2 初夏の港町
王妃ら一行が此の度滞在するのは、侯爵一家の居館であった。
芸術家達の集う町からも、港町からも、双方同じく遠い。
リシュリュー侯爵領主館は城塞ではなく、台地に根を下ろす。
贅の限りを尽くす、きらびやかな王宮とは趣が異なる。
列柱建築を用い、白い石灰モルタルの柱が、狭い間隔で数多く並ぶ。
開放的で陽気。それでいて荘厳であり、芸術を司る主に相応しい館だ。
領主館の周りを取り囲むのはアカンサス。
アカンサスとは、リシュリュー侯爵領でよく親しまれている花である。
紫色の萼に白い花弁。大きくつやつやとした濃緑色の葉を広げ、あたり一面に生い茂っていた。
館内に多く立ち並ぶ柱には優美な彫刻が施されているのだが、この柱頭に用いられているモチーフもまた、アカンサスだ。
港町から離れた居館まで磯の香りを運んでくるのは、見渡す限り開けた丘陵の平原。なだらかな起伏が続く。
乾いた空気と塩を多く含む風のために、生える草木の種類は限られた。
鬱蒼とした森林は見当たらない。
だだっ広い平原を青空の下、潮風で肺を膨らませながら馬を走らせていると、多く目に入ってくるのが、オリーブの木だ。
強い日差しで銀色にきらめくオリーブの木々は、美しかった。
土の色は大概、白っぽかった。
石灰岩由来のために大小さまざまな石がごろごろと転がっている。
ときに、粘土質の肥沃な土壌を生かし、ぶどうの木が植わっていたりもする。
リシュリュー侯爵領で栽培されるぶどうからは、良質なワインができる。
王妃ら賓客達に振る舞われるワインこそが、これらのぶどう畑から採れる、リシュリュー侯爵自慢のワインである。
馬を走らせ続けると、ようやく賑やかな港町に出た。
白壁の立ち並ぶ、美しい港町。
こちらでもやはりアカンサスは家々を取り囲み、石灰クリームの分厚く塗りたくられた壁には、装飾のように蔦が這う。
オリーブやオレンジの木が、各家が好むよう雑多に植えられていた。
波止場には何艇もの大型の船が錨を下ろし、停泊していた。水夫達が忙しなく行き交いしている。
彼等は皆一様に、よく日焼けしていた。
厳しい潮風に晒された肌は、細かなシワを幾本も皮膚に刻み、それでいて光り、よく磨かれたなめし革のようだった。
レオンハルトとジークフリートの兄弟は、港町の繋ぎ場へ寄り、それぞれの愛馬を預けた。
これといった目的を持たずに波止場をそぞろ歩く。浮かび並ぶ船が途切れた場所で、二人は立ち止まった。
「母は目的を遂げたようだ」
ジークフリートは嘲るように口の端を歪めた。
「だが、此度の支援相手は女人であったらしい。子はできぬな」
白い太陽に向けてジークフリートが手を振り上げ、その指先に眩い陽光が集う。
ジークフリートの指先から心臓めがけて、少しだけ和らいだ光が駆けていく。
青い空よりも、さらに青い光が弾けると、ジークフリートはため息を漏らした。
レオンハルトが、青い炎の揺らめくジークフリートの目を覗き込む。兄は弟へと微笑みを返した。
それからジークフリートは水面へと視線を移し、眩しそうに目を細めた。
兄弟の瞳の色に似た、碧い水面。凪いだ初夏の海。
陽光を弾き、煌めいていた。
レオンハルトは兄の横顔を見つめた。
陰鬱だった顔色に明るさが戻ったが、どうにも気だるげだ。
レオンハルトは両手で海水を掬った。そのままジークフリートへと投げかける。
白く泡立った水飛沫が、ジークフリートの淡い金の髪を飾った。精緻なガラス細工のように映えた。
「やったな」
ジークフリートは笑い、やり返そうと腰を屈め、海水に手をのばした。
そこへ幼児が、わたり板を玉のように転がり落ちてきた。
「兄上、危ない!」
慌ててレオンハルトは飛び出した。
幼児がジークフリートを海中へと突き落とさぬよう、幼児の腹に手を回し、強く引き寄せた。
レオンハルトとて、まだ細い少年の体。
幼児と比べれば大きいが、それほど体格の差があるわけではなかった。




