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23 謝罪は不要




 ローブ姿の大男は、鼻先までフードを被っていた。顔が見えない。


 バスケットからパンとジャム。それから燻製肉が転がり落ちた。

 たまごは割れ、つやつやとした白身と黄身が床に広がった。

 少年は空のバスケットを抱え込んだ。


 ローブ姿の大男が短く息を吐く。嘲るような気配があった。

 それが少年のしゃくにさわった。


 なにか言ってやろう。

 転がされたことについて、うんと意地悪なことを。

 大人が子供に言われて、良心を刺激され、罪悪感にさいなまれるようなことを。

 それとも「このクソガキ」と胸倉をつかみあげなくちゃ気が済まないようなことを。


 さあ、やりこめてやるぞ、と少年が口を開こうとしたところで、ローブ姿の大男は背後へ振り返った。



「貴公らにイタズラをしかけたというのは、この子供か」



 奥の寝床に腰掛ける木こりの姿が、少年の目に映った。

 木こりのすぐそばには、木こりの相棒である痩せた男。


 少年の気概は急激にしぼんだ。

 乳しぼりの達人である少年の姉が、ヤギの乳をしぼって、その乳房をしぼませるのより早く。


 少年は床に落ちたパンやらを拾い集め、バスケットに詰め込んだ。

 勇気を奮い立たせ、少年は口を開いた。



「すみませんでした!」

 少年は両手でつかんだバスケットをずい、と前に押し出す。

「俺のせいでケガさせちゃって」


「小僧、こりずにまた――!」



 少年の声を聞き、木こりが立ち上がった。

 振り上げたこぶしも、木こりの顔の向きも、少年とは違う方向を向いている。

 見当違いの場所へと憤りをぶつける姿が、少年には哀れに思われた。

 だからふたたび、「ごめんなさい」と言った。


 だが。



「哀れだな」



 ローブ姿の大男が、いつのまにか少年の背後へ回っていた。

 少年の両肩に大きな手が置かれる。そして繰り返される。



「貴公より、誰より、何より。この子供が哀れだ」



 少年は固まった。

 頭上から低い声が落ちてくる。

 大きくはないが、腹に響くような、力強い大人の男の声。



「このようなか弱き、力なき少年を身代わりに、罪を負わせるなど」

 ローブ姿の大男がため息をもらす。

「なんと業の深きことよ」



 少年は飛び跳ねるようにして、大男から離れた。

 ぎりっと睨めあげる。



「ちがう! 俺がイタズラでやっちまったんだ!」



 リナが疑われたら。

 少年の胸に氷のように冷たい恐怖と、炎に炙られるような焦りが迫りくる。


 ローブ姿の大男は、少年の頭に手を載せた。

 なでるわけでもなく。置いて、すぐに離れた。重い手だった。



「見極めよ」



 ローブ姿の大男はそう言い残し、木こりの家を出て行った。

 それから少年が、ローブ姿の大男を見ることはなかった。


 ローブ姿の大男が、誰に向けて捨て台詞を残したのか。何を見極めろというのか。少年にはわからなかった。

 だがリナに疑いの目を向けられることだけは、避けねばならなかった。

 だから少年は懸命に働いた。罪滅ぼしのために。

 そして言った。

「俺のイタズラで、おっちゃんに怪我をさせて、本当に悪かった」と。繰り返し。







 レオンの小屋を出て、少年が木こりの家にたどり着くと、家には誰もいなかった。

 おかしいな、とあたりを見渡す。

 いつもだったらこの時間にはもう、木こりは裏庭に出ている。痩せた男と二人で、薪割りに精を出している頃合いだ。


 木こりの目に、包帯はすでにない。

 目頭から目尻まで。ぐるっと一周、赤く腫れぼったいし、薄い皮膚の引き攣れたような痕もある。白目だってひどく充血している。

 だが木こりは、誰かの手を借りることなく、自由に動き回れるくらいには、視力が回復した。


 少年が「おーい。誰かいねぇのか」と声を張ると、斜面下から「いるぜ!」と返ってきた。



「ちぃと野暮用があってな。村に出ていたんだ」



 木こりと痩せた男がゆるやかな坂を上がってくる。

 弾むような息遣いで、木こりは言った。



「ついでに村の長のところにもな。ほれ、村の集まりにもしばらく顔を出していなかったろう」



 野暮用と、それから村の長への挨拶は別物らしい。

 木こりの口ぶりでは、野暮用こそが主目的のように聞こえた。村の長への挨拶はついでだと言う。

 少年はなぜだかそれが気にかかった。



「長から聞いたぜ」

 木こりは両手を広げて少年を歓迎した。

「よお、坊主。やっと制裁が解けたんだってな」


「うん」

 少年ははにかんだ。

「おっちゃんの具合はどうだい」


「この通りだ。もうすっかりいい」

 木こりは目玉をぐるりと回すと、歯を見せてニカッと笑った。

「坊主のおかげだな。それに坊主のおっかさんに、姉さん。毎日助かったよ。メシもうまかった。礼を言っておいてくれ」



 少年は木こりの言葉にどう答えたらよいのか、戸惑った。

 小さくこぶしを握り、少年は床に視線を落とす。



「礼ってなんだよ。そもそも俺がおっちゃんに――」


「坊主、謝罪はいらねぇよ」

 木こりは少年をさえぎり、彼の細い肩に手を置いた。

「いらないんだ。謝罪なんてのは」


「ほんとにな。坊主はとんだ山羊になっちまったな」



 痩せた男も続いて眉をひそめた。

 木こりも痩せた男も揃って、痛ましそうな目つきで少年を見下ろしていた。



「なんで、そんな。おっちゃん達、どうしてそんなこと言うんだ」



 少年は言葉の先を続けられなかった。いたたまれないような気持ちになった。それ以上に不安が。

 またしても氷のように冷たい恐怖と、炎に炙られるような焦りが、少年を襲う。


 木こりと痩せた男は顔を見合わせ、少年に向き直った。



「我らは今夜、この村を出ることにした」

 木こりが言った。

「目もすっかりよくなったからな。やはりこの村では、食い扶持が稼げぬ」


「世話になったな、坊主」

 痩せた男が少年の頭をなでる。

「達者で暮らせよ。そなたはなかなか、気骨がある」


 木こりが痩せた男の言葉に頷いた。


「まったくだ。坊主ほど男気のある者は、王都でもそうは居まい」

 名残惜しそうに、木こりは首を振った。

「ふたたび(まみ)えることはなかろうが。予想だにしない、よき出会いであった」



 少年は木こりの家をあとにし、帰路についた。

 道中、少年の頭に浮かぶのは、木こりと痩せた男の晴れやかな笑顔。


 ――おっちゃん達は、王都から来た人間だったのか。


 少年の胸中には、容易には消し去れない不安がこびりついていた。

 考えすぎだと否定しようにも、離れていかない。

 氷と炎。恐怖と焦り。


 今日に至るまで、木こりも痩せた男も、村の男衆らしい、気取らない口ぶりだった。

 ではなぜ、別れを告げる段になって、改まった声色となったのか。

 取るに足らない、さびれた村の少年相手に、敬意すら感じさせるような。


 何より。

 この村を去る報告より重要な野暮用とは、いったいなんだったのか。

 あのローブ姿の大男は、何者だったのか。




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― 新着の感想 ―
「俺のイタズラで、おっちゃんに怪我をさせて、本当に悪かった」うっ( ;∀;)
[良い点] >「このようなか弱き、力なき少年を身代わりに、罪を負わせるなど」 その通りだと思う!! >「なんと業の深きことよ」 治療させなかったレオンがね! そして、じゃあ魔法自体をいたずらにし…
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