24 襲来
霞がかった青白い月を背に、ローブ姿の男達がレオンの小屋の前に並んだ。そのうちの一人が松明を掲げていた。
暗闇に浮かぶ炎。白い靄のような煙を同時に漂わせながら、燃え上がり、見えない風をかたどるように揺らめいている。
男達に隠れるつもりは、まったくないようだった。
「キャプテン」
ローブ姿の男の一人が、先頭に立つ男に視線をやる。
「それはもうよい」
キャプテンと呼ばれた男は、小さく、鋭く。一度だけ首を振った。
薄いくちびるをきつく結び、前方に顔を向ける。
レオンの小屋を見据えているのだろう。フードに覆われ、顔つきはようとして知れない。
「偽る必要は、もはやない」
キャプテンと呼ばれた男は言った。
「踏み込むぞ」
男の言葉を合図に、ローブ姿の男達が小屋の扉を蹴破った。
小屋を荒々しく踏み荒らす、男達の跫音。足音の一つ一つが、小屋に楔を打ち込んでいるかのようだった。
ローブ姿の男達が、寝床の上、弱弱しく固まって抱き合うレオン達を取り囲んだ。
「邪魔をする」
リーダー格と思われる、中央に立つ男が宣言した。
と同時に、中央の男以外の剣が、すらりと抜かれた。
どの刀身もよく研がれている。白刃に映し出された炎が、揺らめき踊った。
抜刀した男達の背後に控える、松明持ちの炎。
「我が名はユーフラテス。此度は、王命によって参った」
リーダー格の男が名乗った。
「魔女よ」
そして語りかける。
ジャックがリナを隠すようにして、ぎゅっと抱きしめた。
リナはガタガタと震えていた。
「潔く歩み出よ」
男の有無を言わせぬような物言いに、リナの震えがいっそう酷くなる。
ナタリーは二人の子供たちをきつく抱く。
レオンが前に出て、三人を背にかばった。
リーダー格の男がため息をもらした。深く息を吸い込む。
「フランクベルト王オットーの息子、ユーフラテス。これより、フランクベルト王の子として与えられし権限を行使する」
リーダー格の男が、ふたたび名乗った。
「魔女ナタリー・キャンベルよ。貴様を反逆罪で捕える!」
リーダー格の男が一喝したとたん、いくつもの剣先がレオンたち親子に迫った。
ジャックとリナを抱くナタリー。三人を背に、両腕を水平に伸ばすレオン。
四人を囲む幾本もの刃が、冷たく光る。
振り下ろされれれば、即座に命は失われるだろう。
「反逆罪とは、穏やかでないですね」
血の気の失せた蒼白な顔で、レオンは言った。
レオンの焦げ茶色の瞳が、この国の王子だと自称する凶徒を睨めつける。
怯えの影は差さず、強い決意にみなぎっていた。
暴徒のリーダー格。自称王子。
彼は剣を構えていない。顔も手足も、すべてが闇色のローブに覆われている。
レオンは自称王子から目を離さず、口もとにだけ笑みを浮かべた。
「どなたかとお間違えでは?」
自称王子の顎先がわずかに動く。
フードに隠れていてはっきりしないが、ナタリーを見据えていたのが、レオンへと視線を移したのだろう。
レオンはツバを飲み込んだ。
口の中は乾いていた。喉の奥もまた、引き攣れるようだった。
「間違えてはいない」
ただ一言。
みずみずしく、張りのある声。おそらくまだ若い。レオンよりも。
だが威厳があった。事実、王の子であるのかもしれない、と信ずるに足るような。
この国の王子の齢を、レオンは正確には知らない。
成人はしているはずだ。式典があったことを覚えている。
権力者の誰からも忘れ去られたようなこの村でも、祝いの酒が領主の使いから、わずかばかり振る舞われた。
「そこを退け。魔女を差し出せ。でなければ」
自称王子は警告した。
「武力行使する」
男達から突きつけられる白刃が、レオン達へとさらに一歩、前に出た。
「武力行使ね」
レオンの背後でナタリーがため息をつく。
「してみればいいんじゃない?」
「あなたはまた……!」
両腕を精一杯広げたまま、レオンは首だけナタリーへ向けた。
ナタリーはジャックとリナを抱く腕を強め、レオンと視線を合わせた。
レオンと見つめ合ったまま、ナタリーは気負いなく、軽い調子で続けた。
「できるのならどうぞ。試してごらんなさいな」
レオンから視線を外し、ナタリーは自称王子を見た。
「そうよ。ナタリー・キャンベルはあたしの名」
「ナタリー!」
レオンは叫んだ。
ナタリーは立ち上がり、制止しようとするレオンに微笑みかけた。
横にぴんとのばされたレオンの右手に、ナタリーがそっと手をかける。
レオンは諦めたように右手をおろした。代わりに、ジャックとリナを覆うように抱く。
ナタリーは剣先の集う中央へと、胸を張って進み出た。
「あなたの言う通り、魔女よ」
ナタリーが一歩前へ足を踏み出す。
「百五十年前のね」
ローブ姿の男達がナタリーに向けていた剣先は、床におろされた。一つ残らず。
なにか強い力で、上から叩き落されたような様子だった。
刀身は落とされた余韻で、わずかに揺れている。
磨かれた刃の上、映り込んだ炎が滑り落ちた。
男達の間に動揺が広がった。
ナタリーはさらに一歩踏み込んだ。
「お若い、幼い、お可愛らしい王子様」
自称王子の鼻先まで、ナタリーは詰め寄った。
「あなたの先祖を、よく知っているわ」
ナタリーは自称王子の正面で、ぴたりと止まった。
「殿下!」
自称王子以外のローブ姿の男達が、口々に不安を訴える。
「お逃げください!」
自称王子は微動だにしない。
ローブ姿の男達もさんざん喚くものの、ぶるぶると指を動かす程度にしか動こうとしない。
いや。動かせないのかもしれない。
男達のローブが激しくはためいている。
局所的に起こった風がぐるぐると渦巻き、まるで男達の身体を縛り上げているように見える。
自称王子の薄いくちびるが開かれた。
「俺も知っている」
暖炉の薪と、松明の炎と、ローブ姿の男達を縛り上げる風。
それから他は、自称王子が次に何を口にするのか。固唾をのむ静寂。
「希代の愚王と野猿令嬢の顛末を」
自称王子の挑発に、ナタリーの眉がぴくりと上がった。
それを見て彼は、刹那、薄いくちびるに弧を描いた。そしてすぐさま口を引き結んだ。
「先祖か」
自称王子はナタリーの背後、レオンへと顎を向け、ふたたびナタリーに直った。
「同じ王族として。子孫を称することは、あまりに恥ずかしい」
嘲りに歪んだ自称王子の口もとを、ナタリーはじっと見つめた。
「そう。それじゃあ、『希代の愚王』が子孫たる王子様には、きちんとお披露目しなくちゃいけないわね」
ナタリーがパチンと指を鳴らした。
「希代の愚王と野猿令嬢の真実を」
自称王子を囲うように立っていたローブ姿の男達。
それまで金縛りにあったかのように動かなかった男達が、いっせいに剣を構えた。
頭上高く振りかざす者。正面から間合いをはかる者。上半身を斜めに引き脇を締め、突きを狙う者。
「あなた今のうちに、ハンカチを用意しておきなさい! あたしの話を聞けば、きっと涙が止まらなくなるわよ!」
ナタリーの豊かな黒髪が広がった。
「刺繍入りのハンカチくらい、王子様なら贈られたことがあるでしょ」
波打つ黒髪を揺らし、ナタリーは腰を落とした。
「たとえ、まったく人間的魅力のない王子様でも。希代の愚王だという先祖と、その血筋だけは素晴らしいのだから!」
自称王子は静かにローブ姿の男達の後ろへ下がった。
いまだ刀を抜かず、憤った様子でもない。
ナタリーは期待の外れたことに眉をひそめた。
だが思い直したように、くちびるをつり上げた。ふっくらと肉感的で、毒々しいまでに赤いくちびる。
愉悦を感じさせる、凄みのある笑みが、ナタリーの顔に浮かび上がった。
「さあ、ダンスの時間よ!」
ナタリーが開始の合図を叫べば、野太い雄叫び声が呼応し、狭い小屋に轟いた。