15 鷲の伝言
「ガラスというものは美しいが重い。これでは不便だ」
クロヴィスは肩で息をし、ようやく開いたロンデル窓を恨めし気に見上げた。
「居館に窓ガラスとは、我がメロヴィング家が教会に次ぎ、諸侯より先んじて採用した技術ではあるが」
鷲が小さく身を縮め、窓の隙間から入り込んだ。
抜け落ちた褐色の羽根が風にあおられ宙に舞った。それはあっという間に吹き飛ばされ、視界からすぐさま消え去った。
「窓にはガラスなど、はめ込まずにいるほうが好きだなぁ」
クロヴィスの視線の先で、鷲がミュスカデの肩に止まった。
「ミュスカデはどうだい?」
鷲が片翼を大きく広げた。
鷲が広げたのは、ミュスカデの頬とは逆側の羽だった。
「わたくしは窓ガラスが好きですわ。窓にガラスがはめこまれていれば、戸を締め切らない日中も、凍えるような風や、招かれざる客を追い返すことができますもの」
ミュスカデの答えに、クロヴィスは肩をすくめた。
「窓ガラスくらいで諦めてくれる客ばかりならばいいのだけれど」
鷲へと横目をやり、クロヴィスは言った。
「そのように強気な方には、わたくしが触れてさしあげます」
ミュスカデは兄の視線を追い、首をひねって鷲を見やった。
クロヴィスは眉をひそめて妹のすぐそばまで近寄った。
「おまえの固有魔法でかい?」
クロヴィスは問いかけた。
低くおさえられた声色は、彼の緊張と慎重さを伝えた。
ミュスカデは左右にも上下にも、どちらにも首を振らず、兄にほほえみを返した。
「こちらのかわいらしい客人には、このように触れてみましょう」
ミュスカデは鷲のくちばしを、彼女の細く白い指先でそっと撫でた。
「さぁ、ジークフリート様はいかが思われまして?」
鷲は片翼だけで器用に舞い上がった。
クロヴィスとミュスカデ。兄妹の眼前で、鷲がたたまれていた片翼を伸ばした。
窓から差し込む弱弱しい光と、燭台で燃える赤々とした火が、鷲の大きな両翼でさえぎられる。
部屋に大きな影が落ちた。二人は鷲を仰ぎ見た。
「ジークフリート殿下とおまえとで、わたしをからかう算段かい」
クロヴィスがつぶやくも、ミュスカデが口を開く間もなく、青白い光が閃き、あたり一面に広がった。
二人の視界はすべて光で覆いつくされ、ほかになにも見えなくなった。
まぶしさに目を細めた二人だったが、ふたたび視力が正常に戻ると、あたりを見渡した。
「これは……」
クロヴィスは目を見張った。
彼が立つのはいまや、ミュスカデの私室ではないように思われた。
ミュスカデの私室に敷かれた絨毯の色は、兄妹の髪色と同じくつややかな亜麻色で、青色ではなかったはずだからだ。
だがクロヴィスの足が踏みしめるのは、まさしく青色の絨毯であった。
ミュスカデもまたクロヴィス同様に、青地の上に金と銀とで描かれた複雑な文様へと、驚きのまなざしを向けた。
絨毯だけではない。
窓枠にはめこまれたガラスも変化していた。
弯曲した厚みの歪みを伴う小さなロンデルガラスから、平らで歪みのない、大きな板ガラスへと。
クロヴィスとミュスカデはゆらめく青い影に取り囲まれていた。
青い影はそれぞれ鳥獣虫の形をしていた。
蛇が鎌首をもたげ、鷲が両翼を広げ、蝶が舞い、馬がいななき、梟が体を動かさずに首だけを回し、蛙がまぶたを閉じて目玉を引っ込め、豚が鼻を鳴らした。
状況を飲み込まんと努めていたクロヴィスとミュスカデだったが、獅子の咆哮が響き渡ると、それら鳥獣虫が見覚えのあるひとびとであることに気がつかずにはいられなかった。
そこでぷつりと音が途絶えた。
「わたくし、知りませんわ。このようなこと」
ミュスカデは呆然として言った。
クロヴィスはぴくりと片方の眉をあげた。彼の同じ側の口の端も、つられて持ち上がった。
「しかしこれは、ジークフリート殿下のお力のように見えるけれど」
「いえ、ちがいます。いいえ、そうではなく」
ミュスカデはとまどい、たどたどしく言葉をつむいだ。
「『あの子』が肩にとまったときには、わたくしもジークフリート様がなにかお知らせにいらしたのかと、そのように思いましたけれど」
クロヴィスの横に並び立つミュスカデは、前方を向いていた。彼女はわずかに変化した兄の表情を見てはいなかった。
ミュスカデはつばを飲み込んだ。
「けれどこのような、実体――実体ではないのでしょうね、なにかしら。不思議なお芝居をお見せいただくことは初めてで。ジークフリート様のお力を、わたくしが正しく知らなかったに過ぎないことですが――」
「ミュスカデが知らぬのなら、わたしが知るはずもないからなぁ」
クロヴィスの口調はいかにも空々しかった。
しかしミュスカデは眼前で繰り広げられる演目に、意識のほとんどを奪われていた。
それから映像だけにとどまらず、またもや音が彼女の耳元で響き始めた。
始まりはかすかな音だった。
『……』
水中で発する声のように、それは不鮮明だった。
だがあぶくのような音は二人の耳に、じょじょにはっきりと聞こえるようになった。
やがて意味のある単語へ。ついには単語をつないだ文章へと変貌した。
『第五王子殿下が王位につけば、この国から魔法が失われると、アタシは何度も申し上げてきましたでしょう』
ヴリリエール公爵の声だった。
ねっとりと特徴的なくちぶりは聞き間違えようがない。蛇公爵その人だ。
 




