表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
75/212

18 捕虜引率の行進曲




 ながらく先延ばしにされていた、フランクベルト王国の太子決定。

 それがようやく第一王子ジークフリートへと白羽の矢が立った。


 王宮からの使者は馬を駆り、レオンハルトのもとへ急ぎやってきた。

 知らせを受けたレオンハルトは、ただちに王宮へ戻ることになった。


 ついでとばかりに野営地をたたんだ一行は、レオンハルトとともに王都へ向かうことにした。

 捕縛した敵将トリトン公子を筆頭に、敵国の兵士らも引き連れての大所帯である。


 ジークフリートの立太子が伝えられたのが、トライデントを制したばかりのころであれば。

 王都帰還の勅命を下されたレオンハルトを除いて、兵たちの誰も、ひとりとして帰都するつもりはなかっただろう。


 だがしかし、勢いのまま追い詰めんとしていた敵エノシガイオス公については、一足遅かった。

 海を渡られてしまったのだ。


 海の覇者とも呼ばれるエノシガイオス公。


 戦において勝利の機運というものは、確かに存在する。

 しかしながら、意気揚々と海上のエノシガイオス軍を攻め込むには、一度の勝利の余韻だけでは、二度目の勝利の確信に弱い。


 軍艦や砲弾。その数も威力も、それらを駆使した戦術も。なにもかも。

 我軍が敵軍に及ばないことを、司令官キャンベル辺境伯は冷静に判断した。

 幾人かの指揮官は不満をとなえたが、しだいに納得し、司令官に従った。その他兵士らも同様だった。


 惜しくもエノシガイオス公を捕らえることは叶わなかった。

 だが、兵士らの間に漂う勝利の高揚感は打ち消されず、兵士らにまとわり続けた。


 前線では軍の統率や伝達、士気の鼓舞に敵兵への威圧のために打ち鳴らされた太鼓やラッパ。

 軍楽隊の仕事である。

 この凱旋において、彼らは戦闘中の緊迫した任務ではなく、自由な音楽として、その演奏を祝福の旋律へと変えた。


 あかるく華々しい音楽が、青々とした草の海を走り、水色の空の下で響き渡る。

 頬をなでるあたたかな風が音楽を連れていき、王都へと進む彼らの先をゆく。


 音楽の先導にならい、馬上の男達は行進曲に合わせ、気ままに歌った。

 音程はさだかではないものの、のびやかな歌声は、空から降り注ぐ日差しのように、帰途に着くひとびとの心を明るくした。



「よかったわね、レオン」

 兵士らの歌声に合わせて、ナタリーが鼻歌まじりに言った。

「ジークフリート殿下が立太子なさるのを待ち望んでいたものね」



 男達と同様に、ナタリーは両足を開いて馬にまたがっていた。

 のどかなひづめの音を立て、馬はのんびりと進む。

 ナタリーの馬がレオンハルトの馬に寄り、横並びになった。

 二頭の尾は同じ速度で、同じ方向に揺れる。


 青い空に白い雲。

 広々とした緑の草原に、さわやかな風。

 土草の匂いに混じる、かすかな硝煙の匂い。

 音楽隊の鳴らす音に、高低さまざまな兵たちの歌声。

 大集団が進行したあとに残されるのは、倒され踏みしめられた草。それから馬のひづめ、荷馬車のわだちの跡。

 草原に現れ、刻まれた、新たな道。


 牧歌的な景色。

 未来へとあかるい希望に満ちた、うつくしい日だった。



「うん。兄上にお会いするのが、待ちきれないよ」

 レオンハルトは晴れやかな笑顔を浮かべて言った。

「次代が王として立太子なさった兄上に、勝利の報告をできることが、とても嬉しく、誇らしい」


「あら。まるでレオン一人で勝ったみたいな言い草ね」

 ナタリーは馬上で上半身をレオンハルトへと傾けた。


 そこからさらに首をのばしたことで、後頭部でひとくくりにしたナタリーの長い髪が、レオンハルトの(よろい)をかすめる。

 レオンハルトはほほえみ、愛おしそうにナタリーを見つめた。



「あたしの活躍も、忘れずにジークフリート殿下へお伝えしてよね」

 ナタリーがじろりと睨め上げる。



「もちろんだよ」

 レオンハルトは碧い瞳を細め、うなずいた。

「君なしでこの戦は勝てなかった。最たる功労者はナタリー、君だ」



 レオンハルトは手綱から片手を離した。手を伸ばし、ナタリーの髪をすくいあげる。

 籠手(こて)を装着したままだったので、指の動きはぎこちない。


 厳しい戦場の日々によって傷み、ごわつくナタリーの髪は、当然のようにレオンハルトの籠手にからまった。



「いたっ」

 引っ張られた髪の根元を手で抑え、ナタリーはささやかな悲鳴をあげた。



「くさい」

 レオンハルトはナタリーの非難に応えず、すくいあげた髪の匂いを嗅いだ。



「『王子様』だってじゅうぶんくさいわよ。ねぇ、レオン?」

 むっとした口調でナタリーがレオンハルトをなじる。



「うん。僕もきっと、獣のように臭うんだろう」

 レオンハルトはうなずき、ナタリーの髪を手放した。


 眉を吊り上げるナタリー。

 その黒い瞳をレオンハルトは覗き込む。



「今晩は共に入浴しよう。澄んだ水のわき出る泉が、近くにあったはずだ。そこから水を汲もう」



 レオンハルトからの、まっすぐに射抜くようなまなざしを受け、ナタリーは表情を変えた。


 それまでの言い争い、こどもじみたじゃれ合いが、レオンハルトとナタリーの間にある友情、戦地で育み、固く結ばれた信頼関係だとするならば。

 たった今レオンハルトの瞳に(とも)った青い炎は、ナタリーへの愛と情欲だった。



「ふうん」

 ナタリーは口元をニヤリとゆがませ、レオンハルトを下から上まで、なめるように見た。

「においだけでなく、本当に。獣のような王子様ね」



 レオンハルトとナタリーの視線がからみ合う。



「満足させるよ。仮にも獅子の子だからね。獣の狩りは得意だ」

 ナタリーから目を離さず、レオンハルトが熱っぽい口調で言った。


 ナタリーはその場で馬をぐるりと一回転させた。



「その大口が真実か、今夜確かめてあげる」

 ナタリーは挑戦的な笑みでレオンハルトを見下ろし、馬の横腹を蹴った。


 ナタリーの馬が速度を上げてレオンハルトから離れていき、先の集団に混じって消えた。



「ぜひとも確かめてくれ」

 レオンハルトはナタリーの後ろ姿を見送った。


 部隊の最後方。

 荷馬車に押し込められ繋がれた捕虜たちにも、今夜の宿営地が告げられた。


 一行はいま、リシュリュー侯爵領にいた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
いや~ん♡ 一緒に入浴~♡ こういうオトナなシーンもさすが空原海様! でも、いいですよね、木曽義仲と巴御前みたい! ←まて、この例は正しいのか?(笑)
おお……こういう男女の会話は空原さまの現代小説にも通じるものを感じますね。本当に自然でうまい…!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ