13 朝食とハーブ
隣り合って椅子を並べるジャックとリナ。
座っていても、ジャックの方がリナよりほんの少し、頭が飛び出ている。
短く刈られたジャックの赤毛は、聞き分け悪くあちこち飛び出している一方、リナの黒髪は肩の上で大人しく、まっすぐ艶やか。
さて二人の髪の毛は、以前より少しだけ成長した二人の気質と、とことん同じかと言えば。
「ごちそーさまでしたっ! そんじゃ遊びに行ってくる!」
食べ終えた皿をテーブルの奥にぐいと押し出し、ジャックは椅子から飛び降りた。
「あっ! ずるい!」
苦手なハーブが混ぜられたスクランブル・エッグを、歯の欠けたフォークで長々つついていたリナだったが、ジャックが一抜けすることに慌てて顔を上げた。
ジャックは扉に手をかけ、今にも小屋の外へ飛び出そうとしている。
「待ってよ、ジャック!」
「やなこった。リナったら、いつまでも食べ終わらないじゃないか」
ジャックは振り返るなり目をすがめた。皿の上でリナにさんざんこねくり回され、すっかり冷めてしまった、哀れな卵料理へと。
「いつまでもオレが、リナの分を食べてやるわけじゃないんだぞ」
ジャックはおなかをさすった。
「本当はまだ食べられるけど。リナを甘やかすなって、レオンに怒られちゃう」
リナを咎める強い口調から一転し、情けなさげにボヤくジャック。リナが目を吊り上げた。
「ジャックの弱虫毛虫!」
リナが握りこぶしで、どすんとテーブルをたたきつける。皿からでろりと炒った半熟卵がこぼれ落ちた。
皿の上に何もなくなったことを確認すると、リナは嬉しそうに手をたたいた。
「なくなった!」
「よし行こう!」
揃って駆け出そうとする二人の目の前。
いつの間にか扉すぐ前で、ナタリーが立ちはだかっていた。
両手を広げて通せんぼ。にっこりと笑っている。
「げっ」
ジャックとリナが後ろを振り返れば、レオンがテーブルわきに立っていた。こちらもまたにこにこ笑っている。
レオンの指さす先には、テーブルに広がる黄色の半固体。その黄色の中に見える緑色が、リナの苦手なディル。
最初に朝食として提供された状態より、黄色の中、緑色の占める割合が多い。
ディルのやわらかく細い葉は、みずみずしいまま散らされていた。
「ごめん、なさい……」
進退きわまり、リナがきょどきょど視線をやる。ジャックは誰とも目が合わないように足元をじっと見た。
意識を集中させ床板の枚数を数えていれば、明るいレンガ色で目がとまった。黒ずんだ古い板の上、新しい小さな板が数枚、ちょこんと被さっている。
昨晩、寝る前のこと。
ジャックとリナがふざけて転げ回り、いつの間にか髪の引っ張り合い、蹴っ飛ばしあいの大ゲンカに発展した。
結果、床に穴が開いた。その跡。
今朝はもう、修繕されている。
昨晩のうちにレオンの手によってなされたのだろう。ナタリーの魔法だったら、痕跡は残らない。
どこに傷があったのか、そもそも穴を開けた記憶すらなくなってしまうくらい、まるっきり元通りになっているはずだ。
覚えておけということだった。
穴を開けたことを。スクランブル・エッグをわざとダメにしたことを。二人で共謀したことを。
ジャックは観念して顔を上げた。
「ごめんなさい」
リナに続いてジャックが謝ると、ナタリーが小首を傾げた。
こぼれ落ちたスクランブル・エッグが皿に戻る。
リナはため息をついた。それから椅子に座り直し、「食べ物を粗末にしてはいけません。わかりましたか、リナ」と口に出して自分に言い聞かせた。
その顔がいかにもみじめそうだったので、ジャックは胸が痛くなって、リナのとなりに椅子を寄せて座った。
リナはフォークで皿の上のスクランブル・エッグをかき集めた。
フォークで大きくひとすくいして深呼吸。リナは目をつむった。
鼻のあたまにぎゅっとシワを寄せ、そうして鼻をつまむと、勢いよくスクランブル・エッグを口に突っ込んだ。急いでカップを手に取り、ハーブ水で一気に流し込む。
リナはうっと詰まらせ、リスのように頬をふくらませた。
ジャックが慌ててリナの口の前、両手を皿のようにして差し出した。リナがごくりと飲み込む。
「うげえ。このハーブ水、タイムが入ってる」
リナが舌を出して顔をゆがめた。ジャックはリナの頭をなでてやり「えらかったね」と褒めてやった。
腰に手を当てたナタリーが鼻を鳴らした。
「あたしが作ってあげた朝食にケチをつけるからよ」
「おとなげないよ、ナタリー!」
ジャックがリナをぎゅっと抱きしめ、ナタリーを睨みつけた。
ナタリーは「おとなげなくて結構!」とジャックの糾弾を鼻で笑った。
それから、指一つ動かさず皿をテーブルの上に浮かせたと思えば、ナタリーは宙に浮かぶ皿をそのまま流し台へ飛ばした。
がちゃりと皿と皿とがぶつかり合う音がして、積み上げられた皿の山が崩れかける。
「おっと」
ナタリーが流し台へ振り返ると、皿の山はふるふると震え、ついにはまっすぐ元通りにそびえたった。
レオンが首を振った。
「行儀が悪い」
ナタリーはレオンの小言が聞こえなかったようなすまし顔で、ジャックとリナの手に、塩入りの小皿と歯磨き用の布を押しやった。
「きちんと拭いたら、最後にこれで磨きなさい」
ナタリーの手には一本の牛の骨に馬の毛を植え込んだ歯ブラシという代物。
ナタリーがこの家に持ち込むまで、レオンには縁のないものだった。実物を見るのは、レオンが医術学校に通っていた頃以来のことだ。
寮生活では、裕福な家の出の生徒がほかの生徒たちに向かって、よく自慢げに見せびらかしていた。
彼の使っていた歯ブラシの柄は、見事な彫りの施された金細工だった。
毎日の入浴同様、ナタリーが不潔だとわめいて、レオンの生活に取り入れらるようになった生活様式の一つ。それが歯ブラシ。
毎日の入浴も歯ブラシも。王侯貴族に地主、資産家といった労働者階級に属さない特別な人間が、富の象徴と誇るものの一つ。
レオンは三人を一瞥すると、診察部屋の棚に並ぶ数々の小瓶に目を走らせた。ヒナギクが足りていないようだった。
もんだ葉は打撲や骨折に。煎じれば頭痛や関節の鎮痛に。酒の飲みすぎで荒れた内臓の痛みやむくみ、咳止め、それから止血に。
愛らしいだけでないヒナギクは、レオンがよく用いる花の一つだ。
「歯磨きが終わったら、三人でヒナギクを摘んできてください」
「おやすいご用よ」
ナタリーは胸をはって答えた。ジャックとリナは指で歯に布きれを当てながら頷いた。
三人そろって、目を輝かせていた。
レオンは笑った。




