4 複雑な家庭の事情
リナが力を発現させたのは、時を遡って、夏至間近の夕暮れ時だった。
ミッドサマーパーティーに向けて必要なものを揃えに、レオンとジャックは村の中央まで降りていた。
空は淡い水色とラベンター、それからコーラルのグラデーション。庭のハーブはパステルピンクに染まりつつあった。
ナタリーは夕餉の支度に勤しんでいる。そこへリナが、ひょっこりと顔を覗かせた。
「おてつだいすること、ある?」
「あら」
ナタリーが振り向くと、リナが期待に頬を紅潮させ、ナタリー譲りの黒い瞳をきらきらと輝かせている。ナタリーは微笑んだ。
「そうね。じゃあ生地を輪っかにしてくれるかしら」
「いいよ!」
一晩寝かせて発酵させておいた生地。
寝かせるために上にかけられていた濡れ布巾を外し、丸められたいくつもの生地の一つを、ナタリーは手に取った。
「ちゃんとガス抜きするのよ。それから両手でより合わせて、くるくると巻くの」
リナの鼻先で、生地を両手ではさみ、前後にこすり合わせて棒状に伸ばしていく。
「最後にこうして、端と端をつないでね」
捩じれた生地の先を繋ぎ、ナタリーがくるりと環状にする。
許可が出るのをうずうずと待ち構えていたリナは、「わかった!」と頷くや否や、ボール状の生地に手を伸ばした。
「ねー、ナタリー」
くちびるを尖らせ、小さな手で生地をより合わせながら、リナがナタリーに声をかける。
同じ作業をしていたナタリーが、「なあに?」と、すぐとなりに立つリナを見下ろす。リナは真剣なまなざしで、手元を見つめたままだ。
だから、リナの口から飛び出てくる質問について、想像していなかった。何の気なしに、ふと思いついて口にした、といったふうだったから。
「なんでレオンはおとうさんじゃないの」
ナタリーは思わず生地を取り落としそうになった。
リナはうまく生地が捻じれないのか、口をへの字に曲げ、眉間にシワを寄せて「むぅ」と唸る。それから「あしたは晴れるかな?」とでも尋ねるかのように、気負いなく続ける。
「ナタリーはリナのおかあさん。だけど、おとうさんはレオンじゃない。ナタリーとレオンはふうふじゃないって。レオンもナタリーも、そういってた」
リナはグネグネと不格好な生地を、なんとか棒状にした。中間部分で細くなり過ぎたところがある。ちぎれそうだ。
「でも、むらのひとはナタリーのこと、レオンの『よめご』っていってた。それなのに、リナのおとうさんはレオンじゃないの?」
棒状になった生地をうまく環状にできず、困ったようにリナはナタリーを見上げた。
ナタリーは深く息を吸った。胸が膨らむ。息をすべて吐き出すと、挙上した胸はまた戻った。
「リナのお父さんは、レオンじゃない。だけど、レオンの前世――生まれ変わる前の人なの」
「うまれかわるまえ?」
「そう。この国の、百五十年前の王様。それがリナのお父さん」
「ひゃくごじゅうねんまえのおうさま」
ナタリーの言葉をそのまま繰り返すリナの顔には、何の表情も浮かんでいない。
「とても優しい人だったわ。そしてとても愛情深い人だった」
生地をまな板に置き、浄化魔法を手にかけると、ナタリーは床に膝をついた。リナのふっくらとした頬にかかる黒髪を、そっと耳にかけてやる。
リナはうるさそうに頭を振った。耳にかけた髪が元に戻る。それから少し眉を顰めて尋ねた。「レオンみたいに?」と。
ナタリーは頷く。
「ええ。レオンみたいに」
リナが小首をかしげる。
「ナタリー、おとうさんのこと、すきだった?」
「ええ。とても」
「レオンみたいに?」
ナタリーが視線をさまよわせる。リナの顔がぐしゃりと歪む。
「レオンは? レオンのことはすきじゃないの?」
ナタリーはリナを見て、足元を見て、それからまたリナに視線を戻した。
「……好きよ」
「じゃあどうして!」
真っ赤な顔でリナが叫ぶ。足をだんだんと踏み鳴らし、なんでどうして、とナタリーに問いかける。
こねくり回された生地が、ぼとりと床に落ちた。
「なんでレオンはおとうさんじゃないの? どうしてレオンとナタリーはふうふじゃないの? なんでジャックはおにいちゃんじゃないの? なんで? どうして?」
リナの泣き叫ぶ声が高く大きくなる。小屋全体がびりびりと振動する。
ナタリーは何かに感づいたように、表情を変えた。それまでは途方に暮れたような頼りない顔つきでリナを見つめていたのが、顔を引き締める。きたるべき真理、もしくは災難、あるいは審判に備えるかのように。
「なんでぇえええええええええええっ!」
リナの大絶叫が響き、続いて轟音がそれを追った。




