14 わんぱく坊主たち
小屋を出てすぐの斜面。
一面を覆う白い小花へと、ナタリーにジャック、そしてリナ、三人の頭がつっこまれていた。
ときどき、にょっきり顔を出し、白い花と緑の葉っぱが揺れる。三人それぞれがそれぞれ、ばらばらに頭が上がったり下がったり。
飛び出た顔はどれも、まぶしそうに目が細められている。うっすらと雲のベールに覆われた、明るい水色の空を見上げているのだ。
そうしてぼんやりと白く光る太陽がどの位置にあるのか確認しては、まだ昼前だとヒナギク摘みに戻る。
日差しは柔らかい。
春を知らせる風は、顔を上げる三人の頬をそのたびごと優しく撫でていった。
せっせとヒナギクを籠に集めていたとき、ジャックの背中から影がさした。
振り返れば、村の子供がニヤニヤと笑っていた。手にはカエルが握りしめられている。
カエルは必死になって小さくてペタペタとした手をつっぱり、逃げ出そうと無駄な努力に奮闘していた。
「ジャックにリナ、一緒に遊ぼうぜ」
少年のニヤニヤ笑いが、ヒッヒと肩を揺らすまでになると、リナはヒナギクの中にもぐりこんだ。
それを見て、少年がカエルをつかんだ手を振りかぶった。
「そうれ! リナに投げてやる!」
「やめてよ!」
揺れる白い花のたもとからリナのヒステリックな声が上がり、少年はゲラゲラと笑った。
「やめろよ」
ジャックが立ち上がって言った。葉がこすれ合い、かさりと音を立てた。
「冗談に決まってんだろ」
少年はつまらなそうに舌打ちする。しかしジャックは納得しない。
「昨日もやろうとしたじゃないか」
少年は昨日、リナに虫を投げつけようとした。
ナタリーとジャックとリナ、三人で日向ぼっこをしていた。その隙をこっそりつこうと。
気配を消して近づいた少年にナタリーが気がつき、リナの力が暴走しかけたことについては、春の突風ということでどうにかつくろった。
「そんなこともあったかな」
気まずそうにジャックから目をそらし、少年は手の中のカエルに視線を落とした。ジャックは毅然と立ちふさがり、口をきりっと結んでいた。
ジャックのご機嫌うかがいをするように、少年がヘラリと笑う。
「わかった、わかった。ほらよ」
少年はカエルを逃がした。カエルはリナが隠れるヒナギクの小山へ、ぴょんと飛び立つ。
「だからやめろって!」
ジャックがカエルを捕まえようと手を伸ばし、身を乗り出した。絡まり合った茎がかき分けられ、ガサガサとヒナギクが揺れる。
その音に、リナが「やだ!」と悲鳴を上げた。
そして急にリナの隠れる場所から、うずを巻くようにして立ちのぼる風。白い花びらが花占いでむしられたときのように散って、宙を舞う。
少年は指を鳴らした。
「すげぇ! リナを驚かせると、これだもんな!」
リナを中央に据えた小さな竜巻に、少年はキラキラとした目を輝かせた。
花びらが螺旋状に踊り狂う。
白い花びらはチラチラと日の光をきらめかせた。花びらが裏側に返った瞬間、淡い紫色の影をまとい、そしてすぐさま白い光へひるがえる。
「リナ!」
ジャックがリナの元にたどり着くより先に、いつの間にかナタリーが目の前に現れ出でた。
ナタリーがリナを抱え込む。ジャックはほっと胸を撫でおろし、少年へと振り返った。
「やめろって言ったのに!」
ジャックが掴みかかれば、少年も負けじとジャックの腕をひねり上げた。
「うるせぇな! こんなおもしれぇもん、他ではちょっと見られねぇんだからケチケチすんなよ!」
「リナは見世物じゃない!」
ジャックは叫んで、少年の髪の毛を引っ張って抜いた。そのとたん、ジャックの腕をねじる少年が「いてぇ!」と飛びのき、ジャックは解放された。
肩で荒く息をし、少年を睨みつける。ジャックはこぶしを握って構えた。
少年が「ちぇっ」と舌打ちする。
「しょうがねぇだろ。この村じゃ、見世物小屋どころか、木偶な旅芸人だってろくに来やしねぇ」
少年は「ジャックにはリナがいていいよな」と悔しそうに歯噛みする。
「きょうだいだから、いくらでもリナの手品を見せてもらえるんだろ」
「手品なんかじゃ――」
むっとしてジャックが言い返せば、少年は肩を落として首を振った。
「いいよ、もう。俺には見せたくないんだろ。ジャックもリナも、俺のことが嫌いだから」
ジャックは戸惑い、口を開いて、すぐにまた閉じた。
少年の顔はさみしそうだった。少なからず傷ついているようだった。
「悪かったよ。邪魔したな」
少年は背を向けた。
そのまま勢いよく斜面を駆け下りていくのを、ジャックは茫然として見守った。
構えていたこぶしはまだ握られたまま。だけど腕はだらりと下ろされていた。
リナはナタリーの腕から抜け出し、立ちすくむジャックの背中を見上げた。
「追いかけてきなよ」
感情のこもらないリナの声に、ジャックが振り返る。
ジャックは今にも泣きそうな、情けない顔をしていた。リナの顔にはなんの色も浮かんでいない。
「私はナタリーと二人で、特別の、内緒の、すっごい力の使い方を特訓するから。その方がずっと楽しいもの。どう、うらやましいでしょ、ジャック」
リナはナタリーのワンピースの端っこを小さく握った。
「力の使えないジャックは、力の使えないあいつと一緒に、手品の練習でもしたらいいんじゃない」
ぷいと顔をそむけるリナに、ジャックはどうしたらいいのかわからず、ナタリーを見た。
「そうね、手品。いいんじゃないかしら」
ナタリーが顎をつんとあげる。
目が細められ、くちびるがつりあがり。まっすぐ、一本立てた人差し指をくちびるに当てながら、ナタリーが不敵に笑った。
「手品ということにしておきましょ。あの子の見たものは、リナの手品。ちょっとだけなら、いじっても構わないでしょう」
「いじる?」
ジャックが尋ねるが、ナタリーは微笑むだけだ。
リナはなんとなくナタリーの言うこと、しようとしていることの想像がついたけれど、それは口にしてはいけないことのような気がして、黙っていた。
ナタリーは歌うように「そうよ。いじるのよ」と繰り返した。
「そうすればきっと、何の変哲もない、すぐに忘れ去られる記憶の一つになるわ」
ナタリーがジャックに片目をつむってみせる。
「素直になれずに好きな子に意地悪をした、ただそれだけ。そういう、ずっとずっと重要なことにひっぱられて、いつの間にか記憶の山に埋もれるでしょうね」
「好きな子って!」
こぼれ落ちんばかりに目を見開いて、ジャックは叫んだ。
「当然、リナのことよ。あの子、リナに気があるんでしょ。カエルだってきっと、リナにプレゼントしたかっただけよ」
仰天して口をぽかんと開けたままのジャックに、ナタリーはたたみかけた。
「だってあのカエル、宝石みたいにキレイだったじゃない? 透き通るような緑色に、くりくりとつぶらな黒い瞳」
そこまで言うと、ナタリーは「あら、そういうこと」と頷いた。
「小さくて可愛くて、キラキラまんまるの黒い目。あのカエルってば、リナみたいだわ」
「やだ!」
髪を振り乱してリナが悲鳴をあげた。
「カエルと一緒にしないでよ!」
ジャックはリナとナタリーを交互に見てから、「オレ、行ってくる」と宣言した。
斜面下を睨みつけるジャック。少年の姿はもはや、すっかり見えない。
「見世物小屋になんか誰も、ちっとも期待しないくらい、手品が上手になってみせる」
ジャックは決意に満ちた顔つきをしていた。
ナタリーの忍び笑いに、リナは胡乱なまなざしを向けた。