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18 不穏な風




 共同井戸の前を鶏が横切っていった。

 地面に落ちた穀物を小石の中から選り分けてつつき、時々くちばしを振り上げてはココココと鳴く。


 ジャックは鶏の進行方向へ、手にしていたライ麦を投げた。

 鶏の目の前ちょうどで、ライ麦が音もなく地に落ちる。鶏がつついた。

 ジャックはその様子をつまらなそうに眺めていた。



「おい、ジャック」



 呼ばれた声の方へ振り返れば、悪友がジャックを見下ろしていた。その表情は逆光でよく見えない。

 まだ年若い少年らしく、丸みを帯びた頬。その輪郭が柔らかい髪の毛同様、陽に照らされ、白く光っていた。



「おまえ、俺にナイショにしてることがあんだろ」

 声をかけた少年が、ジャックのそばにしゃがみこむ。



「ナイショって」

 ジャックは目をそらした。

「なんだよ、それ。オレがいつおまえの母ちゃんになったんだ」


 笑い飛ばすように軽口をたたくジャック。

 相手の少年はむっとしてジャックの肩をつかんだ。

「俺の目を見て言うこった、ジャック」



 ジャックがおそるおそる目を上げる。

 少年の真剣な目とジャックの目がぶつかった。



「リナのことだ」



 ジャックはぐっと口を結んだ。

 その様子を目にし、少年がため息をついた。



「くそ、やっぱりそうなのかよ」

 ジャックの肩をつかんでいた手を放し、少年はガシガシと乱暴に頭をかいた。

「ありゃ手品じゃなかったんだな」


「それは……!」


「おい、落ち着けって」

 立ち上がろうとするジャックを、少年は焦った様子で押しとどめた。


 ジャックは少年を睨みつけながらも、しぶしぶしゃがみ直す。

 少年はふたたび重いため息をついた。



「いいか、ジャック」

 少年は声をひそめて言った。

「俺は誰にも言ってねぇ」



 少年の顔つきから気骨を見て取り、ジャックは頷いた。



「誓うぜ」

 少年は情熱の松明を胸に掲げるかのように、胸をたたいた。

「俺はこれからも絶対に、誰にも言わねぇ」


 少年は胸の前で両腕を交差し、そしてその両腕を天へとまっすぐに差し伸べた。



「神様にも、神官さまにも、領主さまにも」

 ジャックから目をそらすことなく、少年は繰り返す。

「誰に聞かれたって、俺は口を割らねぇ」



 ゆっくりと少年の手がおろされた。

 陽の光から影の中へと戻ってくる少年の手を、ジャックは眺めていた。

 少年はジャックの地に落とされた視線を追った。

 ジャックも少年も、二人の間にあるライ麦を無言で見つめた。



「だけどな」

 声をいっそう低く落として、少年が口を開いた。

「妙な噂が流れてる」



 ジャックは顔をあげなかった。

 少年はちらりとジャックを見やった。



「陰でコソコソとな。おまえら家族には耳に入らねぇように、出回ってやがるんだ」



 ジャックはぎゅっとこぶしを握りしめた。

 少年はくちびるをかむジャックを見て「ふん」と鼻を鳴らした。



「結局おまえら、きょうだいじゃねぇんだな」


「どういう意味だ」

 ジャックがすごんだ。


 少年は鼻の頭にシワをよせた。



「それだよ」

 少年がジャックの握りこぶしを顎で示した。

「リナだったら。ここで手品が起こってた」


「だからどういう――」


「レオン先生とも血が繋がってねぇんだろ、おまえ」

 少年がジャックをさえぎった。

「きょうだいなんかじゃなかったんだ。兄貴ヅラしやがって」



 ジャックの少年を睨めつける目は、ギラギラと剣呑に光った。

 少年もまた、ジャックに負けじと強く睨み返した。



「リナの手品のこと。俺は言わねぇよ。そいつを引き替えにおまえとやりあうのは、公平じゃねぇからな」

 少年は片方の眉をあげた。

「って言っても、おまえは公平じゃねぇよな。それでも俺は公平にやるんだ。ズルは嫌いなんだ。男だからよ」


「やりあうってなんだよ」

 少年の挑発をなかば無視して、ジャックはたずねた。


 肩をすくめ、少年は立ち上がった。



「わからねぇフリを続けるんなら、それでもいいぜ」

 ひざこぞうの砂をぱんぱんと払い、少年はジャックを見下ろした。

「俺がリナを守ってやる」



 地面に落ちるのは、ジャックのまるまった影だけになっていた。すでに少年の影はない。

 ジャックは落ちたライ麦を睨み続けていた。

 そこに先ほどの鶏が戻ってきて、ライ麦をつつく。ココココココ、という単調な鳴き声。

 ジャックが地面を殴りつけた。鶏が両翼を広げ、ばさばさと慌て始める。

 ぐりぐりと地面をえぐり、ジャックは胸の中でナタリーに悪態をついた。


 いじれていないじゃないか。

 アイツの記憶は、全然。忘れ去られてなんか、いないじゃないか。




 しばらくして、ジャックの悪友が村人たちにしこたま叱られ、搾り上げられた。

 というのも、彼は村でたった一つの診療所であるレオンの小屋、その出入口にたちの悪いイタズラを仕掛けたというのだ。

 そのせいで何の怪我も負っていなかったはずの、元は怪我人の連れ添いであった村人の一人が大怪我を負ってしまったのだ。それも失明寸前にまで痛めつけられたのだという。


 少年と少年の両親、姉はいっとき、村の会合に参加できなくなった。

 共同井戸も共同浴場も、使用を制限された。

 食料に物資の交換や売買についても同様に。

 小さな村で力の持たぬ村人達が互いに支えあって暮らす中で、危険は排除しなければならない。制裁は必要なものだった。


 村人たちが会合で、少年とその家族をふたたび村の仲間として受け入れることを許すと決議し、村の長がよしと判じたのは、ジャックと少年の仲がぎこちなくなってひと月後のことだった。

 その間少年は、レオンの小屋へ毎日通った。水と、自給の足らない分の食料を融通してもらうためだ。


 なぜだか濡れ衣を着せられることになった少年に、リナは胸が苦しくてたまらなかった。

 戸を叩き、朗らかに挨拶をする少年の声が聞こえると、リナは小屋の奥へとひっこんだ。

 顔を合わせるのが怖かった。

 謝らなければ、と思うのに、責められることが怖かった。

 化け物め、おまえのせいだ、と。邪気のない明るい声が憎しみに染まるのを聞きたくなかった。

 しかしそんなリナの気持ちを知るはずのない少年は、毎日扉向こうからリナに一言、声をかけていった。



「おーい、リナ。今日はすげぇ天気がいいぞ。気分がよくなったら出て来いよ。また一緒に遊ぼうぜ」


「うわぁ、雨がひでぇや。これなら(かめ)にすぐ水もたまるだろって、母さんも姉さんも言うんだけど。レオン先生んとこの井戸水は他のどこの井戸よりきれいだからさ。今日も来ちまった」


「姉さんがリナにおさがり、いらねぇかって。リボンがついて、ちょっとシャレてるんだぜ。よかったら着てくれよな」


「リナはカエルは嫌いなんだろ。もう意地悪しねぇからさ。今度はかたつむり取ってきてやるよ! ……ああ、いや。かたつむりも嫌いかな。リナの好きなもん、教えてくれよ。そしたら俺、取ってきてやるから」



 少年の声が優しくあればあるほどに、リナはどうしていいのかわからなかった。

 結局いつも、レオンやナタリー、それからむっつり顔のジャックが少年に対応した。

 ごめんなさい、とリナが小屋の奥でうずくまっているうちに、少年一家への制裁は明けた。




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― 新着の感想 ―
あ、これ! こないだの童話の子……?♡
ジャックの友達の男気に胸がいっぱいになりました。小さな村で仲間はずれにされることがどんなに辛いことか、想像するだけで恐ろしい気分になります。それでも、彼はリナをしっかり守ったのですね。素晴らしい思いや…
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