9 異なる血と同じ魂
神の不在。魔法と魔術。王室と教会と青い血の旧き貴族。
壮大な話に眩暈がした。
神であったはずのレオンハルト。その力を奪ったとナタリーは言ったが、それ以前には譲渡されたとも言った。
教会の糾弾する悪魔も。女性蔑視も。ナタリーが魔女だと自称することも。
頭の働きが悪いつもりはない。レオンが医術学校へ入学できたのは、運だけではない。自惚れているわけじゃない。
かといって、ナタリーに打ち明けられた、このとんでもない秘密に混乱せずにいられるほど、レオンの器は大きくはない。
レオンはただの平民で、高度な教育や思想、立ち振る舞い、感情の自制を幼い頃から仕込まれた王侯貴族とは違う。レオンはレオンハルトではない。
結局はいつもそこに辿り着く。
レオンは己の狭量さと醜い嫉妬心に呆れた。肘をつき、両手で顔を覆う。
「話を戻すわ」
ナタリーの声の調子は物憂げだった。レオンが顔を上げる。
目が合うと、ナタリーはため息をついた。今後リナをむやみに外に出すことはできないだろうと。申し訳なさそうにナタリーは切り出す。
レオンは驚いた。
「リナに感情をコントロールしろというのは無理だわ」
二人がテーブルを挟んで向かい合っているのは、そもそも昼間の出来ごとについて話し合うためだった。
リナが感情を昂ぶらせ、扉を壊したこと。魔法を発現したこと。
レオンはそれについて思い当たり、ナタリーに尋ねる。
「魔法というのは、感情に左右されるものなんですか?」
レオンは乾いた喉をカモミールティーで潤わせる。
「そうね。魔法は体中に流れる血だけが根拠だから。感情を揺らし、血が湧き立てば、魔力制御を正しく修めていない者が、誤って魔法を行使する事がある。今日のリナのように、暴発することもね」
なるほど、とレオンは頷く。
「本人の意思によって魔法は……発動といえばいいのかな。発現かな。まあ、そのように起こされるということで、合っていますか?」
ナタリーは頷いた。
「詠唱であったり魔法陣やスペルを綴るのは魔術。魔法じゃない」
「ああ、そうでしたね」
「リナが固有魔法を発現できたのは、青い血を受け継いだからってだけじゃない。あたしはそう思ってる」
レオンはそう思わない。
暴走を予見して、力の暴発を中断させるような。そんな神と呼ばれた監視役が、今では存在しない。
ただそれだけ。単純にそれだけのことだ。
リナが固有魔法を発現したこと。発現に伴い暴発したこと。
それは神が不在だったから。それだけだ、とレオンは思う。
「だってリナ以外の誰も、あれ以降、固有魔法を発現することはなかったのだもの。それどころか」
ナタリーの期待に満ちた目。己の予測を信じてやまないという口ぶり。
「レオンハルトが許した一族魔法と、レオンハルトから力を譲渡されたあたし。それ以外で、他の誰も魔法を行使できなかった」
ナタリーがレオンの手を取る。レオンの指先は冷えていた。
温めるように、慰めるように。ナタリーはレオンの手を撫でさする。レオンはされるがまま。強張った表情でナタリーを見つめ返した。目をそらしたいのに、どういうわけか顔が動かなかった。
沈黙がしばらく二人を包み込んだ。
「レオン。あなたはまた、嫌がるのでしょうね。あたしが、あなたとレオンハルト。二人を重ねて見ているって」
ナタリーがささやく。
レオンは大声をあげたくなった。歌うのでもいい。冗談を言うのでもいい。笑い飛ばすのでもいい。なんでもいい。
その先を聞きたくなかった。
粗く板を組んだだけの小屋には隙間風が入りこみ、蝋燭の炎を揺らす。じじじ、と芯の燃える音。ぽたり、と蝋の落ちる音。
レオンは口を開いた。
どうせならナタリーに告げられるのを待つより、自分で開始の音頭を取りたい。
喉を潤して間もないというのに、舌を動かそうとすれば、はりついたように痺れた。
「なにを――。あなたは何が言いたいんですか?」
ナタリーがレオンの手を握りしめる。
「レオンハルトの血が」
ごくりと唾を飲み込んだようで、ナタリーの喉が上下する。
「リナをレオンハルトの子だと認めて」
ナタリーの手に力がこもる。
「レオンの魂が」
レオンは咄嗟に手を払った。強い力ではなかった。ナタリーが息を飲む。
静かに息を吐いたレオンが「僕の魂が?」と問いかける。ナタリーは頷く。
「リナをレオンの子だと認めた」
レオンハルトの血を引くということが、レオンにわだかまりを生じさせてはいたけれど、レオンがリナを我が子のように慈しんでいることは否定しない。
「リナを僕の子だとすることに、異は唱えません。ですが」
レオンは冷たく言い捨てた。濃茶の瞳を蔑むように細める。
「魂というのはつまり、僕があの男――あなたの『愛しのレオンハルト』の魂を受け継ぐと。『レオンハルトの後釜』の僕が、リナを我が子と認めているから、リナは固有魔法とやらを発現したと。あなたはそう言いたいわけだ」
「やっぱり、嫌がるわよね」
ナタリーは肩をすくめた。
嫌がるなんてものじゃない。絶対に認められない。
レオンはレオンであって、レオンハルトというかつての王はレオンとは何の関係もない他人であり、そしてまたナタリーを苦しめ、リナの将来を制限し、この国から魔法を失わせた愚物。
「僕はレオンハルトじゃない」
「わかっているわ」
わかっていない。
弱弱しく眉尻を下げるナタリーに、レオンの憎悪は燃え盛る。怒りで血の気の失せたレオンの顔が、橙色の炎に照らされていた。




