25 野猿令嬢の剣舞
松明持ちの男が、松明を炉に投げ捨てた。
炉内にて、たちまち炎が立ちのぼる。その火柱の激しさ、力強さときたら、まるで炉床から天井へ結ばれんとするがごとし。
斜め左から一人の男が、ナタリーの腹を目がけ、剣先をまっすぐ突き出した。
ナタリーは体を軽くひねって交わす。そこへ横ざまに打ち払う、別の男の剣。
ナタリーが身をかがめると、薙ぎ払われた男の剣先が、大上段に構えた、また違う男の上腕をかすめた。
戦いに挑む男達は皆、ローブの下に防具を着込んでいた。
頭巾状のメイルコイフに、長袖のチェインメイル。その上から被るのは、小さな金属片を竜の鱗のように並べた、袖なしのスケイルメイル。
それがために、血飛沫のあがることはなかった。
だが衝撃は防げなかった。
今にも剣を振り下ろそうと、頭上に白刃をかざした男の手から、剣がこぼれ落ちた。
ナタリーは落ちた剣の柄頭を、かかとですばやく踏む。
立ち上がる剣身。
流れるように柄をつかみ、ナタリーは剣を薙ぎ払った。
取りこぼした剣を拾わんとかがんだ男の顔に、ナタリーの剣が鮮血の一本筋を刻んだ。
今度こそ血飛沫があがる。怒りの咆哮があがる。
「魔女めが!」
取り囲まれたナタリーが、にやりと笑った。
一太刀、二太刀、三太刀。
迫りくる男達の攻撃を、ナタリーは難なく躱す。
拾った剣を構えることも、ナタリーはほとんどしない。
ナタリーの口もとには余裕のある笑みが、依然として浮かんだままだ。
ひらりひらり。舞うように、軽やかなステップ。
ナタリーは男のローブを踏みつけ、動きを一瞬封じた。
その隙に打ち込む。男が体勢を崩す。相手のローブを奪う。
ナタリーは、襲い掛かってくる男達の眼前に、奪ったローブを投げつけた。
大きく広がった闇色のローブが、男達の視界を奪う。
ローブの下から現れるナタリー。
一人の男の眼球が、鋭い切っ先で貫かれた。
血飛沫とともに、引き抜かれる剣。
血と脂。そのほか、人間の身体を構築する何か。
ナタリーの持つ剣が、ぬらぬらと光った。
上がる悲鳴、怒声。
ナタリーへと突き出される幾本もの剣は、虚しく空を切った。
鋼と鋼のぶつかり合う音がしたと思えば、男達は互いに、味方同士で剣を斬り結んでいる。
ようやくナタリーの扱う剣と誰かの剣がぶつかり合うと、男の剣は容易に受け流された。
返す刀でチェインメイルの途切れた場所へ、ナタリーの刃が突き立てられる。
この国は、つかの間の平和を享受していた。
自称王子が希代の愚王と吐き捨てた、第十一代国王レオンハルト。
彼が敵対関係にあった近隣諸国との戦争を終息させ、平和的友好関係を回復させて以降。
国の予算案において、軍事費は年々削減され続けている。それ以上に、戦士としての気概を抱き続ける人間の数が減った。
ナタリーは魔法の片鱗すら見せず、剣術に体術だけで、男達を圧倒していた。
さびれた村に建つこの小屋で、戦場の最前線に立ったことのある戦士は、ナタリーしか存在しなかった。
一人の男がよろよろと後ずさりした。
そのまま倒れる。
彼はいまだローブを身に着けていた。
そのローブの端が、炉内に落ちた。
しばらく誰も、ローブの燃え上がることに気がつかなかった。
いや。自称王子だけは、横目でつまらなそうに一瞥はしていた。
だがそれだけだった。
自称王子以外。小屋中の人間が火の手に気がついたのは、炉より外で、いよいよ炎が激しく立ち上った頃であった。
男の死骸を火床に、燃え盛る炎。
「火が!」
誰かが叫んだ。
ジャックがきつく抱きしめる腕の中で、リナの髪がぶわりと立ち上った。
小屋の中で突風が吹き荒れ、火の勢いはますます増した。
「ジャック! リナを奥のクローゼットへ!」
視線をそらさず、争いを目で追っていたレオンが、両手を広げ、ジャックとリナを庇った姿勢のままで叫んだ。
ジャックは頷き、リナを抱えて立ち上がろうとした。
リナは動かない。
ガタガタと震え、魔力暴走を引き起こし、レオンの上着を握りしめている。
ジャックはリナの、固く閉じられたこぶしをこじ開けた。
固まって動かないリナを、ジャックがどうにか引きずっていく。
レオンの背を盾に進んでいく。
寝床からクローゼットまで。
数歩で済むような短い距離のはずが、雑木林をはさんだ隣村くらい、遠く離れているように感じられた。
ようやくクローゼットへ辿り着き、ジャックは扉を閉めた。
クローゼットには衣類だけではなく、レオンの集めた書物だったり、患者のカルテや研究の手稿、様々な薬草なども詰め込まれていた。
リナは震えていた。
クローゼットの扉が風で押し出されようとしている。
ジャックはリナを抱きしめた。ジャックも震えていた。
クローゼットの扉は、とうとう吹き飛ばされた。
割れた扉、その木片がナタリーの背に向かう。
「ナタリー! 危ない!」
ジャックが叫んだ。
「大丈夫よ」
ナタリーは振り返らなかった。
そのときナタリーは、一人の男と対峙していた。男は剣を振り上げていた。
ナタリーはその男のわきにもぐり込む。
剣を払うこともせず、ナタリーはすり抜けた。
男はナタリーの動きを目で追い、後ろへ振り返ろうとした。
そこへ扉の破片が飛んできた。男の首あたりをめがけて一直線。
割れてとがった木片は勢いのまま、男のメイルコイフを突き破った。
男は倒れ、鮮血が噴き上がった。
それからナタリーは、燃え盛る炎を見た。
剣を構えたまま、だがナタリーは動きを止めた。
倒れた男の死骸を火床とした火柱が、一瞬で消え去る。
ついでとばかりに、いまだ倒れず剣を振るう男達の頭上から、大粒の雹が降り注いだ。
自称王子はそれまで静観していた。
どれほど仲間が倒れようと、自らが動こうとする気配はいっさい見せなかった。
だが。
「魔女よ、これを見よ」
あらゆるものが倒され、刻まれ、落下し、破壊され、割れる音。
剣が風を切る音。剣と剣とが鍔迫り合う、鋭く高い金属音。
男達が蹴り、荒々しく床を踏み鳴らす音。
怒声。悲鳴。
そんな喧騒にそぐわぬ、落ち着いた、静かな声が落とされた。
「これでもおまえは、逃れる気か?」
しんと静まり返る。
ナタリーは声の出処へと振り返った。




