18 捕虜引率の行進曲
ながらく先延ばしにされていた、フランクベルト王国の太子決定。
それがようやく第一王子ジークフリートへと白羽の矢が立った。
王宮からの使者は馬を駆り、レオンハルトのもとへ急ぎやってきた。
知らせを受けたレオンハルトは、ただちに王宮へ戻ることになった。
ついでとばかりに野営地をたたんだ一行は、レオンハルトとともに王都へ向かうことにした。
捕縛した敵将トリトン公子を筆頭に、敵国の兵士らも引き連れての大所帯である。
ジークフリートの立太子が伝えられたのが、トライデントを制したばかりのころであれば。
王都帰還の勅命を下されたレオンハルトを除いて、兵たちの誰も、ひとりとして帰都するつもりはなかっただろう。
だがしかし、勢いのまま追い詰めんとしていた敵エノシガイオス公については、一足遅かった。
海を渡られてしまったのだ。
海の覇者とも呼ばれるエノシガイオス公。
戦において勝利の機運というものは、確かに存在する。
しかしながら、意気揚々と海上のエノシガイオス軍を攻め込むには、一度の勝利の余韻だけでは、二度目の勝利の確信に弱い。
軍艦や砲弾。その数も威力も、それらを駆使した戦術も。なにもかも。
我軍が敵軍に及ばないことを、司令官キャンベル辺境伯は冷静に判断した。
幾人かの指揮官は不満をとなえたが、しだいに納得し、司令官に従った。その他兵士らも同様だった。
惜しくもエノシガイオス公を捕らえることは叶わなかった。
だが、兵士らの間に漂う勝利の高揚感は打ち消されず、兵士らにまとわり続けた。
前線では軍の統率や伝達、士気の鼓舞に敵兵への威圧のために打ち鳴らされた太鼓やラッパ。
軍楽隊の仕事である。
この凱旋において、彼らは戦闘中の緊迫した任務ではなく、自由な音楽として、その演奏を祝福の旋律へと変えた。
あかるく華々しい音楽が、青々とした草の海を走り、水色の空の下で響き渡る。
頬をなでるあたたかな風が音楽を連れていき、王都へと進む彼らの先をゆく。
音楽の先導にならい、馬上の男達は行進曲に合わせ、気ままに歌った。
音程はさだかではないものの、のびやかな歌声は、空から降り注ぐ日差しのように、帰途に着くひとびとの心を明るくした。
「よかったわね、レオン」
兵士らの歌声に合わせて、ナタリーが鼻歌まじりに言った。
「ジークフリート殿下が立太子なさるのを待ち望んでいたものね」
男達と同様に、ナタリーは両足を開いて馬にまたがっていた。
のどかなひづめの音を立て、馬はのんびりと進む。
ナタリーの馬がレオンハルトの馬に寄り、横並びになった。
二頭の尾は同じ速度で、同じ方向に揺れる。
青い空に白い雲。
広々とした緑の草原に、さわやかな風。
土草の匂いに混じる、かすかな硝煙の匂い。
音楽隊の鳴らす音に、高低さまざまな兵たちの歌声。
大集団が進行したあとに残されるのは、倒され踏みしめられた草。それから馬のひづめ、荷馬車のわだちの跡。
草原に現れ、刻まれた、新たな道。
牧歌的な景色。
未来へとあかるい希望に満ちた、うつくしい日だった。
「うん。兄上にお会いするのが、待ちきれないよ」
レオンハルトは晴れやかな笑顔を浮かべて言った。
「次代が王として立太子なさった兄上に、勝利の報告をできることが、とても嬉しく、誇らしい」
「あら。まるでレオン一人で勝ったみたいな言い草ね」
ナタリーは馬上で上半身をレオンハルトへと傾けた。
そこからさらに首をのばしたことで、後頭部でひとくくりにしたナタリーの長い髪が、レオンハルトの鎧をかすめる。
レオンハルトはほほえみ、愛おしそうにナタリーを見つめた。
「あたしの活躍も、忘れずにジークフリート殿下へお伝えしてよね」
ナタリーがじろりと睨め上げる。
「もちろんだよ」
レオンハルトは碧い瞳を細め、うなずいた。
「君なしでこの戦は勝てなかった。最たる功労者はナタリー、君だ」
レオンハルトは手綱から片手を離した。手を伸ばし、ナタリーの髪をすくいあげる。
籠手を装着したままだったので、指の動きはぎこちない。
厳しい戦場の日々によって傷み、ごわつくナタリーの髪は、当然のようにレオンハルトの籠手にからまった。
「いたっ」
引っ張られた髪の根元を手で抑え、ナタリーはささやかな悲鳴をあげた。
「くさい」
レオンハルトはナタリーの非難に応えず、すくいあげた髪の匂いを嗅いだ。
「『王子様』だってじゅうぶんくさいわよ。ねぇ、レオン?」
むっとした口調でナタリーがレオンハルトをなじる。
「うん。僕もきっと、獣のように臭うんだろう」
レオンハルトはうなずき、ナタリーの髪を手放した。
眉を吊り上げるナタリー。
その黒い瞳をレオンハルトは覗き込む。
「今晩は共に入浴しよう。澄んだ水のわき出る泉が、近くにあったはずだ。そこから水を汲もう」
レオンハルトからの、まっすぐに射抜くようなまなざしを受け、ナタリーは表情を変えた。
それまでの言い争い、こどもじみたじゃれ合いが、レオンハルトとナタリーの間にある友情、戦地で育み、固く結ばれた信頼関係だとするならば。
たった今レオンハルトの瞳に灯った青い炎は、ナタリーへの愛と情欲だった。
「ふうん」
ナタリーは口元をニヤリとゆがませ、レオンハルトを下から上まで、なめるように見た。
「においだけでなく、本当に。獣のような王子様ね」
レオンハルトとナタリーの視線がからみ合う。
「満足させるよ。仮にも獅子の子だからね。獣の狩りは得意だ」
ナタリーから目を離さず、レオンハルトが熱っぽい口調で言った。
ナタリーはその場で馬をぐるりと一回転させた。
「その大口が真実か、今夜確かめてあげる」
ナタリーは挑戦的な笑みでレオンハルトを見下ろし、馬の横腹を蹴った。
ナタリーの馬が速度を上げてレオンハルトから離れていき、先の集団に混じって消えた。
「ぜひとも確かめてくれ」
レオンハルトはナタリーの後ろ姿を見送った。
部隊の最後方。
荷馬車に押し込められ繋がれた捕虜たちにも、今夜の宿営地が告げられた。
一行はいま、リシュリュー侯爵領にいた。




