第108話 模様
アイリ達の目の前で、再び形作られる見えざる者。
するするとレースが伸びていく。四方八方に存在を示し、瘴気が廊下を包む。
「タ、カ、ラ!!」
グワッと浮かび上がったのは、レースで固めた体。
再びレースをはためかせ、パレスに降臨する。
「なんで倒せねーんだよ!」
アイリの脳裏には、一枚だけヒラリと残ったあのレースがよぎった。
「まさか、あのレースもどうにかしなきゃいけなかったのかな?」
「なんだそりゃあ!」
「……んなのあるかよ」
大袈裟に腕、いやレースを高く広げる見えざる者。
「……」
「え?」
表情が見えない、のっぺり顔。だがアイリは、その顔が僅かにニヤリと笑ったのを感じた。
シュバッ!!
レースが鋭く、素早く一直線に伸びていく。何本も、何本も。
アイリ達のいる方向ではない、明後日の方向へ。
「あれ?」
「な、なんだ?」
一同が拍子抜けしていると、レースに引っ張られ、奥から何かが転がってくる。ごとんごとんと、派手な音と共に。
「檻……?」
それは、レースによって形作られた丸い檻だった。
繭のような形、紐のように縮めて結んで出来た、しなやかで固い檻。
そして、その檻の中には。
「グルルル!!」
「えぇ!?」
「グルルルルル!!」
中で暴れていたのは、通りで出会った白き獣だった。
檻で体を拘束され、苦しそうにもがく。
「あの時の……」
「な、なんでこんなとこにいるんだぁ?」
「グルルル……」
この見えざる者だけでなく、オオカミもパレスに潜り込んでいたとは。
混乱する一同を他所に、見えざる者は嬉しそうにクルクルその場で回り出す。
「タ、カ、ラ、ミツケタ!! リリリ!!」
「見つけたぁ?」
どうやら、見えざる者が言っていたタカラというのは、この獣のことだったようだ。
檻に捕らえられ、苦しそうに這いずり回るタカラ。
「ホラ、オワリ。リリリ〜、カエル」
「え?」
「帰るって」
「ハヤクカエル、カエル、オマエカラダヲキッタナ? リリリ」
ショウリュウに切られたレースの部分を、痛そうに摩り、見えざる者はむくれる。
そんな質問は無視して、ショウリュウが札を構え、前に進み出た。
「待てよ。そいつをどうするつもりだ、何故そいつをつけ狙う?」
「タカラ? タカラハタカラ、オドドサマニアゲル」
「オドド様?」
オドドとは、もしかしてオロロのことか。
オロロにこの獣を捧げる、という。
「なんでこいつを、オロロに──」
「オドドサマダ!」
再びショウリュウが聞き返そうとした、その時。
──ガジ。
皆はあっと気付き、目を見開いた。口を開きそうになるのを、慌てておさえる。
「タカラハヤク、ワタシャナキャ」
頑丈な筈の檻。獣がずっと噛み付いていた箇所が、スルスルと解けていく。
獣の噛む力で、レースが切れたのだ。
見えざる者はアイリ達の反応に気付かないのか、タカラを捕まえた、とはしゃいでばかり。
その背後、すぐ後ろで動くもの。
「コレデオドドサマニ、ホメラレルレル」
獣はそろりそろりと、悦に入っている見えざる者に忍び寄る。
アイリが、ゴクリと息を呑んだ──次の瞬間。
「グルルルルル!!!」
「リリリィリリリ!!」
獣は見えざる者に飛びかかり、鋭い牙を突き立て、肩であろう部分を噛みちぎった。
まさに獣、見えざる者が反応する隙もない。
ピチャン、ピチャン。
白い何かの液体が、見えざる者の肩からダボッと垂れていく。
獣は口に咥えた物を、鬱陶しそうにぺッと床に吐き捨てた。
あまりのことに、アイリ達も見えざる者も呆然となる。
「リリ……リリ……カラダガ!!」
見えざる者はショックを受けているのか、フラフラと足元おぼつかなく揺れる。
「リリリ!!!」
怒ったらしい見えざる者は、レースを伸ばし獣の足を掴む。一気に壁に向かって放り投げた。
ガガン!!
「ギャン!!」
獣は激しく壁に叩きつけられる。
「オオカミさん!」
「うおりゃあああ!! 聖光爆!!」
レオナルドは気合い一発、派手に飛び上がった。
上空から、粒となった小さな衝撃波がシャワーのように叩きつけられていく。
「リリ……リリ……」
ボコボコと、いくつもの穴が見えざる者の体に開き、見えざる者は細かくなって消えていく。
──だが、まだだ。一枚だけ残る、不気味なレース。
「あれ、残しちゃダメ!」
ナエカが叫ぶのと同時に、ヨースラが動いていた。
懐から折り畳みのナイフを取り出すと、ガッとレースに突き立てる。
「リ……リ……」
レースは聞き取れない程の声を上げ、まるで燃えていくかのようにボソボソと形を無くし、消えていった。
「ふぅ……」
「オオカミさん!」
アイリは、倒れている獣に一人駆け寄った。
「アイリ、気をつけろよ」
心配したレオナルドが、後ろから声をかける。
だが、獣はまだダメージがあるのか、威嚇してこない。アイリはなんとなく、獣の側に腰をおろす。
「大丈夫だよ、ね?」
アイリは笑顔でそう声をかけると、そっと獣の体を撫でた。
「グル」
気持ちいいのか、獣はペタッとその場に伏せてしまった。手足をだらんと広げ、先程の迫力はどこへやら、まるで犬のようだ。
獣が落ち着いたのを見て、皆も獣の周りに集まった。
「グルル!!」
「お、おい!」
「どうどう」
更に近づこうとしたショウリュウに威嚇するのを、アイリが宥める。
もう一度撫でてやると、獣は目を細めてアイリにすり寄ってきた。
「グル」
「あはは、くすぐったい」
結局、この子は何だろう。
アイリと戯れるのを、皆が不思議そうに眺める。
「ん?」
アイリは、ふと獣の足の先に目を向けた。
その足先には、何故かうっすら模様があった。見えにくいが、小さな花のような。
小さな緑の花の並び。白い美しい毛をしているので、そこだけ奇妙に浮いている。
「これって、確か……」
そう、確かに見た。
一目見た時に、お洒落で上品だなって。
その記憶を手繰り寄せた瞬間、アイリはハッと目を見開いた。
「シキ!?……シキなの!?」
「え!??」
その言葉に、一同がギョッとする。
「嘘」
「どうしたんだよアイリ、いきなり」
「ほ、ほら、コレ!」
獣の足の先の模様。それは、彼が着ていたあの分厚いコートに刺繍されていた、美しい花模様と同じだった。
貴族特有の、豪華な模様。
アイリがそれを告げると、一同の視線が獣に集まる。
「……ホントなの?」
ナエカがなんとか冷静を保ち、獣に問いかける。
「……」
獣は、それまでアイリに向けていた穏やかな表情とは別の、フッと力が抜けたような表情を浮かべた。
そして、獣の身体がキラキラした光に包まれる。
パアアアア……。
暖かい光。光は形を変えて、一点に集まった。眩しさに、皆がまぶたを一瞬つぶる。
光が収まると、それは人の姿となっていた。
目の前で自分を見下ろしているシキに、アイリはただ、息を呑んだ。