第152話 依頼人
──教会の人達はもういない。目の前の見えざる者は、確かにそう告げた。
珍妙な言葉を話す見えざる者だった。
濃い色の皮膚が全てよぼよぼでだらりと垂れ下がり、しわくちゃだらけ。かろうじて人に似た見た目をしているが、千歳の人間だと言われても信じてしまいそうだ。
バルーンから垂らした糸を力強く掴みながら、こちらを冷たい目で見おろす。
「誰や?」
警戒しながら尋ねるジェイの隣で、ヨースラはスッと小刀を構える。
視界に入ってきた刀に、ララは慌ててトニーを後ろに退がらせた。トニーの目には、刀は見えないけれども。
「誰やねん」
「ケヘッ! ムアチェレ、といいますや」
「ララさん、あの人見えへんやんな?」
ジェイの問いかけに、ララは首を縦に振った。
「は、はい。見えません」
不思議な事に、上空を覆うバルーンは目に入っている。だがしわくちゃのその姿は見えず、ただ声が上から降ってくるだけだ。
「見えざる者、確定ですね」
見えざる者、という言葉にララはビクッと肩を震わせる。
人の目には映らない化け物、ここからは二人の仕事だ。
「教会の人がもうおらんって、どういうことや?」
「ケヘヘッ! みなしゃんがここに来るのは、とっくに知ってたですかいよ。最初から奴らは、ここには来ないですかいや」
「最初から来ない……?」
──では、そのバルーンの中にも誰もいないのか。攫われた教会の人達も。
ニンマリと笑みをこぼす見えざる者を、ジェイはキッと目を鋭くして見据える。
「何が狙いや、何の為に教会の人らを連れ去ったんや!?」
「ネライ? うーん、あっしゃに聞かれても」
軽くとぼけてみせる。どうやら、彼に聞いても埒があかないようだ。
「トニー!」
「!!」
恐怖で固まっていたトニーは、ジェイのこちらを呼ぶ声にハッと顔を上げた。
「会ったら分かる、言うとったな。どないや、コイツが教会の人ら攫った奴なんか?」
そう問われ、トニーは声のした方向に見えない目を向ける。ゆっくりと揺れる、色の無い瞳。
「……ちがう」
トニーは震えながらも、ハッキリと口にした。
その答えにジェイもヨースラも、そしてララも目を丸くする。
「違うんですか?」
「ちがうよ、この人じゃないよ」
と、いうことは。
「仲間がおるんやな。そいつが、教会の人らをまた別の場所に連れて行った」
「ナカマって……ああ、イライニンのことですかいや。イライニンなら、今は向こうで楽しんでるかもですかい」
「依頼人?」
仲間、ではなく依頼人。依頼人、という呼び方が引っかかる。まさか。
「依頼人って、そいつの頼みで教会の人らを連れてったんか?」
「……え、イライニンって、そういう意味なんですかい?」
ポカン、と目を開ける見えざる者。その顔が、ジェイの指摘を肯定していた。
悟られたと知り、見えざる者は僅かに顔を歪める。
「イライニンと、イライニンが自分でそう呼んでましたかいよ。イライニンに、たくっさん言われたんですや」
頼み事をされた、驚くほど多くの頼み事。彼は話を聞いて、面白そうだとイライニンに協力することにした。
トニーはこう言った。教会の人達を攫った犯人は、人間だと。
「その依頼人は、人間なんやな?」
「ケヘッ」
もう隠すつもりはないらしく、軽く頷く。
「でも、見えない相手に依頼なんて」
「俺らがおるやんけ。つまり、エイドリアンなんやそいつも」
ヨースラは、ジェイのその言葉に絶句した。
──エイドリアンが、一体何故。見えざる者に、街の人がどれほど苦しんできたか。
それなのに、化け物と手を組んだのか。
「ほな、教えてもらおか。そのイライニンの名前は?」
「……へ?」
射抜くような視線を受けながらも、動じていないようだ。ムアチェレは笑みを浮かべ、わざとらしく思い悩む素振りをする。
そんなムアチェレに、ジェイもギラついた笑みを返す。
「そない悩まんでええやんけ。お前さん達のことや、イライニンなんてどうでもええんやろ? おもろかったら」
あくまでも軽い口調だが、有無を言わせぬ威圧感にララは震えた。
顔が見えなくても、感情は伝わる。トニーも、冷え冷えしたジェイの雰囲気に体をすくめた。ゴクリと唾を飲み込む。
「……あっしゃは知らないですや」
「お?」
次の瞬間。
ムアチェレは上空のバルーンから、ピョンと大きくジャンプした。飴だらけの足で、動けないジェイの元へ。
予想外の行動に、ジェイは思わずのけぞる。
ムアチェレはジェイの目の前に着地すると、醜いその顔をググッと近づけた。
「イライニン、セロマっていうみたいですや。知らないですかい?」