37 発現の儀(1)
その日、王都はひっそりと静まり返っていた。
役人は市内を警邏し、ひとびとがつまらないうわさ話をささやき合うことですら、聞きとがめようとしていた。
なにが起こっているのか知るべくもない、哀れなひとびとはひどく神経質になり、静かに一日を過ごそうと外出を控え、家々にこもった。
このような光景は、フランクベルト王国建国以来、これまでの発現の儀では見られなかった。
華やかに祝われるのが常である。
広く開け放たれた市門へ、馬車や騎馬でつぎつぎと乗り入れる貴顕。
国内の諸侯はもちろん、各国の大使が祝いに訪れ、ぴかぴかの鎧に身を包んだ騎士が並び、都市の代表、豪商、同業組合の親方、学者に学生が集う。
彼らは新たなる王へ祝辞を述べたり、臣従の誓いを立てたりする。
そうしてそれぞれの財産や権利、同盟の誓約を、先王と変わることなく認めてもらう。
市街へ降りてみると、市井のひとびとが沿道を埋め尽くし、高揚に沸き立っている。
神官ら聖職者のおごそかな祈りは、ひとびとの歓声によってかき消されてしまう。
念入りに掃き清められた通りに、王族への敬意を示すため、一張羅の礼服を着込んだひとびと。
色とりどりの花や旗で飾られた家々の窓は開放され、ひとびとが詰め寄り、奇術師や占い師、吟遊詩人などが賑わいに色を添える。
ラッパの高らかな音色に太鼓が轟き、音楽が響き渡る。
日が落ちれば、夜空を彩るあざやかな花火。
誰もが待ちかねた夜宴の始まりだ。
豪華で豊富な晩餐は、手の込んだ肉料理や焼き菓子。
もちろん美酒は欠かせない。
上等なワインがなみなみとあふれんばかりに注がれ、どれほど飲めるかを競い合い、誰もが酒に強いことを証明してみせた。
また諸国の使者のために特別に、氷菓子までもが提供される。
わざわざ高山から氷を運ばせ、その氷があってようやく作ることのできる、貴重な品である。
山岳地帯から遠い王都にあって、氷菓子とは、国王ですらめったに口にすることはない。
舞踏場では雅な宮廷音楽が奏でられ、酒とダンスによって貴顕の熱気でこもる。
広場では同様に、民衆が飲み、歌い、踊る。
夜が明ければ、馬上槍試合などの勇ましい武芸大会が催される。
祝宴につぐ祝宴。
しかし今回は様子が違った。
なぜなら戴冠の儀が行われないからだ。
本来、発現の儀と戴冠の儀は近日中に挙行されるものであった。
従来の大掛かりな祭典は、つまり、次代が王の戴冠を祝うためにある。
一方で発現の儀とは、青い血を次代へと譲る、完全に神聖な儀式である。
こちらの儀式では、戴冠の儀における華やかさとは趣を異にする。
祭典に見られる貴顕の見栄や政治の姿はなく、聖職者の独壇場であった。
そしてまた、青い血発現の秘跡について、フランクベルト王国の諸侯はもちろん、他国の使者に知られてはならない。
当然、王太子ジークフリートが現国王ヨーハンから青い血を継いだことを知ることもない。
通常、立太子と発現の儀は結びつかない。
このたび、第一王子ジークフリートの立太子直後に発現の儀が行われたのは、ゆえあってのことだ。
それはつまり、ヴリリエール公爵の未来予知と具申により、第五王子レオンハルトが王太子ジークフリートにさきだって青い血を発現するのを防ぐためであった。
よって、儀式はひそやかに大聖堂にて挙行された。
臨席するのは限られた人間。フランクベルト王国中枢の人間だ。
主要王族。
建国の七忠といった上級顧問。
それから、彼らが信用するごくわずかな側近に留まった。
そのうちのひとり、アングレーム伯爵によって、ジークフリートに聖油が塗られた。
フランクベルト王国が建ってまだ日の浅い、フランクベルト王朝初期のこと。
教会設立を提言したのは、アングレーム家であった。
それ以来、アングレーム家は教会と縁が深い。
従来の儀式に則って、ジークフリートの体にすっかり聖油を塗り込めると、アングレーム家当主アングレーム伯爵はさがった。
ジークフリートは顔を上げた。
彼の目の前には、息子を待ち受ける父王のしかめつらがあった。
「前に出でよ」
父王ヨーハンが息子ジークフリートに命じた。
「お求めどおりに」
ジークフリートは立ち上がった。
父王の前にたどりつくと、彼はすぐさまひざまずいた。
「私、ジークフリート。偉大なる国王ヨーハン陛下の息子が参りました」
ジークフリートは頭を垂れて言った。
「我より汝に譲渡する」
現国王ヨーハンが、息子ジークフリートの頭上に手をかざした。
「汝、我らが始祖、レオンハルト建国王の青い血を継ぎ、次代が守り人となれ。国と民をよく守り、発展によく尽くすべし」
父ヨーハンの手から放たれた青白い光が、息子ジークフリートの身を包み込む。
まばゆいばかりだった光は、聖油の塗られた頭、首、胸、手へと、しだいに収束していった。
「汝に栄光あれ」
息子ジークフリートへと祝辞を授けた国王ヨーハンの頭には、いまだ建国王の冠が載ったままであった。




