表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
57/212

1 リシュリュー侯爵の旗印




 王妃とその実子であるジークフリート、レオンハルトの兄弟は、リシュリュー侯爵領へと訪れることが度々あった。

 父王は王宮に留まっている。母子のみで母方生家への帰省である。


 王妃の生家であり、建国の七忠が一つ。


 リシュリュー侯爵領は、フランクベルト王国において交易の要であった。

 しかし近隣諸国との友好関係の悪化により、その役割、重要性は薄らぎつつある。


 近年、リシュリュー侯爵の名を最もよく響かせるのは、それは芸術の保護者としての存在だ。

 よってリシュリュー侯爵領には、才のあるなしに関わらず、分野を問わず、芸術家を志す者達がこぞって集う。


 リシュリュー侯爵領は、交易で栄える港町と、国中の美が競われる芸術の都とで名を馳せていた。




 白く眩しい太陽が、澄み渡った空の真南、その頂点に達した頃。

 領主リシュリュー侯爵は、さほど珍しくもない賓客を朝食の席に招いた。

 侯爵の他に、侯爵夫人、それから次期領主である長男夫妻とその子供たちが、王妃とジークフリート、レオンハルトの三人に歓待を示した。


 このとき、ジークフリート十六歳。レオンハルト八歳。


 昨年、第一王子ジークフリートは、自身の成年の儀において、成年王族の一員に加わったことを国中に宣言していた。



「お父様」

 ナプキンで口もとを拭うと、王妃は澄ました様子で口を開いた。

「本日は、婦人方の開かれるサロンへ出向きます。つきましては、前もってご許可を」



 リシュリュー侯爵は眉をひそめたが、結局は頷いた。



「それでは失礼致します」

 王妃は王宮から連れてきた自身の侍女へと目線を送った。


 侍女が椅子を引き、王妃は席を立つ。二人は連れ立って退室した。


 ジークフリートは母王妃の背を見送ると、祖父リシュリュー侯爵に向き直った。

「侯爵は母に甘過ぎる」


「殿下は手厳しい」

 リシュリュー侯爵は眉を上げ、肩をすくめた。


 祖父の気安い素振りに、ジークフリートは冷たい視線を投げた。

「私は二人目の弟を欲してはいない」


「二人目どころか。ジークフリート殿には、既に四名もの弟王子殿がおられる」

 からかうように口を出したのは、次期リシュリュー侯爵ヴィエルジュ。王妃の兄であり、ジークフリートの伯父だ。


 彼はちらりとレオンハルトを見た。

「おや。こちらにも、お一人おられたようだ」



 ジークフリートは伯父ヴィエルジュの軽口を無視し、祖父リシュリュー侯爵に再度喚起した。

「貴方がたの能力は、あのような野蛮を許さずとも行使できるはずだ」


「ジークフリート殿は芸術をご存知ないようですね」

 またしてもジークフリートに応えたのは、祖父リシュリュー侯爵ではなく、その長男。ジークフリートの伯父、ヴィエルジュだった。

「愛と憎しみと。複雑な心の働きを知ってこそ、人は凡庸を超えた芸術を生み出す。我等一族はその手助けをしたいのです」



 ジークフリートは伯父ヴィエルジュを見なかった。

 だがレオンハルトは、彼が自身の細君に微笑みかけ、饒舌に語るのを睨みつけた。



「貴方は愛の何を知っているの」

 憎々しげにレオンハルトが問えば、伯父ヴィエルジュは細君にしたように優美な微笑みを返した。



「愛とは何か。実に深淵なる問いです」

 ヴィエルジュは顎をしゃくり、考え込むような素振りを見せた。

「しかし芸術とは、眠り、食べ、定められた秩序を守るだけの人間には、到底成し遂げることの叶わぬ神秘ですよ。レオンハルト殿」



 ヴィエルジュの妻子は、自身の夫、または父が、悪徳を勧めることに、恍惚とした様子で聞き入っていた。



「我が愛する妹。貴方がたの母上は、確かに王妃ではある。ですが彼女は、リシュリュー家の女なのです」

 ヴィエルジュは立ち上がり、細君の髪を一房手にして口づけた。

「何しろ、美しい花から花へと飛び回るのが、蝶の流儀でございますゆえに」



 彼等家族は揃って、壁に飾られた旗印を見上げた。


 赤地に青の一本線。

 リシュリュー侯爵の旗印である赤地に引かれる一本の青は、ヴリリエール公爵のそれより一つ左隣に引かれている。


 ジークフリートはカトラリーを置き、ワインを含んだ。

 辛口の白。リシュリュー侯爵領の銘産物だ。



「私はリシュリュー家の人間ではない」

 ジークフリートはきっぱりと告げ、レオンハルトを見た。

「我が唯一の弟、レオンハルトも。我等はフランクベルト家の人間だ」


「しかし御身体には我がリシュリュー家の血が――」


「蝶は浮かばぬぞ」



 ヴィエルジュの演説は、甥ジークフリートの拒絶で幕を閉じた。

 だがヴィエルジュは甥達、ジークフリートとレオンハルトの去り際、「貴方の御心は氷のように冷たい」と呟いた。

「燃える獅子の心とは違っておられる」



 ジークフリートは振り向かず、兄のすぐ後ろを歩くレオンハルトは、憐れみを乞うような伯父ヴィエルジュの目を見た。

 通り過ぎざま、レオンハルトの手首を伯父ヴィエルジュが掴んだが、レオンハルトは慌てて振りほどいた。



「レオンハルト殿は我が名がヴィエルジュ(処女宮)であることに、我等家族と共に膝を打ってくださいますね?」

 ヴィエルジュはにこやかに笑いかけた。


 レオンハルトは当惑して、兄ジークフリートの背に縋った。


 テーブルについたままの従兄姉たちが手を叩き、いかにもおかしそうに甲高い歓声をあげた。

 リシュリュー侯爵が、おざなりに内孫をたしなめた。祖父自身も笑っていた。


 伯父ヴィエルジュの名は、祖父リシュリュー侯爵が命名したのだ。もちろん。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
リシュリュー侯爵家が描かれていますね。 ほんと一筋縄ではいかない人たちに囲まれているのだなあ……(≧▽≦)
[良い点] 蝶……! 蛇公爵も曲者でしたが、蝶侯爵も曲者でした…! 意外! ファンタジーだと蛇や狼はよく意匠として出てきますが(アルマークにも…)蝶は結構珍しい気がします。そして、読んでみるとなるほ…
[良い点] >ヴリリエール公爵のそれより一つ左隣 後ろから2番目かー。 [気になる点] リシュリューは本当に難解ですね~笑。 そういう一族(芸術という神秘を扱う)だし、ヴィエルジュには思惑もあるの…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ