7 ナタリーと猫(3)
「キャンベル辺境伯家は隣国と近すぎた。あたしに流れる青い血は、既に混じりもの。王妃になれるわけがない」
王子妃にならば、なれた。
それも第五王子という、本来ならスペアとしても遠いはずの王子。その妃ならば。
家格は十分である。
ナタリーの生家、キャンベル家。
隣国との境を構えるキャンベル辺境伯領は、まずその総戦力がずば抜けている。
そして資源豊かで、天候に左右されるものの、農作物の生産量は国で一、二位を争う。
辺境にあるため、王都に流通する最先端の装飾品、絵画、陶器といった、洗練された感覚を持った職人達の手を擁する流通には疎い。王都の職人達に比べればキャンベル領の職人達は、やや精彩を欠く。
だが、隣国と接する地ならではの、文化の混じり合った民芸品は、異国情緒があり評判もいい。
王都にも邸宅をかまえるような大貴族達が、好んでそろえるような品ではない。
しかし、裕福な子女が互いに贈り合うプレゼントと一つとして。定番から外れ、意外性があって気の利いた、なおかつ貴族の贈り物として相応しい上等な品として、人気がある。
総じてキャンベル領は豊かな土地だ。
純血主義を掲げる大貴族とは、異なる力を持つ。
隣国と親しく、キャンベル辺境伯独自の交友関係があり、国を守る第一手として十分な力もある。かつ青い血で忠誠を誓うわけでもない。
キャンベル宗家は王家にとって、是が非でも婚姻で縁を結びたい相手である。
第五王子のレオンハルトと、キャンベル辺境伯令嬢ナタリーの婚姻。王家、キャンベル辺境伯双方より、心から祝福されていた。
レオンハルトの血に、輝く青い血が発現するまでは。
「君の魔力は誰よりも強い」
レオンハルトは言い訳がましく言った。
「ええ、レオンには負けるけど」
なんてことのないように、さらりとナタリーは言い返した。
レオンハルトに青い血が現れるまでは、ナタリーが国一番の魔力の持ち主で、国一番の魔法騎士だった。
またしても青い血だ。レオンハルトの前に立ち塞がる。
「君はずっと僕と一緒に、国のため、戦に身を投じてきた」
レオンハルトはどうにか言い訳が見つからないか、必死に頭をめぐらせる。
「君の他に、これほど国に貢献したご令嬢はいないよ」
「あら、貢献のしかたの違いだわ。戦うだけが国への忠誠心ではないでしょう?」
けれどナタリーは、レオンハルトがようやく見つけた言い訳をすぐさま否定する。
ナタリーが指摘するのは、武力行使を伴わない外交交渉について。
メロヴィング公女ミュスカデが、当時王太子であった第一王子ジークフリートと共に、あらゆる友好国を訪れ、各国の王侯貴族と親交を深め、戦への協力を約束させたり、国王が同盟を結ぶ下地を作ったこと。
「君が言いたいのは、メロヴィング公爵令嬢のことか」
レオンハルトは下唇を噛んだ。
「けれど、彼女は兄上を慕っている」
「……ええ、そうね」
これにはナタリーもうなずくほかなかった。
けぶるように長く豊かな睫毛に縁取られた瞳を伏せ、ナタリーはレオンハルトの胸に手を添える。
メロヴィング公女ミュスカデは、誰より王妃に相応しい令嬢だ。
ナタリーは王妃としてレオンを支える能力がないことを自覚している。混じりものでなくとも、たとえ純血であっても、ナタリーは王妃の器ではない。
「それでもミュスカデ様は、この国のため」
ナタリーはミュスカデと交わした会話を思い返しながら言った。
「ご自身の役割を受け入れていらっしゃるわ」
「兄上も彼女を愛している!」
レオンハルトはたまらず叫んだ。
「国より何より、兄上に彼女が必要だ!」
第一王子ジークフリートとメロヴィング公女ミュスカデの仲の良さは、王家に親しい者ならば誰でも知っていた。
王家とメロヴィング公爵家を結ぶため。ジークフリートより七つ歳下のミュスカデが生まれて間もなく婚約を結んだ。まごう事なき政略的婚約。
だが二人はお互いを尊重しあい、助け合い、大切に関係を育んできた。
将来の王、将来の王妃として、二人がどれほど励んできたのか。国のために何を犠牲にしてきたのか。
第五王子のレオンハルトとは、まるで違ったことだろう。
レオンハルトは王子教育はそこそこに、剣を振るうこと、魔法を操ること、魔術、兵法といった、戦うことに重きを置いてきた。
そんなレオンハルトに兄のジークフリートは、王子教育をおろそかにするなと度々苦言を呈した。
しかし成人後、レオンハルトはキャンベル辺境伯に婿入りするつもりだった。
王族籍を抜けて臣下に下ることになっていて、臣下として兄ジークフリートを支えるつもりで。
また次期キャンベル辺境伯として期待されるものは、第一に武力、魔力。何より荒くれ者の多い、実力主義の辺境伯軍を率いる能力。
レオンハルトに、王として諸侯の上に立つ能はない。
戦うことばかりで、王族としての執務に携わったこともほとんどない。
第五王子に求められていたのは、執務室でペンを振るうことではなく、戦場で剣を振るうことだった。
ナタリーも、王妃教育は受けていない。
ナタリーに出来ることは、レオンハルトと共に戦うこと。辺境伯領を守ること。
レオンハルトに王としての能がないのならば、なお一層、不足を補う王妃が必要だ。
「レオンにも賢妃が必要だわ」
「妃はいらないよ。僕はまだ成人していないからね。兄上が摂政についてくれるそうだ。少なくともあと一年は」
レオンハルトがナタリーの頬に手を添え、親指で下唇を柔らかく押し上げる。
ナタリーが困ったようにまなじりを下げた。
「でも僕は──」
レオンハルトはそこで口を閉じ、静かに息を吸った。
「王にならなくてはいけないのだね」
「ええ」
今にも泣き出しそうに笑うレオンハルトを見て、ナタリーの胸も痛んだ。
ナタリーの腰を寄せる力に腕を込める。後頭部に片手を回すと、胸元にぐっと寄せる。ナタリーの吐息がレオンハルトの胸元を湿らせる。
レオンハルトは固く目をつむった。
子供のように駄々をこねたところで、変わらない現実がある。
仕方がない。継ぐべき青い血がレオンハルトに現れてしまった。
王族としての務めがある。色恋を優先するわけにはいかない。
わかっているのだ。
そんなことは、わかっている。
レオンハルトが第一に考えるべきは国のこと。民のこと。
けれどやりきれない。
情けない姿をさらしている。わかっている。
自分ばかりが苦しいわけではない。わかっている。
レオンハルトとナタリーの婚約は知れ渡っていた。
出会ってから常に共に居る。新たな婚約には不利になるだろう。
幸いナタリーはまだ十五歳。成人して間もない。
キャンベル辺境伯の一人娘。魔法騎士としての能力。
純血主義に拘らなければ、ナタリーの未婚貴族令嬢としての価値は高い。
第五王子との婚約解消があっても、今ならまだ大した瑕疵にはならない。
ナタリーに新しい婚約者を用意すべきだ。
王家とキャンベル辺境伯との繋がりも保ちたい。ナタリーの魔法騎士としての功績を明確にしなくては。魔法騎士団には軍属のまま留めたい。
しかしナタリーを側妃に娶ることは許されるか?
交渉の余地はあるだろうか。
子に継承権を渡せないのに? 妾がせいぜいだろう。だが辺境伯令嬢を未婚のまま妾になどできない。
婿入りさせるなら、辺境伯の覚えめでたい者が、おそらく幾人かいるだろう。
そのうちナタリーに相応しく有能で誠実で、家格と年齢の近い者。
二心なくレオンハルトに忠誠を誓い、純血主義者ではなく、キャンベル辺境伯領を理解し。けれど最後には国ではなくナタリーを優先する者。
レオンハルトには出来ない願いを叶えてくれる、そんな者を。
ナタリーを幸せにしてくれる者を。
──僕が国王になんてなってみろ! 僕が考えるのはナタリーのことだけだ! 政の全てが私情に塗れるぞ!
わめき散らかしたいものをぐっと飲みこむ。
「僕は、王になるよ」
レオンハルトは、よわよわしく笑った。
軽く首をかしげて、腕の中におさまるナタリーの目をのぞきこむ。
ナタリーの黒い瞳。
長くけぶるまつげは、濡れている。
「第十一代フランクベルト王レオンハルト陛下」
ナタリーはまなじりを細め、紅い唇がほころぶ。
薔薇色に染まる頬。
「我が人生を、あらゆる愛を、誠の忠誠を」
ナタリーは胸に、両手を当てた。
「私ナタリー・キャンベルは、神の御名において、この身の全てをあなたに捧げることを誓います」
風にさらわれる一筋の黒髪。薔薇が薫る。
「レオン、愛しているわ」