28 狂人どもの内幕
「今ならば、まだ間に合います」
母カトリーヌは三人の息子らの目を順々に見据えた。
「おまえ達のいずれかが、輝く青い血を発現させなさい」
「我らのうち、誰であってもよい」
長兄ルードルフがうなずいた。
「ジークフリートのやつ、立太子されたからと玉座を保証されたものとし、気をゆるめているやもしれんぞ」
末弟フィーリプが調子づく。
「あの者に限って、そのようなことはないでしょう」
母カトリーヌはぴしゃりと言った。
「ですが、好機であることには変わりありません。従来とは異なり、発現の儀を早めるというのですから」
「戴冠の儀は執り行わず、発現の儀のみとはな」
次兄ハンスが冷笑した。
「はたしてヨーハンには、愚兄ジークフリートへ王位を譲る趣意があるのか?」
「これは国王陛下のご意向ではないということだ。さて誰の差し金かな」
長兄ルードルフは弟らを見渡し、最後に母カトリーヌを見た。
「黒幕が誰であろうと、この機をうまく利用しましょう」
「健国王の青い血を次代に譲った王が、万が一、健国王の冠を失ったならば?」
長兄ルードルフが問いかければ、末弟フィーリプが嘲笑った。
「肥満体の無力な中年男に過ぎない!」
「健国王の冠さえ手中にすれば、王位は我らのものだ!」
次兄ハンスが咆えた。
「母上と我ら兄弟を軽んじたヨーハンめ。やつの犬どももろとも、天罰を!」
第三王子ハンスの咆哮に、母カトリーヌはせつなげに眉をひそめた。
すかさず第二王子ルードルフが母の肩を抱き、悲しみに浸る母をいたわった。
「母上はいまだ、ヨーハンに未練がおありか」
第三王子ハンスは、兄に抱かれる弱弱しい母の姿から目をそらした。
「愛を寄越さぬ夫に父など、いったいどこに家族の情を見い出せばよいのか」
ハンスは、母の持つ女の弱さが不満だった。
だが同時に申し訳ないような心地でもあった。
彼は机に置いたりんごをふたたび手に取り、かじった。
それを見た末弟フィーリプが、またもや次兄ハンスのりんごに首をのばす。
次兄ハンスは顔をしかめ、末弟フィーリプの口にりんごを押しつけた。
「我らのいずれかが王になれば、母上は王太后です」
第四王子フィーリプはもごもごと口を動かしながら言った。
「そうなれば、男の象徴を脂肪で埋めた役立たずのヨーハンなどより、ずっと男ぶりのよい者が、いくらでも列をなして母上の愛人となりましょう」
ごくりと大きく喉ぼとけを動かし、第四王子フィーリプはりんごを飲みくだした。
半分ほどかじり取られて芯のあらわれたりんごを、彼は頭上に掲げ、窓から差し込む光に透かして見た。
「ああ! そういえばエノシガイオス家のトリトン公子は、実にいい男だそうですよ」
長兄ルードルフに肩を抱かれたままの母へ、末弟フィーリプはにっこりとほほえみかけた。
「あの間抜けな異母弟レオンハルトが、トリトン公子を捕らえたというではないですか。ちょうどいい。彼を飼ってみてはどうです」
「トリトンだと!」
母カトリーヌは激昂した。
「おまえは知らないのですか! あれはマリーの婚前の恋人です!」
カトリーヌは息子ルードルフの腕の中で、怒りに全身を震わせた。
「ヨーハンもトリトンも、その心はすべてマリーにある!」
側妃カトリーヌはのどが張り裂けんばかりに叫んだ。
「もとはといえば、マリーが初夜以降、ヨーハンと床を共にしないことの慰みに、このカトリーヌがヨーハンの愛妾となったのです!
フィーリプ! 我が胎から産まれた息子のおまえが、なぜ母をそう苦しめるのですか!」
身も世もなく泣き崩れるカトリーヌを、長兄ルードルフが支えた。
金切り声のあとに続いたカトリーヌの嗚咽が、彼ら母子の抱える滑稽な悲哀を示唆しているように、長兄ルードルフには思われた。
それには次兄ハンス、末弟フィーリプも似たような心境であった。
彼ら三兄弟のうち、いずれかが王位を継ぎ、父ヨーハンは権力を失う。
すると彼は、身の回りに信のおける人間が、母カトリーヌ以外には存在しないことに、ようやく気がつく。
そこで父ヨーハンは、母カトリーヌの真の慈愛に救済され、彼のこれまでのむごい振る舞いを懺悔する。
そうして父ヨーハンもまた、母カトリーヌを深く愛するようになる。
父ヨーハン、母カトリーヌ、長兄ルードルフ、次兄ハンス、末弟フィーリプ。
彼らは家族水入らず、幸福と栄光に包まれ、仲睦まじく暮らす。
そのような母カトリーヌの狂気にも似た妄執は、彼女の正気をどうにか保つだけの泡沫の夢に過ぎない。
三兄弟は皆、母の危うい精神の均衡をよくわかっていた。
これまで三兄弟は、協力しあい、母をよく支えて暮らしてきた。
そしてこれからも。
「母上。憎きマリーとその息子らについては我らが必ず、やつらの幸福や名誉、栄光のすべてを奪ってみせます。このように」
長兄ルードルフは末弟フィーリプの手からりんごを取り上げた。
そして床に散らばった香木の薫る灰の上にりんごを落とし、彼は思いきり踏みにじった。
つぶれたりんごの果肉果汁と、香炉からこぼれおちた灰とが交じり合う。
見た目はひどく悪かったが、えもいわれぬ芳香が漂った。
「苦痛に恥辱、あらゆる不名誉と絶望を。この腐った王朝に生まれ落ちたことを、やつらにも後悔させてくれましょう」
長兄ルードルフの顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。
◇
これより約百五十年の歳月を経たのち。
第十代国王ヨーハンの側妃カトリーヌと第二王子ルードルフ、第三王子ハンス、第四王子フィーリプの母子は、王室の人間でありながら、狂人として歴史の闇に葬り去られる。
側妃カトリーヌは狂女カトリーヌとして。
その息子らは家系図から名前すら失い、兄弟三人そろって、生まれながらに心身虚弱、発育不全で知的障害を抱えた、気の毒な狂王子であったとして。
ヨーハンとレオンハルト二世の、父子二代に渡るフランクベルト王国統治下において、カトリーヌ母子についての記述は、後世ほとんど残されていない。




