表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/212

16 勉強と勉強




 レオンハルトはこの国の王子様だった。ナタリーはキャンベル辺境伯領のお姫様だった。

 王子様とお姫様は恋に落ちた。

 その当然の物語の結末はいつだってこう。二人は結ばれて、めでたしめでたし。


 しかし、そうはうまくいかない。

 レオンハルト王子とナタリー姫の二人が主役では。


 レオンはバカバカしい思いつきを頭から追いやった。

 頬杖をつき、完全にふてくされているリナの顔を覗き込む。



「お姫様にならなくてもいい」

 レオンが言えば、リナがちらりと視線だけ寄越した。


 疑り深く目を細めるリナ。

 レオンはいかにも悲しそうに眉根を寄せ、口をとがらせた。



「リナがお姫様になってしまったら、僕たちはどうしたらいいんだ」


「どうって?」

 リナが顔を上げた。


 レオンはすかさずリナへと顔を寄せた。リナの小さな鼻先にレオンの鼻先がくっつくくらい近くまで。

 リナの黒い瞳に、レオンの茶色い瞳が映り込んでいる。


 レオンはリナの肩に手を置いた。



「お姫様は毎日違うきれいなドレスを着て、おいしい食べ物を毎日食べられる」

 レオンはいたずらっぽく片目をつむった。

「もちろん。ディルの入っていないスクランブル・エッグや、タイムの沈んでいないハーブ水だ」


「いいね、それ」

 リナの目が輝く。


 レオンは微笑み、「それに素敵なお城で暮らせる」とつけ加えた。

「こんなボロ小屋じゃなくて」



 リナとレオンの頭上に、ナタリーの「あら」という、のんきな声が降ってきた。

「ボロ小屋も素敵よ」



 これにはリナも「うん、まあまあイケてる」と応じた。レオンは笑った。



「ありがとう。二人とも」


「どういたしまして」

 リナとナタリーが声を揃えた。


 レオンは前かがみにしていた体を起こし、リナから体を離した。

「そうか。ではお城は魅力的ではないとして」


「そうは言ってない」

 リナがかみつく。


 レオンは眉をあげ、目を丸くした。

 リナは指先に髪の毛をくるくると巻きつけ、気まずげにレオンから目をそらした。



「そりゃ、この家だってまあまあイケてるけど」

 リナはあたりを見渡した。

「でも広くて豪華なお城は、やっぱり素敵よ」



 リナはツンと顎をあげ、高慢な口ぶりで言った。

 お姫様らしく、とリナが振舞った仕草と口調は、ナタリーによく似ていた。


 レオンは微笑み、目じりには柔らかなシワが刻まれた。

「そうだね、広くて豪華なお城は素敵だ」


「でしょ。高貴な人たちが住まう場所よ」


「リナやナタリーのような?」


「そう! 青い血の流れる人たち!」



 『青い血』と聞いて、レオンは顔をしかめた。

「よく勉強しているじゃないか」


「だってナタリーがしつこく言うから」

 リナが肩をすくめる。


 レオンはその瞳に、悲しげな影をしのばせた。

 レオンはナタリーよりずっと芝居がうまかったので、リナははっと息をのんだ。



「そうか。だけどね、リナ」

 レオンが目を伏せる。レオンの茶色い瞳がまつ毛を被った。

「ジャックと僕の体には、青い血は流れていないんだ。残念ながら」


「知ってるけど?」

 戸惑うリナは、腕組みしてレオンを見上げた。


 レオンはいったい、何を言いたいのだろう?

 レオンとジャック。二人とリナが、血の繋がっていないことは、リナもわかっている。

 それについて、ああだこうだとすねていじける時期はとっくに過ぎた。リナはもう、赤ちゃんではないのだ。


 レオンは憐れみを乞うような目つきで、リナを見た。

「青い血の流れない、高貴な人ではないジャックと僕は、リナの暮らすお城には入れない」


「そんな!」

 リナは鋭く高い悲鳴をあげた。


 ナタリーが気色ばんで「レオン?」と口を出す。レオンはナタリーに首を振ってみせた。



「リナがお姫様になってしまったら」

 レオンはことさら哀れに、弱弱しく続けた。

「それだから、ジャックと僕は、リナとは離れ離れ。もう家族には戻れない」


「いやよ!」

 リナはレオンの手を取った。

「絶対にいや! 私、やっぱりお姫様になんかならない!」



 レオンがリナの啖呵を受け、おそるおそるといった具合に顔を上げる。

 リナはレオンと目を合わせ、力強く「何があっても」と請け負った。



「お姫様になれば、きれいなドレスや、美味しい食べ物。それから広くて豪華なお城に住めるのにかい?」

 レオンの芝居はいまだ続き、たずねる声は小さく弱弱しい。


 優男のレオン。儚げな芝居にかけては、誰にも引けを取らない。

 それも勝ち気でたくましいナタリーや、そしてリナといった、この家の女たちに比ぶれば。その差は歴然としている。


 リナは義憤に駆られ、情熱に燃える顔つきでレオンに頷いた。

「当然よ。私達は家族でしょ」


「それなら貴族の勉強は、リナには必要ないかもしれないなぁ」

 レオンがニヤリと笑うと、リナは目を輝かせた。

「そうよね! 勉強なんてしなくていいんだわ」



 手と手を取り合うリナとレオンを前に、ナタリーは苦々しいため息を吐き出した。

 額に手を当てるナタリーを目の端でとらえたまま、レオンは言った。



「いいや、リナ。勉強は大事だよ」

 レオンの言葉にリナはぎょっと目をむいた。

「だってレオン、私には必要ないって」


「うん。貴族の勉強はね」



 レオンは同意したが、リナは警戒のまなざしをレオンに向けた。もちろん手は振りほどいてやった。

 ナタリーの「あらあら」という、多分にからかいの色の混じる声が聞こえたが、リナは気にするまいとレオンを見つめた。いや、睨んだ。


 いつの間に手繰り寄せていたのか。

 『貴族の勉強』に差し掛かる前、実技訓練に興じていたときに、リナが部屋中にばら撒いたレオンの手稿。それらの一部がレオンの手の中にあった。



「薬草――薬用植物とその活用法について、一緒に勉強していこうか」

 リナが思いっきり顔をゆがめるので、レオンはたずねた。

「それともリナは、『貴族の勉強』がしたいのかな?」


「どっちもいやよ!」

 即座に否定するリナだったが、レオンの笑顔がうすら寒く感じ、しぶしぶ答えた。

「それなら」


 リナはちらりとナタリーを見た。

 ナタリーもまた、笑顔なのにどこか怖い。

 ナタリーの指先が振られ、光の粒がキラキラと軌跡を引きながらふわふわ移動していく。

 文字になったそいつらが主張することは、リナをげんなりさせた。


『お勉強しない子には、力を使わせません』


 光の文字からナタリーへと、リナの視線が戻る。ナタリーは相変わらずニコニコしていた。

 リナはテーブルにつっぷした。



「どっちも!」

 癇癪を起して、リナはテーブルを叩きつけた。

「どっちもやるわよ! それでいいんでしょ!」



 リナはやっぱり、全然公平ではないと思った。

 自由気ままに村の子供たちと遊びほうけ、勉強から逃げ回るジャックが恨めしかった。


 むしゃくしゃとした気持ちを込めて、リナは風をひねり出し、壁に吊り下げられたハーブの束を揺らした。

 主にディルとタイム。


 束ねた紐をほどいてバラバラにしてやりたかった。

 だがハーブを束ねる、その細い紐だけに命中させて紐解くほどには、リナはまだ練磨の功を積んでいなかった。

 そのために、しつこく束を揺らすことで、いつか紐が緩んでくれるんじゃないかと、リナはひそかに期待して、八つ当たりの風を送った。


 リナの起こすそよ風が徐々に強まり、ほとんど突風といってもいいくらいになった、その少し前。


 レオンとナタリーは、リナの背後で音もなく、手と手を軽く打ち合わせていた。

 ほがらかに笑うナタリーが満足げな一方で、レオンには万事がうまくいったようには思われなかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
「どっちもやるわよ! それでいいんでしょ!」 リナー。確かにジャックが外で遊んでたらなんで私だけ?ってなるよね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ