20 純血と混じりもの
ナタリーは言葉を返すでもなく、じっとレオンハルトを見つめている。
そのくちびるがわずかに震えていることに、レオンハルトは気がついた。
なんらかの情動の発露でもあっただろう。
しかし、冷えた湯がナタリーの体温を奪っているのかもしれない。
湯舟は話し合いの場にはふさわしくない。
レオンハルトは垂れ布むこうの扈従に、声をかけた。
「タオルを二人分、寄越してほしい」
レオンハルトの命を受け、入浴に側仕えていた女が、垂れ布を分け入った。
手には大きなタオル。
身体を包むときに寒くないよう、火でしっかり温めたものだ。
女はレオンハルトにタオルを差し出した。
そして、そこで目の当たりにした光景に、彼女は改めて奥歯をかみしめることになった。
女は宗家嫡男であるヴィエルジュから、彼の甥レオンハルトへ、よくよく仕えるよう申しつかっていた。
それでなくとも、レオンハルトは敬愛すべき王子だ。
偉大なる建国王が直系の子孫なのである。
そのうえリシュリュー家の血脈までも流れている。
そのレオンハルトが、ナタリーの髪を丁寧にタオルで挟みこみ、拭いていた。
レオンハルトが用いているのは、湯舟にあらかじめ垂れかけてあったタオルだろう。
女の用意した温かなタオルは、まだ彼女の手元にある。
女はうつむいた。
裸体をまじまじと眺めることが不作法だということもある。
だがそれ以上に、ナタリーを睨みつけることで、レオンハルトの不興を買うことを避ける意味合いが強かった。
第五王子レオンハルトとその暫定婚約者ナタリー。
二人の間に、厳然として横たわる貴賤。
高貴な血筋の――加えてうつくしく、聡明でたくましい、心身ともに健康な――理性ある王子に対し、辺境伯の長女に過ぎない娘がどのような手管を用い、婚約者の座におさまったのか。
先ほどの二人の会話を耳にすれば、自ずとわかるというものだ。
入浴さなかの彼等の会話を、女は黙って聞いていた。
そのとき彼女は、ナタリーの言いよう、振る舞いの、そのあまりの厚顔無恥に腹立たしい心地であった。
そこにきてこれだ。
ナタリーがレオンハルトに、濡れ髪を拭かせている。
レオンハルトに衣服を着させず、裸のままで屈辱的な奉仕をさせている。
まるで女王のごとき振る舞いだ。
この国の貴族は、『青い血』で王への完全なる忠誠を示し、一方、『青い血』で王からの祝福を賜る。
辺境伯、その家門の娘が、爵位の序列において高い位にあることなど、純粋な『青い血』の尊さにくらぶれば、なんの価値もない。
血統がすべてだ。
つまりナタリーなど、国一の武勇、キャンベル辺境伯の娘とはいえ、しょせんは混じりものに過ぎない。
さらには女であるにも関わらず、身の程をわきまえず、戦場にまでしゃしゃり出る野猿令嬢。
そのように下賤なナタリーに対し、高貴なるレオンハルトが、まるで下仕えであるかのように。
髪を、拭いてやっていた。
「ナタリー、こちらへおいで」
扈従の差し出すタオルを手に取り、レオンハルトが優しげな声色で言った。
フランクベルト家とリシュリュー家の元に生まれた、高貴なる王子様レオンハルト。
彼は、女扈従によって温められたタオルを手に取るときにだけ、ちらりと彼女の手元を見た。
だがタオルをつかんだときにはもう、王子様の視線は彼女のもとから離れていた。
「君はもう下がるように」
レオンハルトは女を振り返りもせずに言った。
こうべを垂れ退室する女扈従の耳に、ナタリーの非難の声が聞こえてきた。
レオンハルトがナタリーに、なんらかの悪ふざけをしたようだった。
ナタリーの抗議はうわべばかりで、声色は恋人同士で交わすそれでしかなかった。
「ほら、抵抗しないで。僕がすみずみまで香油をぬってあげるから」
ナタリーの叱責に見せかけた嬌声があがると、レオンハルトはいたずらっぽく言った。
「おおせのとおりに、女王様」
女は扉を閉じると、廊下に立つ衛兵を見上げた。そしてほほえみかけた。
女はリシュリュー家庶流の生まれだった。
彼女の容姿には、リシュリュー家の類まれな美貌が、如実に顕れていた。




