空気の中でも、気にせず堂々と割り込む。
「シキ、おはよう」
「おはよう、姫。今日も美しい──あれ?」
シキは集まっている皆を見回すと、首を傾げる。
「坊やは? 嫌味の一つでも、飛んでくるかと思ったのに」
遅れる、とヨースラが説明すると、怪訝な表情になった。
あのショウリュウが遅刻とは、珍しいこともあるものだ。真面目な彼はいつも、誰よりも先にパレスに来るのに。
「ルノくんが変だし、坊やは遅れるし、パレスの前に変な車も止まってたし、今日はなんだか変な日だね」
「変な車?」
大きな赤い車が、堂々とパレスの前に止められていたらしい。年代物の高級品だったと語る。
レオナルドも思い出したようで、ポンと手を叩く。
「ああ、あった。やたらデカい車だったんすよ、前の車輪が妙に大きくて」
大きくて赤い、年代物、大きな車輪。オーナーの客人の車だと思っていたが。
そこまで告げると、エリーナが一気に眉を寄せた。
「……随分前に、似たような車を見た気がするのだけれど」
「なるほど。団長殿にとって、一年と九ヶ月前は随分前、ということか。よく心に留めておくことだ」
その言葉がソファーから聞こえてきた瞬間、一同は大騒ぎになった。
「きゃあああ!!」
「ええええ!??」
「のわあああ!!」
「ヒィイ!!」
いつの間にそこにいたのだろう。エリーナの隣に、平然とした様子で座っている男がいた。
皆が度肝を抜かれ、飛び上がる。
ハーショウと、歳が近いように見えるその男。顔の半分は隠れてしまうほど、伸ばした前髪を左手でパッと振り払う。
「ちょ、誰だよ!??」
「誰ですか!?」
「……誰かと?」
隠れていない右側から、痩せた頬と目がギョロリと覗く。
ジェイは、呆然と男を見つめた。
いつのまに! リュート起こしたせいやろか、気づかんかった……。
男はそんなジェイの動揺とは裏腹に、皆の前に進み出る。
「誰、とは誰がことか。我輩に無礼は許さぬことだ。これが団の歓迎の仕方であることか?」
古めかしい奇妙な言葉で話す男は、不満気に一同をジッと見回す。
口調の割にその見た目は現代風で、着込んでいるのはキウイ色のスーツ。
その後ろには、お付きの人らしきスーツの男性も控えていた。こちらはこちらで、いきなり声をかけた主人に困惑したままだ。
どこから口を出せばよいのか分からず、一同は戸惑いを隠せない。
「バート社長」
エリーナが告げた名前。
バートはフンッと鼻で笑うと、ギロッと彼等を睨む。
どこに隠し持っていたのか、規格外に大きなスプーンをマジックのように取りだした。
「フッ!!」
そして、スプーンを意気揚々とかかげ、皆に見せつける。
「フッ!!」
「……?」
しかし、特に何も起こらない。
まるで、どこぞの幟でも立てているかのよう。
「……」
「……」
その時ようやく到着したショウリュウが、息を切らしながら広間に駆け込む。
静止図のように固まる一同の姿、そしてまだスプーンを構えているバートの姿に、あんぐりと口を開けた。
「遅かった……」