第121話 視線
【ミツナ通り】
「はい、すぐに戻りますので」
ワーニャは、受話器をガチャッと切った。この店の外にある電話器は古いのか、聴こえてくる相手の声が時折途切れてしまう。
ワーニャは少し急いでいた。
今日は少し忙しい、依頼人を待たせるわけには。
「あら?」
どこからか、悲鳴が連なって聴こえる。驚く人々の叫ぶ声。
「ビックリ、まさか見えざる者?」
──どん!!
声が徐々に大きくなっていた時、通りすがりの青年がワーニャに走りながらぶつかった。
「あ、ちょっとお!」
手からすり抜け、地面に叩きつけられるカバン。声を荒げようとしたが、ワーニャはハッとその顔を見つめた。
見知った顔だった。
「え、ピエール君?」
綺麗なブロンドの髪、爽やかな笑み。
だが、ワーニャを知っている筈のその青年は、ワーニャに声をかけることもなく走り去る。
「どうしたの、パレスに戻るんじゃ」
「きゃあああ!!」
「そこ、逃げろおお!!」
「ねーちゃん、逃げろおお!!」
ワーニャは思わず、声の羅列が聴こえた方に振り返った。
何?逃げろって、私に向かって言ってる?
「グルルルル!!」
「きゃああ!!」
ワーニャは驚いて飛び退く。
目の前に凛と立つ姿。白い毛の、美しい獣。オオカミなのか、キツネなのか。
以前通りに出たと噂になった、美しい獣だ。新聞にも載っていた。なんで、城壁に覆われている街にこんな獣が。
──まさか、これが見えざる者?
「グルルル!!」
だが獣はワーニャには目もくれず、何かを追いかけ走り去る。
獣の先には。
「ちょっと、ピエール君追いかけてるの!?? え!??」
その頃。アイリとショウリュウは、並んで通りを併走していた。
二人の制服に目を見張る人々の視線にも、徐々に慣れてくる。あてもなく走ることだけが、そろそろしんどい。
「逃げろおお!!」
「出たああ!!」
突如遠くから悲鳴が連なって聞こえてきて、二人は長靴を走らせながら目を見合わせる。
「今の!!」
「……あいつだといいけどな」
速度上げとくか。
ショウリュウは、懐からサッと札を一枚だけ取り出す。
「タヤバル!」
まさに追い風。
言葉に応えて後ろから吹く風の力が、二人の背中を物理的に押す。
「わあ、すごい!!」
スイスイ進む車輪。連なった人々の叫びの波は、どんどん近くなる。
「あ!!」
角を曲がったその時、アイリの目の前を誰かが横切り、慌ててキキッと足を止める。
まだ追い風が吹いているのに。
いや、横切ったのは誰かではなかった。
「グルルル!!」
「シキ!!」
見つけた。シキは能力で、獣の姿になってしまっている。見えざる者の匂いに反応したのか。
「と、いうことは」
ショウリュウは追い風を強め、一気にターボをかけた。
案の定、獣の視線の先には駆けていくシキがいる。シキが、もう一人。
「いるわけないよー!!」
「出たな、ニセモノ野郎」
ショウリュウは、札を三枚構えてキッと前を見据えた。堂々と姿を晒すなんて、いい度胸じゃないか。
「アイリ、あんた他のニセモノ追ってろよ」
「え?」
ショウリュウはそう告げると、躊躇なく一気に札を放つ。
「イカサーバル!」
地面を這うように吹く物理的な風が、あらゆる障害を乗り越えてニセモノのシキに向かっていく。
蛇のように素早く、這い回る。獣をすり抜けてニセモノを追いかける。
ザシュッ!!
「!!」
あっという間にニセモノのシキに届き、風がその体を切り裂く。
「わああ!!」
突然の事態に、人波がサーッと割れる。
「お、おい団の制服だぞ!!」
「なんであんなこと」
「バルナ!」
畳み掛ける風の刃。
ザクザクと切り掛かる容赦のない刃に、アイリはぽかーんと立ち尽くす。
「お、おい……」
パリパリパリパリ。
嫌な音と共にヒビ、余りにも大きなヒビがニセモノの顔にはっきりと入る。
愕然とするニセモノの顔に、周りの人々もハッとなった。
優雅にその場に倒れ込んだニセモノは、パリーンと派手な音を立て、バラバラになって消滅した。
「おお……」
人では無かったのか。まさか、見えざる者が人間の姿に変身していたのか。
消滅したのを確認する為に、スタスタ近付くショウリュウ。人々はショウリュウに、興味と畏怖の視線を向ける。
「あれ、あの子に似てないか?」
「そういえば……」
「そうねぇ」
自然と集まった人混みを掻き分け、ショウリュウに近づいてくる記者がいた。
「剣の団の51期生ですね!?」
ジッと地面を見ていたショウリュウは、いきなり話しかけられて目を見張る。
「そう──じゃなくて、はい」
「お名前は?」
「ショウリュウ」
「ショウリュウ?」
「リ・ショウリュウだ、です」
敬語に慣れずに口ごもる。
その名前に、周りの人々はハッとどよめいた。
「まさか、シリュウちゃんの!!」
「おおおお!!」
そして、ショウリュウを取り囲み大いに拍手を贈ったのだった。
ショウリュウが民に囲まれ、身動きがとれない中、アイリも浮かれた人混みに紛れてしまう。
「ほええ」
目が回ってしまう。いつのまにか元に戻っていたシキが、クイクイとアイリの服の裾を引っ張る。
少し眉をひそめていた。
「ねぇねぇ、姫ってば。いくらニセモノだからって、坊やってば酷すぎないかい?」
「そこなの? ほら、シキもこれに着替えて」
アイリはズイッと、シキに袋を押し付けた。
「え?」
袋を手に、シキは首をかしげる。
「これ、何なんだい?」