第165話 壁
【とある部屋】
コッコッコッ。
「なぁ、トニー、トニー!!」
揺さぶられる肩、聞こえてくる焦ったジェイの声。トニーはゆっくりと意識を取り戻し、瞼を開けた。
「あ、ジェイジー」
「大丈夫かいな」
「だいじょうぶだよ、ちょっと頭がクラクラしたんだ」
酸素が薄くなっているのかもしれない。密閉されたこの部屋では、酸素はどんどんなくなっていく。
トニーは目がしょぼしょぼする、としきりに目をこする。そんな仕草も、ジェイの焦りを加速させていくのだ。
「……」
「ジェイジー?」
どないしたら……。
言葉を発しない彼を不審に思ったのか、トニーが顔を覗き込んでくる。だがジェイには、言葉を返す余裕が無かった。
コッコッコッ。
またあの音が聞こえてくる、そろそろ耳障りな音になってきた。
「ジェイジー?」
それでもトニーは、めげずにジェイに声をかけてきた。
「なんや」
「ボク、いいのもってる」
そう告げながら、ズボンのポケットをごそごそと探る。取り出したのは、小さな飴玉だった。水玉模様の包装紙が可愛らしい。
「ガーデンからもってきたんだよ。ロットマイヤーさんがね、こっそりもってるおやつ」
ガーデン、というのは恐らく、彼が預けられている施設の名前だろう。ジェイは飴玉をマジマジと眺める。
ムアチェレのせいで、飴玉は少々嫌いになってしまった。
「こんなちっちゃいの、見えへんのによお見つけて持ってきたな」
「いつも同じとこにおいてあるんだよ、分かるんだから」
そう言っていたずらっ子の笑みを浮かべると、そっとジェイの手に差し出してきた。
爽やかなトニーの笑顔。だが、ジェイはヒラヒラと手を振り断る。そのまま返してしまった。
「勝手に持ってきたんやろ? 食べたら、俺も怒られるやんけ」
「えー」
「ほら」
ジェイが促すと、トニーはそろそろと床に座り込んだ。不貞腐れると、ひょいと飴玉を自分の口に放り込む。
ジェイもそれに倣って、なんとなく床に腰掛けた。
……ちょお待て、こない呑気でええんかいな。
「来る時に、ララにもあげたんだ~」
飴玉を手にニコニコと笑うトニーだが、自ら出した言葉に顔を暗くする。
「あの悪い人、言ってたね」
──キミ達さぁ、誰のせいで今そこにいると思っているのかな?
セロマの言葉だ。
「やっぱり、ララが」
そこから先の言葉を紡ごうとしたようだが、言葉が出てこない。
ララが話していたタヤローパの話は、嘘だったのだ。タヤローパなど存在しない、それこそが罠。ジェイを誘き寄せる為の。
ジェイはパレスに押しかけてきた時の、必死なララの表情を思い出し、ギュッと口を結ぶ。
「どうかお助けを、助けてください!!」
考え込み、俯いたままのトニー。ジェイはトニーの方に向き合うと、口を開く。
「ララさんにガッカリしたんか?」
「……」
言葉を返さないトニー。トニーが表情を動かさないので、ジェイは思わず苦笑した。
「何でやねん、褒めたれや。皆の為に頑張って嘘ついたんやで?」
「え」
トニーはパッと顔を上げる。
「嘘つくってな、勇気いるやろ。嘘つくんは悪いことかもしれへんけど、ララさんは何で嘘ついたんや?」
「何でって」
「見えざる者が教会を襲ったんは、囮やった。本当は俺をここに閉じ込めるんが、セロマの目的やった」
──失敗したら。ジェイを連れて来れずに計画が失敗した時に、教会の人達はどうなるのか。想像するのは難しくない。
「じゃ、じゃあララは、みんなのために」
「そうやと思うで、脅されとったんちゃうか? ララさんがあいつらの仲間なわけないって、トニーの方が分かるやろ」
団に悟られないように。教会の人達の為に、必死で嘘をついたのだ。初対面の自分達に。
だが、トニーまで連れ去られたのは予想外だっただろう。きっと心配しているに違いない。
「ララ……」
「ララさんの為にも、こっから出な」
「うん!!」
トニーに笑顔が戻り、ジェイもホッと胸を──撫で下ろしたのはよかったが。
「出なあかんねんけどな」
状況は変わらない。さっぱり出口が分からず、酸素が薄くなっていく状況のまま。
このままここにいては、セロマの思う壺だ。
「はよここから出な……」
「うーん。部屋の外にいる人にさ、ここにいるよーって言えたらなぁ」
「そら無理や、こんな壁分厚いんやし」
そう答えたが、トニーは構わずスクッと立ち上がる。右側の壁に足を進めた。
「こっちのむこうがね、外なんだけど」
「……は?」
あっさりと言うものだから、ジェイはギョッとしてしまう。
「なんやて?……今、なんて言うた?」
「このかべをね、バーンとこわしたりとかさ。あ、川が流れてるよ。川の近くなのかな?」
──さっきから、この子は何を言っとるんや。
うきうきしながら、おかしなことを言うトニー。何か壁から聞こえてくるのか、とジェイは壁に近づく。
だが、やはり何も聞こえない。外の事など、何も分からない。
分厚い壁で仕切られているのに、何が分かるのか。能力も反応しないままだ。
「川の近くって、ホンマなんか?」
「ホントだよ! 水が流れてるよ、ボクには分かるんだから」
この子は……。
自信満々にカラッと笑うトニーを、ジェイは呆気にとられて見つめた。
もしそれが事実なら、リハ大橋の近くか。
「この煉瓦の壁、変な音、川の近く……」
気になり、ジェイはもう一度壁に近づいてみる。
そして、一瞬で顔色が変わった。
「……!!」
壁とトニーを、パッと交互に見返す。
「ジェイジー?」
不審に思ったトニーが、キョトンとこちらを見つめている。
『これ、聴こえるか?』
「ひゃああ!!」
頭に突然響いてきた声に、トニーは仰天して飛び上がった。脳に突き刺さるような声。
「聴こえたやんな?」
改めて聞いてくるジェイに、トニーは動揺したまま、ガクガクと首を縦に振った。
──能力が使えなくなったわけやなかった、部屋の中で封じられとる……?
ジェイはバッと壁に駆け寄り、部屋をもう一度見渡す。
部屋の角の部分、天井に沿って細い管が走っていた。
「よし」
ジェイはその管に近づくと、突然勢いよく管にキックを喰らわす。
ガガン!!!
「ええ!? なにしてるの!?」
「トニー、ちょい手伝ってーな」
口の口角が、ギュッと上がる。ジェイは得意満面の笑みで、振り返った。
「ここから出れるで!!」