4 血の流れる川
トライデントの戦いにて敵将の降伏を受け入れた陣営は、荒廃した戦地の後処理班といった、捕虜を扱う者、衛生兵ら救護にあたる者、報告のための調査をする兵士らを残し、前線から退いた。
野営地に戻ってすぐ、レオンハルトは近くの川に潜り込んだ。
全身に浴びせられ、こびりついた血と脂を洗い流したかった。
レオンハルトの身体が、頭のてっぺんまで川に沈んだ。
とぷん、と静かに水面が揺れると、レオンハルトから放射状に浮かび上がる虹色の脂もまた、波紋と同様に広がっていった。
水中でレオンハルトは頭上、水面へと昇ってゆく紫紺色の筋を見つめた。
水草とともにゆらゆらと揺られる、か細い筋。
レオンハルトの腕や足、背など。負傷したところから、頼りなげに立ち昇っていた。
レオンハルトはざばりと顔を出し、立ち上がった。
両手で顔をなで上げ、そのままの手で髪を一つにまとめ、首の後ろでぎゅっと絞った。
ぼたぼたと水が垂れた。
泥と血と脂と。濁って汚れた水が、レオンハルトの頬や腕、腹、足に幾本もの筋を描いて滴り落ちた。
その中に、レオンハルトの紫紺色の血が混じっていた。
しばらく散髪していなかった髪は、肩につく程まで伸びていた。
絡み合う髪に指を差し入れるが、汚泥で固められ、ほどくことはできなかった。
髭については、生え揃う年齢にはまだ達していなかったので、他の男達のようには、汚れた髭をほぐす必要がなかった。
指揮官らの集うテント小屋へ近付くと、レオンハルトに気がついた衛兵が、ただちに槍の穂先を伏せ、心臓を拳で叩いた。
彼は若き指揮官へ、敬意を示したのだった。
レオンハルトは口元に笑みを浮かべ、衛兵の肩を叩いて労った。
小屋内では、今回の前線においての最高指揮官。司令官たるキャンベル辺境伯を始めとした指揮官の面々は、皆すでに酒と食事を口にしていた。
彼らはキャンベル辺境伯に忠誠を誓う旗主達で、豪快な男達だった。
「やぁ、レオンハルト殿。ご活躍でしたな」
キャンベル辺境伯は快活に言った。
「腹が減っているでしょう。ひとまずは、飲んで食べなさい」
「ありがとうございます」
レオンハルトは司令官の厚意に従い、席についた。
ナタリーの視線が頬に突き刺さった。
レオンハルトは気がつかないふりで、目前の厚切り肉をナイフで切った。
干し肉ではない、新鮮な肉を味わうのは、久方ぶりだった。
切り分けた肉からは、血と肉汁が滲み出した。
レオンハルトは、戦場で失った部下の最期を思い出しながら、肉を口に放った。
「とうとう、トライデントを制しましたな」
テーブルにつく、指揮官の一人が得意げに言った。
「エノシガイオス公も今頃、大慌てで海へ逃げ帰る算段をしていることだろう」
「違いない!」
別の指揮官が、粗野な素振りで杯を頭上にかざし、咆えるように笑った。
「だが遅い。トライデントを落とした我等が、彼奴を見逃すことなど、ありえるものか」
杯を飲み干し、荒々しくテーブルにたたきつけると、彼は汚れた頬髭をまさぐった。
「おう、これは」
彼の親指と中指の間で、黒い粘液が糸を引いていた。食事の席には向かない、臭くて醜悪な吊り橋模型だった。
彼が指の腹をこすると、肉の切れ端がテーブルに落ちた。
「王子殿下のように、儂も洗い清めてから参るべきでしたな」
彼の縮れた頬髭は、テーブルを囲う男達同様に、いましがた食べたばかりの厚切り肉、その肉汁、血と脂で汚れていた。
それだけでなく、男達のほどんどの髪や髭は、絡まりもつれ合い、そこには厚切り肉のためだけではない血と脂、肉や臓物などで汚れていた。
レオンハルトの浸かった野営地近くの川は、まだ人間の血と脂に汚れきってはいなかった。まもなく川の色も変わるだろう。
赤い血の流れる川に。