39 兄弟の密談(1)
日が昇ってすぐには青く晴れ渡っていた空が、いまや分厚い雲に覆われていた。
曇天を背景に、大聖堂の尖塔が黒い影となり、そびえ立つ。
灰色の雲はゆっくりと流れ、ときおり雲の隙間から弱弱しく淡い光が差した。
発現の儀に参列したひとびとは、大聖堂をあとにした。
それぞれが騎馬で。また馬に乗れぬ巨漢の王と、彼の女たちは金の馬車に乗り込み、王宮へと戻った。
夜には、本日の顔ぶれを招いての晩餐会が催されることになっていた。
マントをひるがえし、大聖堂から王宮へと白馬を駆る高貴なひとびとの姿を、王都に住まうひとびとが、窓からこっそりと眺めた。
わずかばかりの隙間をあけ、道行く騎馬を覗くひとびとは、馬上の貴顕が気まぐれに窓のひとつを見上げれば、彼らと目が合う前に、あわてて窓をしめた。
レオンハルトは王宮に着くなり、着替えもそこそこに自室を出た。
発現の儀の前に、レオンハルトは兄ジークフリートから、兄の私室に参るよう指示されていた。
その際には、必ず扈従も共にするよう、念を押された。信頼の置ける者を選べとも。
そうはいっても、扉の外で待機させることにはなるのだが。
キャンベル辺境伯領への遊学以前より親しんでいる扈従ひとりを連れ、レオンハルトは兄ジークフリートの居室前に立った。
ジークフリートとレオンハルトの兄弟がふたりきりで顔を合わせるのは、レオンハルトがトライデントの戦から帰還して、これが初めてだ。
ひさかたぶりに得られた、兄との語らいの機会。
レオンハルトは兄へと尋ねたいことがたくさんあった。
「第五王子レオンハルト殿下がお見えです!」
衛兵が扉をたたき、声をはり上げ、室内にいるはずの主人に、入室許可の是非を問う。
「入れ」
部屋の主であるジークフリートの、鋭い声がかかり、衛兵は下がった。
「先日の立太子に重ねて、本日青い血を発現なされたこと、まことにおめでとうございます」
入室そうそう、レオンハルトは祝辞に頭を垂れた。
「おまえも。此度の戦では、よくやった」
レオンハルトの背後で扉が閉まるのを視認しながら、ジークフリートは弟へと世辞を返した。
「トライデントという要所をおさえられたこと。エノシガイオスの柱が一人、トリトン公子を捕らえたこと。これ以上にない快挙だ」
「ありがとうございます」
レオンハルトはまず礼を述べ、続いて戦友を讃えた。
「司令官キャンベル辺境伯の指揮統制が確かであったこと、加えて個々の兵士が能力や士気の高さあってのことです」
「辺境伯の将才については、かねてより名高かったが、此度の戦で揺るぎないものとなったな」
ジークフリートはうなずき、扉前で棒立ちの弟へと手招きした。
「すわれ」
「失礼します」
ローテーブルをはさみ、レオンハルトは兄ジークフリートと向かい合わせにすわった。
「だがレオン。おまえの働きがあってこそでもある」
ジークフリートは弟レオンハルトの前に、錫の杯を押し出した。
レオンハルトは差し出された錫の杯を前に、宿営地で出会ったリシュリューの女扈従を思い出した。
ぐったりと力の抜けきった肢体。
彼女は翌朝、目を覚ましたのだろうか。
「戦場に直系王族が立つ意義は大きい」
ジークフリートは自身の杯へ、紫がかった赤黒いワインを注いだ。
「兵の士気が高かったと、おまえは言ったな。彼らの戦意を高揚させるためには、国王とその正妃の息子、第五王子レオンハルトの雄姿が必須だった」
「乾杯しよう」
ジークフリートが杯を掲げた。
兄にならってレオンハルトもまた、杯を掲げる。
兄弟は同時にワインをあおった。
「さて。慶事の続きは、こののちの晩餐会に役目を任すとしよう」
ジークフリートは杯を置き、弟を見据えた。
「レオン。今後、ルードルフらの動きを注視しておけ。今日のあの者たちの目つきを、おまえも見ただろう」
「兄上は彼らのもとに潜まれないのですか?」
レオンハルトは杯を手にしたまま、たずねた。
「むろん、今もしている」
ジークフリートは冷たく言い捨てた。
「おまえに言われずともな」
「失礼いたしました」
レオンハルトは慌てて謝罪した。
血気盛んな戦士に揉まれる中で、レオンハルトは彼ら同様、感じたままを不躾に、すぐ言葉にする癖がついてしまった。
命のやり取りがなされる場においては、深淵な思考の旅に出るより、直感力に瞬発力を求められるということも確かだ。
彼の気質としても、その方が向いていた。
それでも戦場から去り、彼が奪った命について考えこんでしまうことを思えば、ほかの戦士たちほど戦場に適応しているとは言いがたかった。
「よい」
ジークフリートはあっさりとレオンハルトの失言を許した。
「だが、先の事態は、あきらかに陛下の失策がゆえだな」
「陛下の? エヴルー伯の非礼というだけでは?」
レオンハルトはとまどった。
神聖なる発現の儀で、愚かしいふるまいをしたのは、エヴルー伯爵のはずだ。
建国の七忠に比ぶれば、身分の低い出自の側妃とはいえ、カトリーヌは父王ヨーハンと法が認めた、正式な妃だ。
そして側妃カトリーヌの息子であるルードルフにハンス、フィーリプもまた、父王ヨーハンによって私生児としての扱いを否定された、正統なるフランクベルト家直系の王子なのである。
「ことは今に始まったのではない。陛下が臣下同士の対立を煽ったのだ」
ジークフリートは目をつむり、眉間を揉んだ。
「おそらく陛下は、カトリーヌ妃に側妃という身分を与えることで、七忠と彼らに反目する諸侯との、勢力均衡を保とうとしたのだろうが」
「どういうことですか?」
レオンハルトはまたもや、考えることなく疑問を口にした。
兄ジークフリートの示唆することは、権力闘争のさなかに生まれ落ちながらも、諸侯の派閥問題と真摯に向き合わなかったレオンハルトにとって、ぴんとこない話だった。
「カトリーヌ妃と、彼女を旗印に祀り上げんとした、七忠に反目する諸侯。彼らが鬱憤をためぬよう、陛下はカトリーヌ妃とその息子らを王族として認めた」
弟の問いに答えたジークフリートだったが、彼の口ぶりからは弟への失望がうかがえた。
レオンハルトは情けない思いで、謝罪のために口を開こうとした。
だが、ジークフリートがそれを遮った。
「よい機会だ。私個人の見解を話そう」
ジークフリートは椅子から立ち上がり、部屋を横切った。
彼は窓ぎわまで寄ると、その枠に手をつき、勢いよく体を浮かせた。
窓枠に腰かけたジークフリートは、立てた膝に腕をのせ、窓の外を眺めた。
「断っておくが、おまえは私に同意する必要はない」
弟へと振り返り、ジークフリートは言った。
「政策の成否は、実施し、年月を経たのちの結果があらわれなければわからぬ。仮定で答えは出ない」
窓枠に腰かけるジークフリートの姿は、ぼんやりと薄暗い逆光となっていた。
兄の表情が、よく判別できない。




