25 ヴリリエール蛇公爵
「建国の七忠から娶らないとは。第五王子殿下は、早々に王位争いから戦線離脱するおつもりらしい」
軟弱者であると薄笑いを浮かべるのは、ヴリリエール公爵。蛇のような顔貌。
謁見の間にて婚約の勅命を下されたあと、レオンハルトはキャンベル辺境伯と別れた。
キャンベル辺境伯から聞いたことには、宮廷貴族のうち、親交のある幾人かと顔を合わせてから、王都屋敷へ戻るということだった。
久しぶりの主人の帰還に、辺境伯王都屋敷はさぞかし活気あふれていることだろう。
レオンハルトは既に物寂しい心地だった。
キャンベル辺境伯はいるだけで場を温め、心を解される。それはレオンハルトの第二の故郷が、すでにキャンベル辺境伯領となったからでもあるし、それだけでもない。
そんな好人物の次に合わせる顔が、この蛇公爵。
レオンハルトを丸呑みするのを愉しみに待ち構えているかのような、厭らしいニヤケ顔。
チロチロと赤い舌が、その口から突き出されては引っ込む様。その幻が見えるようだった。
自室であるにも関わらず、レオンハルトは敵地に唯一人残されたような緊張感を、全身に張り詰めさせている。
「第五とはいえ、正妃殿下のお子であられますのに。リシュリュー侯もさぞ無念でしょう」
リシュリュー侯爵はレオンハルトの母方の祖父だ。建国の七忠と呼ばれる、旧き七つ家の一つ。
そしてまた眼前のヴリリエール公爵もまた、建国の七忠が一。
先日のメロヴィング公爵が筆頭を務めるのに対し、ヴリリエール公爵は殿を担う。末尾であるなどと口にした者は、その日のうちに姿を消すだろう。
赤地の旗に引かれる一本の青。メロヴィング公爵が最左。ヴリリエール公爵が最右。
ジークフリートがレオンハルトに軽口をたたいた、「ミュスカデを侮られれば、毒蛇でも持ち帰らせよう」という言葉。
これは明らかに、ヴリリエール公爵を意識していた。
ヴリリエール公爵はジークフリートの熱烈な信奉者だ。
「次期王となられる、公明正大にして偉大なるジークフリート殿下も、あなた様には甘いと見える」
つまり、ヴリリエール公爵はレオンハルトに自らの娘を宛がうことで、ジークフリートと縁づきたかったのだ。
レオンハルトが王位争いに参戦することを望んでいるのではない。
ジークフリートこそが王者に相応しく、レオンハルトにはそのための間者になれということだ。
「獅子たる王者は、鼠にまで寛大なものです」
獅子という言葉を口にするのに、レオンハルトの胸中はざわついた。
「それもそうでした。鼠には鼠に相応しい地がございましょう。このアタシとしたことが、失念しておりました」
「鼠と蛇では、先が見えていますからね」
レオンハルトが肩をすくませてみせれば、ヴリリエール公爵は片方の口の端をニヤリと吊り上げた。
「身の程を弁え、自らの役割を知る者に、アタシは信を置きます。ええ、第五王子殿下、あなた様にも」
建国の七忠の権威は強大だ。たかだか王子一人の権威など、比較にもならない。
またどの家も遜色なく、現王家と成り代わり、王朝を替えたとしても、不思議ではない。
だが王への忠誠もまた、彼等の誇りとして揺るぎない。
建国の七忠が王を裏切ることなど、この世から神が消えるまで、起こるはずもない。
その神とは。
レオンハルトは、満足げなヴリリエール公爵にほほえみ返した。
「光栄です、ヴリリエール公」
「我等が国王陛下が、あなた様にレオンハルトなどという御名をつけられたときには、目眩がしましたがね。いやはや、どれほどの御仁になられるのかと、この老臣、胸を踊らせておりましたが――」
ヴリリエール公爵は舌なめずりをした。毒毒しいほどに赤い舌。
「とんだ期待外れかと失望したものの、ジークフリート殿下こそが、王冠を戴くに相応しい。あなた様にはジークフリート殿下と同腹の王子として。また畏れ多くも、偉大なる『レオンハルト』の御名をお借りした大恩を返すべく、ジークフリート殿下の、玉座へと続く道をせっせと耕していただきたい」
「キャンベル辺境伯領を手始めとすることで、ヴリリエール公のご溜飲は下がりますか?」
レオンハルトはひきつりそうな頬を内心叱咤することで耐え、ほほえみを絶やさずにたずねた。
「まぁ、あなた様にしては、よい案でしょう」
ヴリリエール公爵は目を細めてレオンハルトを見つめると、枯れ枝のような指で、乾いたくちびるをつまんだ。
「鼠が我が蛇屋敷に恐れをなすのは、仕方のないことですから」
建国の七忠が一、ヴリリエール家。
かの家の旗に、かの家の直系の血を垂らせば、かの一族の目には、大蛇の姿が浮かび上がるのだろう。
誰に教えられるでもなく、レオンハルトは確信した。
「我等が国王陛下は偉大なり」
ヴリリエール公爵が恭しく頭を垂れる。
「しかしながら、ジークフリート殿下は、建国の暁より、最も偉大な王となられる御方」
蛇は未来予知と予言を司るという。
民草、王侯貴族問わず、人々の間で囁かれる、眉唾の風聞。
「ああ、ジークフリート殿下の発現の儀と、戴冠の儀が待ち遠しいですね」
ヴリリエール蛇公爵はうっとりと、その目を細めた。
(第1章 了)




