14 兄妹の再会
父メロヴィング公爵が王宮へと中央評議会に参与するのを見送ったミュスカデは、針仕事に精を出していた。
となりでは兄クロヴィスが、ミュスカデのこれまで仕上げた刺繍作品のかずかずを手に取っては眺めてを繰り返していた。
その都度、感心したようにクロヴィスの口から感嘆の声がもれた。
クロヴィスのおおげさな驚きように、ミュスカデはくすくすと笑った。
メロヴィング公爵唯一の男子、次期メロヴィング公爵である嫡男クロヴィス。
彼は久方ぶりにメロヴィング公爵王都邸宅に戻ったばかりであった。
それまでクロヴィスは、さまざまな法律を学ぶためにほうぼうへ留学していた。
メロヴィング家の家督を継ぐために必要な、学びの旅であった。
数多の法律、その成り立ち、筋道、系統に触れ、理解を深め、習得し。
磨き上げた知恵を自国フランクベルト王国にて活用できると確信すると、クロヴィスはとうとう帰館した。
彼の到着は今朝がた。
そのころ父メロヴィング公爵は、中央参議会に向けてメロヴィング家直属の事務官らに慌ただしく指図を飛ばし、出立直前の最終確認をしていた。
それだから嫡男クロヴィスのようやくの帰館について、誇らしい、よくやった、めでたいと諸手を挙げて祝う暇もなく、父子はおざなりな挨拶だけを交わし別れた。
「事前に手紙で帰館の知らせを出してはいたが、そうはいっても、すばらしい時機というわけではなかったなぁ」
クロヴィスの帰館そうそう、入れ違いのように館を出て馬車に乗り込んだ父メロヴィング公爵。
その後ろ姿に、クロヴィスは苦笑した。
「おかえりなさいませ、お兄様」
ミュスカデはほほえみ、母公爵夫人とともに兄クロヴィスの帰館を喜んだ。
「ただいま、妹よ」
クロヴィスは母公爵夫人へ丁寧に帰宅の挨拶をしたあと、妹ミュスカデへほがらかに笑いかけた。
ここしばらく感じることのなかった、あたたかく満たされる心地に、ミュスカデの不安にはりつめた糸はぷつりと切れた。
涙がとめどなくあふれた。
ミュスカデは泣き顔を隠すようにして、兄クロヴィスに抱きついた。
クロヴィスの腰にしがみつき、ミュスカデは兄の胴衣に目元を押しつけた。
洗練された淑女へすっかり変貌したはずのミュスカデ。その妹が、幼子のようにクロヴィスにすがりついている。
クロヴィスはミュスカデの頭をなでてやった。
泣き止んで顔をあげたミュスカデの濡れた目と鼻と、それから妹の涙をたっぷり吸い込んだ胴衣を見比べ、クロヴィスはほほえんだ。
「ただいま」
ふたたびクロヴィスは言った。
◇
「こいつはすばらしいなぁ」
クロヴィスは白い絹のハンカチの両端をつまんで広げた。
縫いつけられた意匠は、両翼を大きく広げた鷲。
大胆な構図と、繊細でこまやかな針仕事。
クロヴィスの賛辞通り、ミュスカデの刺繍は称賛に値する、すばらしい出来ばえだった。
「まぁ、お兄様ったら」
ミュスカデは針仕事の手を止め、嬉しそうに頬を染めた。
「そちらはお兄様のために刺したのですよ」
「なんてこった。それは嬉しい。てっきりジークフリート殿下への贈り物なのかと早合点していたよ」
クロヴィスはニヤリと笑った。
「これほどの力作をもう見られなくなってしまうなんて、残念でならない、そうだ、くすねてしまおうかと。悪魔のささやきに身を任せるかどうかで悩んでいたんだ」
「鷲の意匠をジークフリート様に贈るはずがないではありませんか」
ミュスカデは不満げにくちびるを尖らせた。
「鷲はメロヴィング家の象徴ですもの」
「そうだな。我が家の象徴だ」
クロヴィスは満足そうに頷いた。
「どれもこれもミュスカデの作品は美しいが、こいつは格別だなぁ」
「お兄様のお気に召されて何よりです」
ミュスカデは針と布をサイドテーブルへ置いた。
「このたびのご修学は、我がメロヴィング家にとって、必ずや素晴らしい実りとなることでございましょう」
兄クロヴィスへ、ミュスカデは声色を改めた。
「我がメロヴィング家の、それから偉大なる獅子王が創り給いしフランクベルト王国の永遠なる栄光がため。お兄様はその偉業の第一歩を踏み出されました」
クロヴィスの広げるハンカチ。
そこに刺された、堂々たる鷲の意匠へミュスカデは視線をやった。
「ですからお兄様へ、メロヴィング家の鷲をお贈りしたかったのでございます」
「そうか」
クロヴィスは顔をほころばせた。
ハンカチに縫い留められた鷲を眺めるクロヴィス。
その目つきは喜びでうっとりとしていた。
「一針ごとに真心を込めて刺しました。どうぞお受け取りくださいませ」
ミュスカデが念押しした。
兄クロヴィスが妹ミュスカデの針仕事を褒め、妹ミュスカデが兄クロヴィスの修学をねぎらう。
仲の良い兄妹は、再会の喜びを分かち合った。
二人の過ごす室内には、親しくあたたかい、幸福な空気で満ちていた。
そこへ一羽の鷲が窓辺に降り立った。
ピィーッという鳴き声。
くちばしのコツコツと窓をたたく音。
ミュスカデとクロヴィスは目を合わせた。
小さく頷くクロヴィス。
彼は立ち上がり、窓辺へ寄った。
円盤状の吹きガラスを規則的に並べてはめこんだロンデル窓は重い。
外から吹きつける風の勢いが、クロヴィスが窓を開けようとするのに、さらなる抵抗力として加わった。
学問にいそしむ一方で腕力のないクロヴィスは、歯を食いしばって両腕に力を込めた。
ぎぃと重苦しい音が立つ。窓が開いた。
鋭く冷たい風が差し込み、室内のあたたかな空気を切り裂いた。




