15 お姫様と特別の、内緒の、すっごい力
ジャックは村の子供たちとよく遊ぶようになった。
その間リナは小屋でお勉強。
ナタリーが毎回、特別の、内緒の、すっごい力の使い方について実技特訓をしてくれるのなら、リナだってそりゃあ大歓迎だ。
実技訓練でやることといえば、いろいろあるようでいて、総じてみれば同じ。ひとつの手順。
ナタリーの指示に従って、存分に血を湧き立たせ、高ぶった万能感に身を任せ。突風や竜巻を思うまま起こしては、小屋中の空気をまぜこぜにしてやること。
盛り上がるだけ盛り上がったら、おしまいには、沸騰しきって火口から溢れかえる溶岩流のように激しく流れる血潮をなだめ、一気に力の源を閉じ込めてやること。
つまりはこういうことだ。
レオンが神経質に積み重ねた患者たちのカルテだったり、あるいは臨床例を並べ立てて推論などを書き綴った紙葉だったり。
ちっともワクワクしない、リナが読んでもちんぷんかんぷんな集まりを棚から引きずり出して、一気に吹き飛ばす。
それらが部屋中を舞う様子といったら!
退屈きわまりなかったレオンの手稿が、とたんに輝く瞬間だ。
扉は壊さないし、皿だって割らない。
レオンの仕事道具を巻き上げてやるだけだ。まったく悪いことじゃない。
ただちょっと、ほんの少し、レオンが困ったりするだけで。それからナタリーとリナが揃って、レオンから雷を落とされるだけで。
それだって、レオンは実際の雷を操るわけではないのだから、ちっとも怖くなんてない。
レオンがリナを叱ってくれるのだって、リナは嫌いじゃない。ううん、むしろ好きだ。
だってレオンは叱るのだって、怒鳴ったりなんかしないのだ。
リナの肩に手を置き、目を合わせ。
「リナ、なにがいけなかったのかわかるかい?」と問いかける。
それにリナが「うん。わかる」と答えて、それが正解だったら、レオンはヤレヤレというように苦笑いして、そこから先は怒らない。
会ったことも見たこともない、本当のお父さんなんかより、レオンの方がずっといいに決まっている。
たとえ同じような名前でも、リナにとってレオンといえば、こっちのレオンだ。もう一人のレオンなんて目じゃない。
それにもうひとつ。
実技訓練のいいところといったら、何と言ったって、これだ。
ジャックが村に降りて、村の子供たちと遊んでいる最中。レオンとナタリーを、リナだけが独り占めできる。
でもそんなことを口にするのは恥ずかしいから、口にはしない。
だってもうリナは九歳で、赤ちゃんじゃない。
赤ちゃんじゃないから、レオンとナタリーを独り占めできて嬉しいなんて、絶対に言わないのだ。
だからリナは村に一人で降りられず、村の子供たちと遊べず。小屋に閉じこもりっきりだってよかったのだ。
特別の、内緒の、すっごい力を振り回すばっかりでいられるなら。
だがそうではなかった。
リナには全然公平ではないように思えた。
「ナタリー」
リナはテーブルに腕を投げ出し、うんざりとした口ぶりで言った。
「領地名だの爵位名だの家名だの、本家だの分家だの。そんなこと勉強する意味ってあるの?」
「あるから勉強しているのよ」
ナタリーはそっけなく言い放ち、『本日のテーマ。建国の七忠とその旗印。加えてキャンベル辺境伯について(とても重要!)。リナの理解がよろしくないので、繰り返し』と書かれた光を指さした。
その光の文字はテーブルの上に浮かび上がりながら、リナへと近寄ってきて、「ちゃんと勉強しなさい!」とでも言うように、リナの鼻先でぱちん! と弾けた。
「痛い!」
リナが鼻をなでると、文字たちは再びテーブルの上に戻った。
ふわふわ浮かんでいるそいつらをリナは恨みがましく睨みつける。
「だって!」
文字のひとつを指で弾き飛ばしながら、リナが抗議する。
「お貴族様なんて、これから一生、会うこともないのに!」
「あら。そんなことわからないわ。いつかばったり、会うこともあるかもしれないでしょ」
ナタリーはリナが弾き飛ばした文字を指先で軽くなでてやり、元の場所へと送り返した。
光る文字は嬉しそうにピコピコと上下して、戻っていく。
「それで可愛い可愛いリナは、王子様に見初められちゃうかも。お姫様になれるわ!」
ナタリーはパチンと両手を合わせた。とたん、光る文字がまばゆく飛び散った。
そしてぶつぶつと小さな光の粒がいくつも浮かび上がったと思えば、今度はこうだ。
『リナ、お姫様への第一歩。まずは旧・建国の七忠と新・七忠について、頭にたたきこむこと。もちろんキャンベル辺境伯も』
リナは苛立ちに任せた突風で、それら鬱陶しいキラキラを吹きとばした。
思ったより力を込めすぎたようで、光る文字は柱の向こうまで飛んで行った。そしてなにごとかを真剣に書き留めていたレオンの頬に突き刺さった。
リナの鼻先でもそうだったように、レオンの頬でもまた、光の文字は音をたてて弾けた。
レオンが顔を上げる。
リナは慌ててレオンから顔を背けた。神妙な顔を取り繕ってナタリーに向き合う。
ナタリーはニヤニヤしていた。
「さあさあ、お勉強しなくっちゃ! お姫様になったあとに苦労したくないでしょ?」
「勉強しないと、どうして苦労するの? お姫様なのに!」
「お姫様がバカだなんて、そんなのリナだったらチヤホヤしてやりたくないでしょ」
「バカなお姫様は意地悪されるってこと?」
「あら。リナはチヤホヤしてやらないだけじゃなくて、意地悪までするの?」
リナはぐっと押し黙った。
それから決意したように眉を吊り上げ、口を一文字に結んだ。
「しないよ。私はしない」
リナがおごそかな口ぶりでナタリーに告げる。
「そうね。意地悪はよくないわね」
ナタリーが頷いたので、リナはナタリーにかじりついた。
「私はしないけど。でもバカだったら、意地悪されちゃうこともある? お姫様でも?」
「そうね。あるかもしれない」
ナタリーは少し考え込むような素振りで頷いた。
リナはひるんだ。つかみ上げていたナタリーのブラウスから、弱々しく手を離す。
「王子様も? 好きだって言ったくせに?」
ぼそぼそと聞き取れないくらい小さな声で、リナが言った。
「そうね。カエルを投げつけられるより、もっとひどいことかも」
ナタリーがしたり顔で言うので、リナは顔をぐしゃっと歪めた。
「私、何があっても」
両拳をぎゅっと握り、ナタリーをにらみつけ。徹底抗戦のかまえだ。
「お姫様になんかなりたくない!」
ナタリーはリナの言葉を受けて首を傾げた。それからとなりに立つレオンをちらりと見た。
いつの間にかレオンは、柱を越えてテーブルわきまで来ていた。
「確かに。お姫様なんて、そういいものじゃないわね」
リナに同意してみせたナタリーは、ふたたびレオンを見上げた。
「レオンもそう思うでしょ?」
「そんなこと」
レオンはいらだたしげにため息をついた。
「僕が知るわけがないでしょう」




