第144話 教会
【コドマ通り】
【マヤ教会】
「おはようございます」
「おはようございます」
礼拝の日。この辺りの教会はここだけで、今日も年齢問わず多くの人で賑わう。それでもここは教会で、人は多いが厳かな雰囲気を醸し出している。
「ふぅ……」
信者達が続々と教会に入っていくのを見送っていたそのシスターは、疲れたように小さく息をついた。
教会に勤め始めたばかり。新米である彼女は、教会を訪れる人の多さに辟易していた。もう何度挨拶したか分からない。
笑顔が疲れることを、知りたくはなかった。
「ララ、おはよう」
「ひゃっ!!」
少しぼうっとしていたララは、突然声をかけられ飛び上がる。目の前には、最近仲良くなった馴染みの少年が立っていた。
「ト、トニーくん!! おはよう」
「ララ、どうしたの? そんなにビックリして」
トニーというまだ10歳ほどの少年は、ララに向かって茶化すようにニヤリと笑う。
その手には、この街では見慣れない杖が握られていた。
「そ、そりゃビックリするわよ……」
彼は身体こそララの方にはっきり向けられていたが、瞳の焦点が合っていなかった。微妙に瞳が揺れている。
そう、盲目なのだ。にも関わらず彼は、いつもの通りララに自分から声をかけてくる。これが不思議でたまらない。
彼は、癖のようにまぶたをすっとおろす。
「ミサ、まだはじまってないよね? よかったぁ」
ララは、そんな彼をマジマジと見つめた。
今日もトニーのくるくるとした癖っ毛が、柔らかくふわふわ揺れる。
「本当に不思議ね、どうして私だって分かるの? 目が見えないのに」
「へへん、いつも言ってるでしょ。見えてないけど、分かっちゃうんだ。ボクは」
トニーはえっへんと胸を張る。
元気なトニーにララもホッとするが、いつもの彼とは少し違うことに気付き、キョロキョロと少年の周りを見渡す。
「そういえば、ロットマイヤーさんはどうしたの? いつも一緒なのに」
「それがね、ロットマイヤーさん用事があるんだ。だから、今日はミサに行けないって言われちゃって」
「あら!!」
ララは驚いて口元をおさえた。
ロットマイヤー、というのは彼が預けられた施設の職員だ。大柄の中年女性で、いつもトニーの面倒を見て寄り添っている。
彼女がいないとなると一大事だ。目が見えず危険がつきまとうトニーは、彼女と一緒でなければ外には出てはいけない。
そういう約束だと聞いたが。
「それでも教会に行きたかったから、がんばって来たんだ。えらいでしょ、ボク」
「……ひとりで?」
「うん!!」
そう言って、また得意げにニカッと笑う。
そんなトニーとは対称的に、ララは胸の中にどんどん不安が立ち込める。
「ダメじゃないの、一人で勝手に来たら!! 施設の皆さんも心配なさるじゃない」
そもそも、どうやってここまで一人で来れたのだろう。こんな小さい目の見えない子が。
ララの頭の中は、すぐ混乱に満ちていく。
勝手に施設を抜け出すなんて。施設に連絡するべきなの?
いや、なんだかんだで一人で来れたのだし……。
トニー本人としては自慢したつもりだったのだが、ララの反応は浮かない。トニーは少々むくれてしまった。
「なんで~! ボクがんばって来たんだよ、ララはほめてくれると思ったのに」
「まったくもうー。施設の皆さんに黙って来たんでしょ、今頃大騒ぎかもしれな──」
「!!!」
その時、突然トニーはビクッと身体をすくめた。
「え?」
その顔はどんどん恐怖で白く染まっていき、足がガクガクと震えだす。
色を見せない筈の瞳に、恐怖が貼り付けられた。
「……トニーくん、どうしたの? 大丈夫!?」
ララは伝染するように強ばりながらも、トニーの肩に手を置き声をかける。
トニーは再び身体をビクッとさせた。
恐怖で口も上手く動かないようだ。ゆらゆら揺れる瞳を、これ以上なく大きく開かせたまま。
「トニーくん、トニーくん!?」
ララの焦ったような大きな声に、周りも何事だと目線を彼等に向けている。
「………何か来る」
「え?」
「何か来る!! ララ、にげて!!!」
トニーが叫んだその瞬間。
ぐわっ!!
「きゃあああ!!!」
「な、なんだあれは!!」
「落ちてくるぞおお!!」
教会の真上に、大きな大きなカラフルなバルーンが現れた。
まるで、気球のような。
「ぎゃあああ!!」
瞬きする暇も無く。
教会は、一瞬にしてすっぽりとバルーンに吸い込まれた。
そこにいた人々を、丸ごと飲み込んで。