41 兄弟の密談(3)
「多民族国家である我が国の多文化共生について、多様なひとびと、その集合体をつなぎとめるに、この戦続きでは、やがて限界がおとずれる」
ジークフリートは杯へと手をのばしかけて、やめた。
「飲みすぎては、のちの晩餐会に響くな」
飲まずにはいられない心地なのだろう。
自嘲するような兄の様子に、レオンハルトは兄を慰めるためのよい言葉が思いつかなかった。
「ミュスカデはこの国の現状を正しく把握している」
ジークフリートは膝の上で組んだ手へと視線を落とした。
「だからこそ、彼女の意見は一考する価値がある」
「しかし、我が国には他国にはない青い血があります」
レオンハルトはミュスカデ公女へと敵愾心を抱いて言った。
「青い血のもたらす恩恵を考慮すれば、王家の求心力が容易に低下するとは思えません」
「青い血の能がいかに突出しようとも、それだけで補えるものではない」
ジークフリートはきっぱりと否定した。
「そもそもが主要王侯貴族しか持ちえぬ能だ。現にカトリーヌ妃の生家とて、血は青くとも、一族魔法は与えられていない」
「しかし固有魔法ならば――」
レオンハルトがなおも追いすがれば、ジークフリートは困ったように眉尻をさげた。
「あの家の人間に、発現したことがあったか?」
「申し訳ございません」
レオンハルトはうつむいた。
「不勉強で、存じません」
「これから学べばよい」
ジークフリートは腰を浮かせて腕をのばし、弟の肩をたたいた。
「そのために私がいるだろう」
「ありがとうございます」
兄からのいたわりを受け、レオンハルトは顔を上げた。
兄ジークフリートは、穏やかにほほえんでいた。
「ちなみに固有魔法は、かの家で発現していないぞ」
ジークフリートは幼子が内緒話をするような構えで、弟へとささやきかけた。
気のおけない、他愛のない兄弟のやり取りを、ジークフリートは楽しんでいるようだった。
だが彼は、いっときすると、すぐさま表情を引きしめた。
「今この国が瓦解すれば、混乱は必須だ。穏やかな解体は望めぬ」
「はい」
それはそうだろう。
レオンハルトは素直にうなずいた。
「フランクベルト家の血が絶えるのみで済めばよいが、争乱によって起こりうるのは、秩序の喪失に飢饉、文明の退化。それだけは避けねばなるまい」
ジークフリートは立ち上がり、文机へと向かった。
彼は丸めた羊皮紙と意匠の凝らした宝箱を手にすると、弟レオンハルトのもとに戻った。
兄が弟の前に広げたのは、一枚の大陸地図だった。
ジークフリートは宝箱から、獅子をかたどった駒を取り出した。
素朴な温かみのある木製の駒が、地図上に置かれた。
駒が示すのは、フランクベルト王国の王都。
「数多の領邦と自治都市を抱えるフランクベルト王国が、これまでどれほどの戦をどのようにしてきたか。レオン、おまえは知っているか」
兄に目を覗き込まれ、レオンハルトはたじろいだ。
「戦による犠牲は、人や町。それから耕作や工業など、経済的、物質的文化にも及ぶ」
ジークフリートは弟のためらいを咎めず、続けた。
「なにより戦には金がかかり、国庫への負担があまりに大きい」
「戦のために、臨時的な特別税が設けられるはずでは」
レオンハルトはあわてて、兄にたずねた。
「そうだな」
ジークフリートは寛容な教師役として、弟にうなずいてやった。
「だが、上限はある」
「中央集権化の弱く、封建的主従関係を残す我が国では、戦のための資金繰りに苦しい」
ジークフリートは弟へ語りかけながら、それぞれ馬と蝶と豚をかたどった三つの駒を、宝箱より取り出した。
「たとえその戦が一部の領邦のためであれど、その他諸侯の意に沿わぬ戦では、各領邦からの支援は望めぬ」
ジークフリートは馬の駒をつまみ上げた。
「いついかなるときにも、国軍へ常に派兵してよこすのは、ガスコーニュ家のみだ」
地図上のガスコーニュ侯爵領に、馬の駒が鎮座する。
「此度の戦では、列国からの協力を得られ、十分な兵糧をかせげたが」
ジークフリートは蝶の駒を、エノシガイオス家に縁ある列国の中央に置いた。
「傭兵に支払うための十分な金銭が絶え、兵糧も足りぬようになれば、兵士らが暴徒化し、一帯を略奪してまわるのに、そう時間はかかるまい」
「そうなれば、キャンベル辺境伯や、彼を将とあおぐ騎士が、必ず傭兵をおさえます」
レオンハルトはたまらず異を唱えた。
「飢えた大勢の兵を、限られた騎士でどうおさえる?」
羽根を広げる蝶を精緻に彫った木駒を、ジークフリートは転がした。
「主に剣を捧げ、忠誠を誓う騎士とて、戦場での潔い死は受け入れられようとも、みじめな飢餓には長い間耐えられぬだろう」
傭兵や騎士に期待を寄せていないばかりでない。
レオンハルトには兄が、弟である彼自身にも、非常時のふるまいについて問うているように聞こえた。
ジークフリートはだまりこむ弟を見つめた。
「レオン。おまえを責めているのではない」
胴衣の内ポケットからダガーを取り出し、ジークフリートは言った。
「人間には誰しも、高潔であれる条件がある」
「高潔であれる条件? 兄上にもですか?」
顔を上げたレオンハルトの前で、ジークフリートは手のひらを切りつけて見せた。
「私にとっての条件のひとつは、これだ」
ジークフリートの手のひらが、青く輝く。
「最強の守りではないか? これでは他の者にくらべ、公平でないだろう。私はこの国の誰よりも、ズルをしているな」
ジークフリートは笑い、それから豚の駒を取った。
「さて。戦のたびに増える借金だが、エヴルー家からの借り入れは莫大に過ぎ、いっこうに返済の目処がつかぬ」
豚の駒が、ジークフリートによってエヴルー伯爵領に置かれる。
「資金不足と借金の慢性化。我が国の財政再建は、緊急の課題だ」
「そこでミュスカデによる、側妃制度の維持という提案だ」
ジークフリートはエノシガイオス公国を含む、フランクベルト王国と対立の絶えない諸外国を指で示した。
「戦ではなく、王の婚姻によって臣民と領土を守り、国家の発展を為すことができるのならば、王として、その選択を視野に入れることは道理だ」
「レオン。実際に戦場に立ったおまえなら、実感としてわかるだろう」
ジークフリートは宝箱を持ち上げた。
蓋の開いたままで、逆さにひっくり返される。
飛び出したのは、鷲、蛇、梟、蛙。
建国の七忠の象徴。
木製の駒が地図の上を転げた。
蛇の駒がレオンハルトの目の前で止まる。
ジークフリートは鷲の駒を手のひらにのせた。
「戦がもたらすものは惨禍のみであり、いかにもむなしい」
兄ジークフリートのぼやきに、レオンハルトは、血煙にくらむ戦場へと呼び戻された。
太鼓が打ち鳴らされ、ラッパが高らかに鳴り響き、歩兵や騎馬が大地を蹴る地響きに、あたりを覆い尽くす怒号。
戦斧に槍や剣、弓が、際限なく血飛沫を生み出し続ける。
敵味方問わず、倒れた兵の身体の上を踏みにじり、前へと進む。
戦が終わり、ぐるりと見渡してみれば、荒廃した地に打ち捨てられた、生命なき身体。
『流してもいい血、失ってもいい生命の選別は、あたし達にはできない』
トライデントの戦に勝利した晩に、ナタリーが言った。
『この国の王になる、ジークフリート殿下のお役目よ』




