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8 偽りの王権神授説




「それは……いや、でも」



 レオンはしかし、ためらいを捨てきれずにいた。口元に手をやり、離し、また手をやる。その繰り返し。頭によぎったこの憶測。口にすれば不信心どころの話ではない。

 ナタリーはレオンのカップへカモミールティーを注ぐと、自身のカップにも注いだ。縋るような目をナタリーに向けては俯き、言いよどむレオン。ナタリーはとうとう両手を広げ、天井を仰いだ。加えて、大きなため息。



「ねえ! レオン! なんだっていいのよ。あなたが思ったことを口にすれば! 間違えようがなんだろうが、誰が咎めるというの?」



 早口で捲し立てるナタリーに、レオンは答えられなかった。

 誰が咎めるのか。そんなことはわからない。レオンは知らない。

 神とは何か? そんなものは知らないのだ。

 畏れ敬うべき存在か? 少なくとも今日までレオンは神を。その存在を信じていた。悪魔は信じずとも。

 ナタリーは苛立ちをカモミールティーに溶かし込んで薄めることなく、レオンに咬みついた。



「いないの! いないのよ。小うるさい教育係も神官も侍従長も女官長も、(わし)も蛇も! 誰も!」



 鷲も蛇も?

 なぜここで動物が?


 深刻そうに逡巡していたのを、ナタリーの高ぶった金切り声。それも突然の動物の登場に、レオンは思考を切り替えさせられた。

 なんの暗喩だろう、と疑問を抱く間もなく、ナタリーが「ああっ!」と叫んだ。



「そうよ! あの癪に障る鷲に、厭らしい蛇! もう会わなくていいと思えば、心からせいせいする!」



 ナタリーは頭に手をつっこんで、でたらめにぐしゃぐしゃと髪の毛をかき乱した。かと思えば、不遜な、これぞ魔女らしいというような歪んだ笑みを浮かべる。

 苛立ちに高慢に安堵。忙しく移ろい、胸中に留まらず、発露した感情。目の前で披露される百面相に、レオンは呆気に取られた。間抜け顔でナタリーの挙動を見守るレオン。

 ナタリーは目をすがめた。



「いいわ。もったいぶって、あたしがレオンの鷲と蛇になるのはごめんだもの。言うわよ、ちゃんと」



 鷲と蛇とはなんだ。意味が分からない。だがレオンは賢明にも頷いた。すべて承知していると言わんばかりに重々しく。



「神が王を王たらんと認めたわけじゃない。神が王権を授けたんじゃない」



 王権神授説。王がこの国を支配する正当な理由。そして教会への優位性。

 学のない民草の誰もが知っていること。徹底して知らされていること。王の絶対性。その根拠。


 真っ向から否定すれば、それが誰とて許されまい。だがナタリーの否定は、王の権威を揺るがすのではない。その逆。これ以上はありえないだろうという、これまで認められてきた王の権威を、さらに増すもの。



「王が神なの」



 もっと神秘的に聞こえると思っていた。

 たとえば、宣言するナタリーの背後から、目も眩むような強烈な光が差し込むとか。厳かに声が響き渡るとか。清廉な風がざあっと室内を一巡りするとか。

 そんなことはなかった。違っていた。


 ナタリーの口ぶりは、レオンがレオンハルトの生まれ変わりだと告げたときと変わらず、なんら特別なところはなかった。



「神に名はない。なぜなら代々名が変わるから。神の偶像は存在しない。なぜなら代々姿が変わるから。そして建国王は当初、神を自称するつもりはなかった」


「自称だって? では神ではないと?」



 裏返ったレオンの声。レオンは咳払いをして喉の調子を整える。

 王が真実、神であるか否か。ナタリーは肯定も否定もせず続けた。



「他の人間とは違う力を持つ者がいた。七人の領主達が、その者に忠誠を誓った。そして彼らは一つの国家を築く。特別な力を持った者は王と呼ばれ、七人の領主達は建国の七忠と呼ばれるようになった」



 ナタリーの言葉を受け、一つの燭台の上で、炎が黄金色に輝いた。それはまるで人の形を象るように揺らめく。そして宙に浮かんだ。

 七つの炎が追う。ぐるりと囲まれるのは、一際明るく輝く、最初の炎。その人型。

 中央の炎が黄金色から青へと染まっていく。その青の輝きが七つの炎へと届き、七つの炎もまた青へと変わった。

 人型に揺らめく炎が八つ。中央の炎は立ち姿。囲う七つの炎は、膝を折り、中央に向かって頭を垂れるかのように揺らめいていた。



「建国の七忠が王に諌言した。国をよく治めるには、権力、魔力、武力、財力といった力だけでは足らないと。人心を集めるには、善政の他、拠り所となる支えが必要だと」



 気がつけば、小屋中に溢れていた光はすっかりその数を減らしていた。

 いくつもの燭台から火が消え、今もまだ燃えているのは、レオンの目の前にある青い炎のみ。


 レオンの濃茶の瞳に、青い炎が映り込んでいる。

 ゆらゆら、ゆらゆら。一つを囲う七つの炎。手を広げ、上下左右に振り。中央の炎へ何かを訴えたり、隣り合う炎と論争を交わすような様子で、人型の炎が揺れる。



「喜びに感謝し、怒りを許し、哀しみを癒し、苦しみを耐える。救いを示し、縋ることのできる何か。信仰心。民が無条件に縋ることを許されるには、為政者とは異なる存在でなくてはならない。ならば神が必要だと。そうして教会が作られた」



 中央の輝く人型の青い炎。その両腕が天を仰いだ。

 青い八つの炎の下で、それらが最初に生み出された燭台に、火がともる。火は一瞬獅子になったかと思うと、大聖堂によく似た形を描いた。



「大貴族と教会は知っているの。神はもういないと。だって神は、この国の王のこと。輝く青い血を発現し、魔法の行使を許可し、魔術を作り出し、司る。絶対的存在のこと。現王家にその力はない。そしてレオンハルトから力を譲渡されたあたしも、神にはなれない。流れる血が違う。魂が違う」



 青い炎が一つ消えた。中央の最も強く輝いていた炎。

 それから七つの炎の一つもまた消えた。残る六つの炎は、小さく、そして光を徐々に失っていく。一方で、空いた席次に二つ、小さな青い炎が出現していた。

 青い炎は八つ。どれも人型を象っているが、ほとんどが起立しそれぞれ勝手な方向を向いている。

 新たな青い炎だけが、いまは消え去った中央の炎。その何もない空間へ手を伸ばしていた。すぐ後ろで、もう一つの新たな青い炎が、膝を折って控えている。


 燭台の上で揺らめく大聖堂もまた消えた。

 火の消えた燭台。熱で溶かされた蝋が、大聖堂の形によく似ていた。蝋垂れが幾筋も流れ、蝋の描く大聖堂は歪んでいる。



「神となったレオンハルトを堕落させ、力を奪ったあたしは、それだから魔女なのよ。教会にとっても、旧き貴族達にとっても。わかるでしょ? 女性と悪魔という結びつきが声高に謳われるようになったのは、つまり、あたしのせい」



 再び小屋の中が明るくなった。たくさんの燭台は元通り、温かな橙の炎を揺らし、ナタリーを照らしている。

 ナタリーがカモミールティーの入ったカップを傾けた。のどが小さく上下し、カモミールティーが下っていくのがわかった。




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― 新着の感想 ―
おおお!!! 魔女とはそういうことなのですね!\(◎o◎)/!
[良い点] なかなか感想書けなくてすみません。44話目まで拝読していますが、この回(と前の回)がとても印象的だったのでこちらに。 「神」という概念とがっつり向き合っていて、思わず興奮しました。 自分…
[良い点] ここすごく重要な情報満載ですね! しかし、語られるのがナタリーの口から! なので、知らされる情報の操作があったと考えるべき!! 全てが真実ではないのだ......たぶん笑。 >現王家…
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