第135話 球
【パレス 裏】
【地下 四階】
「おまじない!」
誰もいない地下の部屋で、ナエカの声が高く響く。
──どうか、どうか。
離れた別の場所にポトリと落ちるはずの球は、自然な弧を描いて綺麗に地面に落ちた。
予定から外れた美しい曲線を描き、コロコロと虚しく転がっていく。
「また外れた……」
今日は、いつもより更におまじないが当たらない。リンゴの言う、熱情が無いからなのか。
これでもう、何回目だろう。
「……」
拾おうとした球を思わず、足の先でコツンと蹴ってしまう。
思い出すのは、女史学舎にいた頃。
「ほら、見てよ」
「う〜わ、あの子また親と一緒なの?」
「一人で来れないのかなぁ、おバカみたい」
「甘やかされてんのよ」
「聞いた? あの子の親、また学舎にお金出したんだって」
「あー!! どうりで先生、あの子ばっかり!!」
「そうそう、あの子ばっかり褒めてるし。大したことなさそーなのにねー」
周りを囲む言葉は、いつもそんな言葉ばかり。妬みから生まれた言葉の棘ばかりが、ナエカに遠慮なく刺さった。
その隣で、親は何故か満足そうにニコニコするばかりだった。
でも、不満なんて言えるわけない。親が出してくれた金額を思えば。
長年女児を望んでいた両親にとって、ナエカは待望の娘だったのだ。蝶よ花よと育てられ、溺愛された。
歳の離れた兄達には、よくこう言われた。
「ナエカはいいよな、俺達はずっとほったらかしだよ」
「父様や母様に何でもしてもらえるもんな」
何でもしてもらったナエカにとって、親に反抗するなんてあり得ないことだった。
ただ、あの時だけは違った。ハーショウが、シュヴァン家を訪れた日。
「お願いします、剣の団に入りたい!」
目に星を抱えたまま、日が暮れても親を説得した。
幼い頃から大好きな剣の団。剣の団という存在は唯一、そんなナエカの鉄則をひっくり返してみせたのだ。
それなのに。
「こんな力……」
何故ハーショウさんは、私を団にスカウトしたのだろう。私の力って、こんなのなのに。
こんなに役に立たないのに。
ナエカは、蹴ってしまった球をようやく拾い上げた。
「ナーエカ」
ナエカは、聞こえてきた声に驚いて振り向く。おどけた、明るい声。
「レオ」
「こんなとこに一人とか、寂しいじゃんよ」
レオナルドはニカッと笑うと、そばに転がる別のボールを拾う。
「もしかしてさ、練習?」
「ん、まぁ」
戸惑った様子のナエカに、レオナルドは目配せして促す。気にするな、続けろと。
恐る恐る、球を抱えるナエカ。レオナルドは観客のように、どっかとその場に腰をおろしてしまう。
いつもの光景ではあるが、先程まで感傷に浸っていた身としては、ちょっぴりやりづらい。
「おまじない、おまじない!」
その後もレオナルドの前で何度か連発したが、上手く術がかからない。
焦りが出ているのか、やればやる程確率が落ちているようだ。必死なナエカを、レオナルドはジッと見つめる。
「もしかして、ショウリュウの言ったこと気にしてんの?」
「……何が?」
ナエカは軽くそっぽを向くと、再び当たらないおまじないを唱えた。
ちょっとムキになっただろうか。おまじないにかからなかった球が、またも転がっていく。
ぼうっと練習を見ていたレオナルドは、ふと口を開いた。
「なんかさあ」
「何?」
「ナエカって外というか、本番の方がおまじない当たってないかぁ?」
「え?」
予想外の言葉に、ナエカはポカンとなる。
「本番……?」
シキが狙われたあの時は、確かに外した。
だが、ショウリュウとアイリがゴーレムに襲われた時。レースの見えざる者が、パレスに侵入した時。
更に、自身のニセモノと遭遇した時。
そのいずれも、ナエカはおまじないを成功させたのだ。ニセモノと遭遇した時に至っては、ピンポイントで飴をぶつけている。
「そう、かな」
「そうじゃん! うーん、何でだろ」
本番と練習で、何が違うと言うのか。勿論、練習より実戦で成功した方がいいのは当然だが。
「本番に強いナエカが、あの時は上手くいかなかった」
「あの時、か」
あの時は……そう、確か一人で、赤ん坊のお母さんのそばにいた。
「おまじない!」
必死に叫んだ、あの瞬間。
今までの瞬間と、あの時の瞬間。
違うこと、何があっただろう。
「……!!」
「おっ!」
ハッと開かれたナエカの目に、みるみる色が宿っていく。
レオナルドは、ニッと笑みを返す。
「もしかしたら!」