第132話 瞬間
「アイリちゃん!!」
ナエカの絶叫が響く。
ガッシャーーン!!
細いアイリの体は吹き飛ばされ、停めてあった自転車に激しくぶつかる。
横倒しの自転車ごと石畳の通りにぶつかり、叩きつけられた。倒れた自転車のタイヤが、虚しく横向きに回転する。
「アイリ!!」
「大丈夫か!?」
「イタ……」
アイリには、何が起きたのか分からなかった。打ちつけた背中が、じんじんと痛みだす。
腕が赤い血で薄く滲む。確かに目の前に、見えざる者と赤ん坊がいたのに。
「ピャアアアアア!!」
背後から聴こえてくる声。
アイリはハッと後ろを振り返った。目の前にいた筈の見えざる者が、アイリの真後ろで大声を上げている。
口元を吊り上げる見えざる者に、アイリは状況を察して目を見張った。
見えざる者がどうやってかアイリの背後に瞬間的に移動し、その足で蹴り上げたのだ。
「そんな!」
ショウリュウは、ただ呆然としていた。
──術で足を固定したのに、どうやって術を。あの風は、瞬間移動だって防ぐんだぞ!
「そうだ、赤ちゃん!」
アイリは赤ん坊の存在を思い出し、慌てて目を向ける。
幸い、赤ん坊はまだ見えざる者の腕中に収まっていた。今にも泣き出しそうに、むずむずと目をつぶっている。
「よかった……」
だが先程より位置がややズレてしまい、赤ん坊はいつ落ちてもおかしくない。
「もう一度!!」
「ピャアアアアア!!」
見えざる者は再びホイッスルを鳴らすと、グワッと割れた顎を大きく開けた。
「きゃあ!!」
細かくギザギザした不揃いな歯が埋め尽くした、針の山。
がっぽりと開けた口の奥に、ゆらゆらと揺れる光が現れた。オレンジの、炎の光。
「……来る!!」
追い討ちをかけるように、丸く大きな火の玉がいくつも放たれる。
パキュン!! パキュン!!
「うわっ!!」
「ギャン!!」
「ひゃあ!!」
いくつも弾ける小さな花火。アイリは痛みで起き上がれなかったが、転がってなんとか交わす。
すぐ横で火花が弾けた。
身代わりになった自転車のフレームがぐにゃっと曲がり、アイリはギョッと顔をひきつらせる。
「グルルル!!」
「シキカイト!!」
一か八かだったのだろう、シキカイトが見えざる者に向かっていく。
見えざる者は手にしていたそれを、ついにポイッと放り投げた。手にうざったく乗る小さな重み。
──そう、赤ん坊を。
「赤ちゃん!!」
アイリが悲鳴に近い声をあげ、ナエカ、レオナルド、ショウリュウもハッと顔を上げる。
シキカイトが赤ん坊に向かって、力強く駆け出した。
パキュン!!
だが、見えざる者がシキカイトに容赦なく火の玉を放つ。真っ直ぐ正確に、シキカイトに火の玉が飛んでいく。
「危ない!」
ナエカは手を合わせ、咄嗟に叫ぶ。
「おまじない!!」
あの時、ニセモノに上手く飴を当てる事が出来たように。
必死に祈る。
しかし、おまじないは届かなかった。
「……ズラせない!」
シキカイトが赤ん坊の元に飛び込むのと、火の玉がぶつかる瞬間が重なった。
ドゴオオン!!
「ギャン!!」
身体の側面で火の玉を受け止めながら、シキカイトは赤ん坊が包まれた毛布の端を口で咥え、グイッと引っ張った。
そのまま力を振り絞り、赤ん坊を空にポーンと放り投げる。
空に舞う赤ん坊に、ハッと我に返ったショウリュウは、慌てて術を放つ。
「バルヤーア!」
フワッ!!
放たれた柔らかい風がクッションとなり、赤ん坊を受け止める。
ふわふわと宙に浮く赤ん坊を、真下に飛び込んだレオナルドが抱っこした。
「よ、よっしゃあ……」
ホッとしたのも束の間。
見えざる者の身体が、どんどん透けて透明になっていく。
「ピャアアアア」
「あ、おい!!」
さああああ……。
広場に響くショウリュウの怒鳴る声。構うことなく、見えざる者はその場から消え去ってしまう。蜃気楼のように。
「チッ!……逃げやがった」
興味を失ったのか。
レオナルドに抱えられた赤ん坊は、恐怖のあまりまだ固まっていた。
「ひくっひくっ」
「よーしよーし、もう怖くないぜ」
「よかった、赤ちゃん無事で」
──ドサッ。
安堵の雰囲気に包まれたその時、アイリの目の前で物音がした。
「う……」
「シキ!!」
シキカイトがシキの姿に戻り、地面に倒れうめいていた。
苦悶の表情で腹部を手で抑え、額の汗が止まらない。
「シキ、大丈夫か!?」
レオナルドも駆け寄ろうとするが、制服が血でみるみる染まってくのに気付き、真っ青になる。
火の玉を身体で受け止め、ダメージでシキカイトの姿を保っていられないのだ。
「シキ!!」
「シキ、しっかり!!」
「アイリ、そっち持て!!」
皆がシキに駆け寄る中、ナエカは呆然としていることしか出来なかった。