第164話 沈黙
「これが、去年の話よ」
ベルの話に、アイリはただ無言で聞き入っていた。ナエカとレオナルドは話をとうに知っているのだろう、その側で顔を曇らせている。
シキは後ろにあった椅子にどっかと座り、考え込む。
「そうか、あの時の彼か……。決勝に進んだもう一人の」
「そうよ、あいつがセロマよ」
「その人は……どうなったんですか?」
アイリは重く口を開いた。彼はすぐに病院に運ばれ、命に別状はなく障害も残らなかったという。
膨れ上がったルノの黒曜の力を直接食らったのだ、幸運であっただろう。
「あの男は、あいつを麻痺させようとしたってわけ。針でも仕込んでたんでしょうけど」
当然だが、大会では能力以外での戦闘は禁止されていた。それを彼は破った。
よりにもよってルノがダイヤを生み出していた、まさにその瞬間に。
結果、ルノの力は麻痺で暴走。セロマはその反動を喰らい、大怪我を負った。民の目の前で。
大騒ぎになり、50期生は合格者無しになるところだった。だが結局、当時の団長のオーガストがルノが欲しいと譲らず、ルノだけが50期生に選ばれた。
政府としてもルノはともかく、セロマを団員にするわけにはいかなかった。
だがセロマは、後になって主張し始めたのだ。自分に大怪我を負わせた、力のコントロールも出来ないような彼が、何故選ばれたのかと。
「本当に、下衆な野郎よ」
「ゲス?」
「最低の男ってこと」
世間はルノや団よりも、セロマの主張を支持した。針が飛び出した場面がテレビに映らなかった事、搬送される様子が度々放送された事、それらが後押しとなったのだ。
あの時ルノがギリギリのところでコントロールしなかったら、怪我を負ったのは一人では済まなかったにも関わらず、だ。
そして、ルノは民からこう呼ばれるようになった。悪夢の50期生、と。
「セロマという人は、どうしてそんなこと……」
「さぁ、分かりたくもないし。確実に勝ちたかったから、とかじゃないの?」
あっさり答えるベルに、アイリは次の言葉が出てこない。
思い出すのは、会ったばかりのあの路地裏での出来事。荒くれ者達に殴られても蹴られても、ルノは何も抵抗しなかった。
ルノさんは団に入ってからずっと、あんな目に。ルノさんは、何も悪くないのに。
「あの舞台に立っていた人なら、みんな知ってるわ。誰のせいでそうなったかをね」
確信めいた物言いに、レオナルドは首をかしげる。
「うーん。ベルさん、妙に詳しくね?」
「妙にって何よ、新入りのくせに!!」
ベルの強い物言いに、一同はギョッと仰け反る。
「お、おお」
「そりゃ、当たり前でしょうよ」
ベルはすっと表情を元に戻す。その瞳に、暗い影が宿った。
「あたしは、あの場にいたんだもの。裏方としてじゃなく、出場者としてね」
皆が驚き、目を大きく見開く。
「ベル・サイラス!!……そうだったのか」
「そうだ、ベルって名前の人いた」
「そうよ、これでも準決勝まで進んだんだから」
ナエカは、ベルに初めて会った時の事を思い返す。
顔を見た時、どこかで見た顔だと。そうだ、あの時舞台にいた子ではないか。出演者の中に並んでいた、勝ち気な金髪の少女だ。
一方、それまで黙っていたシキが口を開く。
「そういえば準決勝って、その彼とルノくん以外、いきなり脱落しちゃったんだっけ」
「あ」
気が付いたら大勢倒れ、残ったのがルノとセロマのみ。もしかして、とナエカが尋ねると、ベルも強く頷く。
「麻痺させられたのよ。突然身体がビリッと痺れて、気付いたら床に倒れてて」
恐らく同じ手口だ。
準決勝で上手くいったから、決勝でも上手くいくと踏んだのだろう。だがセロマにとって、予想外の結末となってしまった。
ベルだけでなく他の出場者も、セロマの仕業だと抗議の声を上げていく。セロマの言い分はおかしい、と。
「でも、みんな信じてくれなかった。正直に言っていいんだよ、とか、団の人から何か言われたのか、とか。そんなありがたーいお言葉ばかり、あたしの親ですらね」
そんな世間や、身内の言葉にうんざりした。あんなやり方で夢を奪っていった男を、国民は信用してしまったのだ。
──見えざる者に苦しむ人々を想い、意を決してあの場にいたのに。
吐き出す様な言葉に、アイリもナエカもレオナルドもシキも目を伏せ聞きいる。
「イヤに決まってんでしょ、そんなの。誰が、あいつらの為に戦うかっての」
「そんな……」
それでも団への気持ちが抜けず、こうして事務員として働いている。
「あたしはね、あいつはすぐに辞めちゃうでしょ、と思ってたわけ。でも」
あれだけ世間から非難を受けたにも関わらず、ルノは見えざる者を倒し続けたのだ。
何も弁解せず、沈黙を貫き、ひたすら民の皆を救った。新人としては異例な数の、見えざる者を討伐。
集めた新聞記事を思い返して、ナエカも思わずポツリと呟く。
「凄かったもんね、ルノさん……」
「な、連日報道されてた」
毎日のように罵倒され、ヤジを飛ばされ。それでも何も言い返さず、見えざる者を倒し、終わったら静かにお辞儀。
そんなひたむきな姿に、ようやく世間の目も変わっていった。
そしていつの間にか、団のエースになっていたのだ。皮肉にも、ミライアムが目指した通りに。
ルノを非難する声も、驚く程減ったという。セロマが何回も主張をし過ぎて、世間から飽きられたという事実もあった。
「今回あの馬鹿が動いたのは、そのせいなんじゃない?」
もう一度、あの時に戻したいのだ。民に同情され、多くの人が味方してくれた、あの時に。
「……どんな気持ちだったんだろう」
ナエカの言葉に、皆が振り向く。
「自分に石を投げてくるような人達を、守り続けるのって」
アイリは、言葉に詰まってルノの顔を思い浮かべた。
皆がその問いに答えを出せない中、ベルが神妙に頷く。
「そうね。でも最近さぁ、あたしちょっと思うのよ」
「え?」
「あいつにはもしかして、どうしても団にいなきゃいけない理由でもあるのかもーって。そうじゃなきゃ、ちょっと癪じゃない?」