26 特別な王子
リシュリュー家とエノシガイオス家は、領土が近く、気候や文化が似通っているというだけに留まらなかった。
フランクベルト王国がエノシガイオス公国と対立してからも、両家は交易を続けていた。
両家の間には、明確な友好関係が成立していた。
リシュリュー家がフランクベルト王家をあざむき、敵国エノシガイオス公国と通じていないか。
あるいは今後そのような目論見がなされることがないか。
フランクベルト王国の王子として、レオンハルトは確かめたかった。
女扈従の『耳のよさ』で、伯父ヴィエルジュと敵将トリトン公子の密談を盗み聞くことができないか。
自身の身がリシュリュー宗家の血脈をも汲むことを口実に、レオンハルトは女の尻軽さへ賭けたのだ。
指揮官として、戦場で兵を進退させるのとは種類の異なる駆け引き。
緊張が女へと、不自然に伝わっていないかが気がかりだった。
「しかしながら僕は信用されていないらしい」
レオンハルトは嘆いた。
「伯父上は僕に、なにも打ち明けてはくださらない」
レオンハルトの口元に、さみしげな笑みが浮かぶのを見て、女は彼の手を自身の両手で包み込んだ。
「ご心配にはおよびません」
女は慈母の寛容を湛えて言った。
「殿下はリシュリューにとっても特別なお方です。おそれながら申し上げます。殿下に同じく、リシュリューの血を引かれる兄君、ジークフリート殿下とは違っていらっしゃるのです」
「兄上と?」
レオンハルトは鋭く問い返した。
女の口から思わぬ名が――それもレオンハルトの敬愛してやまない兄の名が、見下されたかのような調子で――出たものだから、レオンハルトは心構えもなく、露骨な嫌悪を表に出してしまった。
だが女は、そんなレオンハルトの厳しい口ぶりを、なにか異なる事情と勘違いしたのだろう。
レオンハルトへ優しくほほえみかけた。
「ええ。そうですわ。どうぞご安心くださいませ。ジークフリート殿下では、レオンハルト殿下にまったく及びもしないのです」
女はレオンハルトを労わるように言った。
「リシュリュー侯爵閣下を除いた建国の七忠、その諸侯がジークフリート殿下をどれほど讃えようと、リシュリュー一族がそのような与太話に振り回されることはございません」
女がうっとりした様子で語るのを、レオンハルトは疑問に思った。
女がレオンハルトへ憧憬の念を抱いていることは、わかっている。
だがそれは、レオンハルトが王族であり、なおかつリシュリュー宗家と直系であるという、単純にその血筋に惹かれているのだろうと考えていた。
そうであれば、女の目の前にいるのがレオンハルトではなく、ジークフリートであったのならば、女の憧憬はジークフリートに向くはずなのだ。
だが女の口ぶりは、やけにレオンハルトへと肩入れしている。
そこには、この場において手の届く望みのある相手がジークフリートではなく、レオンハルトであったから。というだけには留まらないような、そんな熱量がこめられていた。
うろんなまなざしを向けるレオンハルトに、女は言った。
「殿下のご母堂、リシュリュー一族が美姫、マリー王妃陛下は一度、子宮を汚されました。愛のない、望まぬ婚姻による妊娠と出産です」
レオンハルトは衝動的に立ち上がった。
椅子ががたりと音を立てて倒れた。
女はレオンハルトに手を振り払われたが、それにもかまわず彼を一心に見つめ、言い募った。
「その後マリー王妃陛下は、真に愛する相手と結ばれ、彼の御方との間に男児をひとり、もうけられました」
女の瞳は明るく輝き、頬はつややかに。
そして心酔するような、うっとりとした笑みが顔いっぱいに広がっていた。
「マリー王妃陛下の子宮は、真に愛する男性によって浄化されました」
「それは――」
レオンハルトは口を開いた。
相手は誰なのか。
その男児は今も生存しているのか。
そうであるならば、どこにいるのか。
その不義の男児とは、まさか。
その先は音にならなかった。
喉になにかがはりついているような、ひきつれるような、強烈な違和感があった。
違う。とレオンハルトは自身に言い聞かせた。
僕じゃない。それは僕じゃない。
だって僕にはフランクベルト家の血が流れると、女はたしかに言ったじゃないか。
『殿下の御身体には、我が国で最も尊き建国の獅子王、その御血が流れていらっしゃるではありませんか』
建国王を崇拝するリシュリューの女が、レオンハルトについて述べたことだ。
レオンハルトが問いかけを続けるのか、女はしばらく待った。
だが彼が口をつぐんだままだったので、女は説明を再開した。
「ゆえに、偉大なる建国王とその御血脈への敬意を示し、二心なく国に仕える臣下としての忠誠心を証明するために。
ふたたびこの国の王子を、願わくば次代が王となるべき男児をもうけることに、マリー王妃陛下はご納得されました」
女が力強いまなざしでレオンハルトを見つめている。
レオンハルトは思考を手放そうと、口元を覆っていた手を額にやった。
指がぬるりと滑る。
脂汗がにじんでいた。
「そうしてご生誕なされたのが、レオンハルト殿下。あなた様なのです」
女は声をはずませて言った。
言い含めるように。
あるいはレオンハルトが理解しているかを確かめるように。
女は小さく頷いてみせた。
レオンハルトは深く息を吸い込んだ。
生花と羊肉、女のつけた香油がそれぞれ調和することなく主張し合い、部屋に漂っていた。
心臓が激しく脈打ち、血液が送り出され全身を巡っている。
その鼓動はレオンハルトの耳の内で、太鼓のような音となって鳴り響いていた。




