友達
「ホントさぁ〜、アキラは良い友達だよ。何で彼女出来ないんだろうね」
コーヒーカップに口をつけると、僕の幼馴染はそう言ってきた。
その言葉に、口の中に広がる風味が、いつにも増して苦く感じる。
普段から飲まないものを、カッコつけて飲むんじゃなかった。
「さぁ。僕に作る気無いからじゃない?」
僕は気取った様にそう返す。
恋人を作る気がないのは、本心だ。
だって僕の好きな人には、その気持ちを伝える事が出来ないんだもの。
放課後、幼馴染の少女に誘われ、格安のファミレスに寄って、何気ない話をする。
僕の返しにツボったのか、幼馴染のヒカリはクスクスと笑い始めた。
相変わらず、可愛い笑い方だ。
彼氏が出来てから、彼女の可愛さにはますます磨きが掛かっている気がする。
前は短めだった髪も、伸ばして女の子らしくなった。
前は興味ないと言っていたくせに、少し薄めに化粧までしてる。
学校にバレなきゃ良いけど。
恋する乙女は可愛くなるってよく言うけど、案外間違いでもないんだな。
「今度の土曜さぁ、シンジと遊び行くんだけど、アキラもどう?三人だと結構楽しいし、アキラも逆ナンされるかもよ?」
「良いよ。折角のデートなんだし、二人で行って来な。僕は家でゲームしてる」
「毎回それじゃん。私に彼氏出来たからって、気ぃ使うなよ。幼馴染じゃん?」
「別に気なんか使うかよ。もう少しでマガド倒せそうなんだ。前惜しいとこまで行ったんだよなぁ〜」
嘘だ。
パッケージモンスターなんて、二ヶ月も前にノーコンで倒した。
本当は、二人に気を使っている。
「ふぅ〜ん。倒せたら攻略法教えてね」
「いやサイト見ろよ」
「えぇ〜文字読むのダルい〜。アキラに教えてもらった方がやり易いも〜ん」
「分かった分かった。倒せたら教えてやるから」
まったく。
困った幼馴染だ。
僕の友達。
付き合いは幼稚園の頃から。
しょうもない事で笑い合い、しょうもない事で衝突し、いつも一緒に遊んでいた、同い年の女の子。
人付き合いがニガテな僕を見放す事もなく、高校生になった今でもこうして友達でいてくれる、大事な幼馴染だ。
そして——
「おーっす、お待たせ。悪いな、いつも待たせて」
僕等が座っていた席に、大柄な男子高校生がやって来る。
ツンツンに逆立てた髪がよく似合う、いかにも運動部って感じの男だ。
身体に熱がこもっている様で、少し顔が赤い。
練習終わりに、走ってやって来たんだろう。
「遅いぞーシンジぃ〜。今日もアキラに時間潰し付き合ってもらっちゃったぞ〜」
不貞腐れた様な声で、やって来た男に文句を言うヒカリ。
今やってきた男は、同じ学校に通うシンジ。
ヒカリの彼氏だ。
「ゴメンゴメン。試合前だからみんなピリピリしてて、練習長引いたんだよ。アキラも悪いな」
シンジは苦笑しながら、僕にも改めて謝って来る。
真面目な奴なんだよなぁ。
彼は剣道部の主将を務めていて、いつも完全下校時間ギリギリまで練習に明け暮れている。
だからこうして、彼女であるヒカリを待たせる事があるのだ。
そのヒカリの待ち時間に、大概僕は付き合わされる形になる。
「僕は別に良いよ。幼馴染の頼みは断れないし、ちょうど息抜きもしたかったし」
ヒカリと一緒に居られるし、と言い掛けて、僕はコーヒーと共に言葉を飲み込んだ。
流石にこんな事、彼氏の前で言える訳がない。
何処までも未練がましい自分を、心底情けなく思った。
「そーいや、アキラは作家志望だっけか。毎日書いてんの?」
「あぁ、まあね。時はカネなり。若いうちから努力に時間かけてれば、将来膨大な利益になって返ってくるんだ。多分」
「アハハ、何だよそれ。そこは自信持って言い切れよ」
嫌味なく笑うシンジ。
ヒカリもツボって、隣で爆笑している。
こうして並んでいると、似た物同士なんだよな。
底抜けに明るいカップル二人。
改めて見ていると、絵になる。
同時に、心の中でドス黒い物が疼き出す。
駄目だ。
考えるな。
「じゃあ、シンジも来た事だし、僕はそろそろ帰るよ。後はお若い二人でごゆっくり〜」
「ありがとうね〜オジサ〜ン、ってちゃうわ!アキラも同い年でしょうが!」
模範的なノリツッコミをかますヒカリ。
何故関西弁になったのかは謎だが。
ヒカリのノリの良さに笑いながら、自分が注文した代金分をテーブルに置き、僕はカバンを持って店を出た。
途中、窓から二人の様子を覗き見ると、楽しそうに談笑している。
幸せそうな笑顔だ。
僕に向ける事はない、恋人への笑顔。
心がピリつく。
僕は急いで店から離れた。
これ以上、二人に向けて醜い感情を抱きたくない。
シンジは良い奴だ。
それも、凄く。
剣道部のエースで、女子にモテモテ。
インドアで影の薄い僕とは、対照的だ。
こんな僕とも、シンジは仲良くしてくれている。
彼女の友達だって理由で、ヒカリと一緒に遊びに誘ってくれたりする。
普通なら、自分の彼女が男と一緒に居るのは、良い気がしないだろう。
けどシンジは、僕がヒカリと一緒に居ても、嫌な顔をせず、許してくれる。
大抵は、ヒカリから頼んだから、というのが理由だが、きっともう一つ理由がある。
あくまで僕が、ヒカリの『友達』だから。
「そうだよ……僕は友達だ……それ以上でも、それ以下でもない……」
歩きながら、思わず声を漏らす。
人通りが少なくて良かった。
こんな情けない言葉、誰かに聞かれでもしたら、たまったもんじゃない。
友達。
つまり、恋敵と相手にもされていない。
眼中にない。
完全に、戦力外と見なされているんだ。
シンジが良い奴でよかったとは思う。
ヒカリが彼に泣かされたり、傷付けられたりする事はないだろう。
それでも、心の中にもう一つ、どうしようもない感情があった。
酷く我儘で、自分勝手な感情が、僕の中で渦巻いている。
無意味な物だと分かっていても、捨てられない、吐き出す事もできない。
シンジが最低な男なら。
最低最悪で、酷い奴だったら、こんなに苦しまなかったのかな。
だったら、思い切り醜い感情をぶちまけて、スッキリ出来たと思う。
ヒカリを傷付けるような奴なら、ぶん殴ってヒカリを奪い取る事だって出来た。
僕は、卑怯な奴だ。
相手を理由に弱気になって、本音をぶつける事も出来ない。
だから、僕は初恋を逃したんだ。
こうやって今、汚い感情に悩まされているのも、全部自分のせいだ。
そんな事は、分かっている。
僕はヒカリが好きだった。
友達としてじゃない。
ひとりの男として、彼女に好意を持っていた。
僕の初恋の相手は、ヒカリだった。
向こうはそれを知らない。
だって、僕は何も言ってないもの。
偶然の両思いなんて、馬鹿馬鹿しいものはない。
どれだけ親しくたって、想いなんて結局は本人のモノだ。
分かって欲しいなら、伝えるしかない。
僕には、それすら出来なかった。
フラれて幼馴染の関係が壊れるのが、嫌だった。
だってヒカリは、僕の唯一の友達だったから。
失ってしまえば、僕は一人になってしまう。
だから、ずっと想い続けるだけで、行動しなかった。
その結果、僕はヒカリにとって、友達にしかならなかった。
そして、彼女に恋人が出来た。
別に、シンジが僕からヒカリを奪った、なんて言うつもりはない。
だって、ヒカリは僕のモノじゃなかったんだから。
僕はシンジに負けたんじゃない。
最初から勝負をせず、逃げたんだ。
でも、このまま醜い心を背負って二人と関わるくらいなら、当たって砕けた方が良かったのかもしれない。
シンジと楽しそうに笑うヒカリを見るのが、こんなにも辛い事だったとは、思わなかった。
今更悔いても、時は戻せない。
「ハッ、馬鹿だよ……大馬鹿野郎だ僕は……」
一人で自分を罵る。
ヒカリと恋人になれる可能性は無くなった。
けど、せめて友達として側にいたい。
シンジとも、仲良くしたい。
相手にされていないとはいえ、こんな僕と仲良くしてくれている事は、凄くありがたかった。
友達と呼べる人間が、僕にはその二人しかいない。
二人との関わりを絶って、独りになるのはもっと嫌だ。
何かを得るには、何かを犠牲にしないと。
世界はいつもそうだ。
人間の文明だって、生物の命だって、何かを犠牲に成り立つ。
人間社会の発展を得るには、自然の破壊を。
豊かな人生には、お金を。
夢を叶えたいなら、時間を。
必ずしも対価に見合うとは限らなくても、犠牲なしに得れるものなど無い。
なら僕は、心を捨てて、友情を得よう。
これから先も、この感情を押し殺して、二人と一緒に居よう。
それが、自分の想いから逃げた、自分への罰。
臆病者の僕に、相応しい末路だ。
空を見上げると、日が傾き、星が出始めていた。
これから、どんどん寒くなってくるだろう。
今年の冬を越したら、僕の心にも春が来るかな。
少し肌寒さを覚えていると、前に自販機が見えた。
温かいものが売ってあるのを見て、本格的な冬の訪れを実感した。
温かいものが飲みたくて、ブラックコーヒーを購入する。
小さい頃から、苦いものはあまり好きじゃない。
けど、今はココアなんて甘いもの、飲める気分じゃなかった。
栓を開けて、口に流す。
何の混じり気のない、ストレートな味が口いっぱいに広がってくる。
「やっぱり、苦いや……」
頬から雫が落ちる。
みっともない。
失恋とも呼べない事で、何を泣いてるんだか。
涙を拭い、家への帰り道を歩く。
ヒカリに彼女を作る気がないと言ったのは、僕がこの叶わぬ想いを抱き続けて、止まっているからだ。
大事にしていたのに壊れた玩具を、捨てたくないと駄々をこねる子供みたいに。
僕も変わらないと。
もう叶う事がないなら、二人の友達で居ると決めたなら、この気持ちは捨てなきゃ駄目だ。
幼馴染への感情と別れを告げ、僕も前に進もう。
さよなら、僕の初恋。
せめて、心から『お幸せに』って、言えるくらいにはなるよ。
シンジの、友達として。
そして、ヒカリの幼馴染として。
そうなれば、今は苦いだけのこのコーヒーも、少しは美味しく感じるかな。




