7 現存し続ける魔術
消えた灯に光を与えるべく、ナタリーが蝋燭へと手首を捻るのを待って、レオンは口を開いた。
「――魔法と魔術の違いとはなんです?」
固有魔法にも一族魔法にも括られない、ナタリーの特例的な魔法は、結局のところ、なんなのか。
加えて、本来あるべき姿だとか、譲渡だとか。
疑問はある。
だが聞けば聞くほど、ナタリーとレオンハルトの強固な絆を見せつけられそうな気がして、レオンは話を変えたのだ。
すっかり暗い屋外とは真逆の、温かな橙の灯。狭い小屋の中は、ナタリーの魔法によって明かりが灯されている。
王都医術学校の寮は、大貴族が後ろ盾なこともあり、平民のレオンの目から見て、かなり贅沢なつくりだったように記憶しているが、今レオンは、その寮談話室とおなじくらい、たくさんの燭台に囲まれていた。
ナタリーの頬で揺らめく炎の影は、まるで蛇のようにウネウネと動いた。
「魔法は血の契約。魔術は祈りの誓約」
「祈りの誓約?」
血の契約は理解できる。だが祈りの誓約とは?
「魔術は神に捧げる祈りなの」
レオンはこめかみを揉んだ。神に捧げる祈り? 神だって?
ナタリーがハーブティーを口に含む。それを見て、レオンは喉が渇いていることを思い出す。つられるようにしてカップを煽った。冷えたハーブティーは喉を潤したが、体を温めなかった。
「だから、魔術は本来、誰でも使える。青い血も貴族も関係ない」
「しかし、魔術師はもはや、ほとんどいません。それに誰でもとあなたは言いますが、平民出自の魔術師など、歴史書を探しても――」
「いるわよ。だって医者がそうじゃない」
レオンは目を見開いた。
「レオン、あなた、医術学校に通ったのでしょう? そこで学ぶはずだったことを、あなたは途中までしか修めていない。違う?」
「その通りです」
「あなたがより深く学ぶためには、誓約を強要されたでしょう?」
「ええ、確か――」
レオンは混乱の最中にあった。
医者が魔術師? どういうことだ?
かつて入学し、退学した医術学校。退学する契機となった誓約書を記憶から引っ張り出す。
レオンは愕然とした。だってこんなことがあるだろうか。
「思い出せない……」
ナタリーがしたり顔で「そうでしょうね」と頷く。
「誓約を結んでいない者、破った者の記憶には残らない。魔術という誓約を定めたとき、そのように『神』が規定したものだから」
「規定した?」
規定。神に捧げる祈りに? 祈りの作法ということなのか。いや、違う。作法ではない。規定だ。
どこか引っかかる。この違和感はなんだ。
レオンは頭をめぐらす。
ナタリーは口をはさまず、レオンの発言を待った。
「規定……。祈り、認証される。その体制? いや機構か?」
「それってどう違うのよ」
額に手を当て、レオンがブツブツひとりごちていると、ナタリーは呆れたように言った。
「体制だろうと機構だろうと、なんだっていいけど。『神』はいちいち、祈りを聞き届けたりなんてしてないわよ」
「ということは、行使されるにあたって、神が随時認証しているわけではないと?」
レオンが弾かれた様に顔を上げると、ナタリーは嬉しそうに手を叩いた。
「そうっ! さすがレオン! 飲み込みが早いわ!」
リナやジャックに向けるような、甲高く甘ったるい声色。その賞賛に、レオンは苦笑いした。
実際、この手の話はレオンにとって、全く未知の分野で、幼子と変わらない。そうはいっても、ジュースと砂糖をたっぷりまぶした菓子で接待されるような扱いは、なんとも奇妙な心地にさせられた。
『よくできまちたね。すごいでちゅね。えらい、えらい』
そんなふうに聞こえて。
ナタリーは口元に手を当てた。声の調子がいかにも子供向けだったことに気がついたようで、決まり悪そうに笑った。
レオンが肩をすくめて、気にしていないと表明すれば、ナタリーは微笑み返した。そして仕切りなおすように咳払いすると、テーブルに肘をつき、両手の指を絡ませた。
真剣みを帯びたナタリーの表情に、レオンも顔を引き締める。
「ところでレオン。魔法も魔術も神が関わっているのだけど」
「『魔法は血の契約。魔術は祈りの誓約』でしたよね」
そこまで言うと、レオンは驚愕に目を見開いた。
「まさか」
落ち着こうと手に取ったカップの中身は空だった。さきほど勢いよく飲み干したのだ。いまこそハーブティーが欲しい。カモミールの甘く安らかな香り。
ナタリーが立ち上がった。
「お茶を淹れなおすわ」
レオンは両手で顔を覆った。鼻先から目頭までを、湿って生ぬるい吐息が覆う。
開いた指と指の間から、台所に立つナタリーが見えた。手を伸ばしても届かない高い棚から、ドライカモミールの入った瓶がナタリーの手元に収まる。
「気がついたかしら。ねえ、レオン――」
瓶の蓋をあけ、ティースプーンで山盛り一杯、茶花をすくう。さすがに魔法じゃない。そのあとはポットにお湯を注ぐ。これは魔法。最初にレオンがお茶を入れたときに沸かしたお湯は、すでに冷えているからだ。
手を一振りして瓶を元の棚に戻すと、ナタリーが顔をあげた。レオンは両手をこすり合わせながら、テーブルの上に手をおろした。
二人の目が合った。
「『神』っていったいなんだと思う?」
辺りを取り囲むいくつもの燭台。その明々とした炎に照らされてさえ、レオンの顔は青ざめて見えた。




